今日、産総研の岡村 行信 活断層・地震研究センター長から、今年、3月11日の起きた東北地方太平洋沖地震と、同じく西暦869年に東日本の太平洋沿岸を襲う大津波を生じさせた貞観地震との関係を解説して頂いた。日本と異なり、米国では地震予知学は、既に意味のない研究として国から研究予算も出なくなったが、岡村先生が行われている学問は、地震予知学ではなくて、地層に埋もれている津波堆積物を調査分析する「地震考古学」と言えるものである。
駿河湾沖の東海地震の予知を目指して、精密な計器を沢山使う地震予知学は、華やかではあったが、この学問は、地震計が、この世に登場する、せいぜい100年の歴史しかない。一方、地層に埋もれた津波堆積物の調査は、数千年単位での分析が可能である。ところが、その分析結果が正しいものかどうかが文献によって立証されなかったため、これまで日の目を見てこなかった。残念なことに、この岡村先生達のグループは地震学会の中ではマイナーで、2009年には貞観津波の全貌を明らかにしているのに、東日本太平洋沿岸の原子力発電所の防災計画には全く反映されることがなかったのだ。
今日、岡村先生のお話を伺って、私自身も津波に対する認識を新たにすることが大変多くあったので、私が特に印象に残ったことだけでも、皆様に紹介をしたい。まず、津波というのは地震の揺れで起きるものではないということ。海底の地形が地殻変動で沈降、あるいは隆起した時に初めて起きる。日本近海の地殻変動は東日本太平洋沿岸が太平洋プレート、東南海、南海がフィリピンプレートによって起こされるが。太平洋プレートは1年に8センチ、フィリピンプレートは1年間に5センチづつ常に移動している。今回の東北地方太平洋沖地震では約24メートルの地殻移動が見られるので、日常のプレート移動の300年分が補正されたことになる。しかし、869年に起きた貞観地震からは既に1000年以上経っているので途中の空白の辻褄が合わない。
そうは言っても、1896年の明治三陸大津波、1933年に昭和三陸大津波もあったと思わるかも知れないが、岡村先生に言わせると、これらの津波は所謂、M8クラスの一般的な海溝型地震による津波で、今回の3.11大津波は連動型と呼ばれる、もっと大規模なものらしい。貞観地震も、実は、今回と同じ連動型だったのだ。それが、1000年に一度の大地震/大津波と言われる所以である。
ところがである。岡村先生達が2005年から2009年まで、仙台から三陸海岸で行った地質調査では、貞観地震と今回の3.11の間の1400年代である室町時代に、同じ連動型の大規模地震/大津波があったらしいのだ。もちろん、貞観地震の500年前にも、同じ連動型の津波堆積物があり、さらに、その数百年前にも、同じ規模の連動型地震/大津波の堆積物があるという。つまり、数百年単位で、この東日本太平洋沿岸は、日常の地殻変動を一気に補正する連動型大地震が起きていた。それでは、なぜ室町時代の地震は、古文書に記録が無いのかである。
どうも、日本の自然災害に関する記録は近畿地方は奈良・平安時代からあるが、関東・東北は江戸時代になってようやく登場し、北海道に至っては明治時代から漸く記録に掲載されることになっている。むしろ、869年の貞観地震の記録が残っているほうが不思議なのだと言う。日本の正式な国史には、六国史と言って、日本書紀(-697)、続日本記(697-791)、日本後記(792-833)、続日本後記(833-850)、日本文徳天皇実録(850-858)、日本三代実録(858-887)と連続的に国史が書かれており、残念なことに887年以降はしばらく途絶えている。
869年に起きた貞観地震は、清和天皇から光孝天皇まで三代の天皇の治世を記録した日本三代実録に、たった6行分だけ掲載されている。それでも奈良の都から遠い東北地方で起きた大津波の悲惨な状況を簡潔に、しかも正確に記録している。当時の国府は多賀城にあった。この多賀城まで津波は襲ったと書かれているが、実は、今回の3.11大津波は、この多賀城跡まで達していない。その意味では、貞観大津波は、3.11大津波の規模を遥かに超えた規模だったことを示している。
そして、明治三陸大津波も昭和三陸大津波も、実は被害は、その名のとおり、三陸沿岸だけで、今回津波の被害に遭った、仙台や、福島浜通り、茨城、千葉は殆ど大きな被害はなかった。ところがである、2001年に渡辺氏という研究者の調査では、仙台はもちろん、茨城、千葉までの各地で、貞観大津波の口頭での伝承が残っており、しかも、その内容は極めて正確であったというのだから驚きだ。精密な地震計やGPSを使った地殻変動など、現代科学の粋を尽くした地震学も大事かもしれないが、昔からの古老の伝承にきちんと耳を傾けることも、もっと大事なことだった。
これは、現代科学の脆弱さでもある。地震は数百年、数千年単位で起きるもの。だから、何時起きるかを正確に予知することに莫大な資金を投入するよりも、過去に何が起きたかを地質をベースに考古学的に調べる岡村さんたちの学問の方が遥かに意味がある。米国は、地震予知学を一切学問と認めず、研究費を打ち切ったが、原子力発電所の立地を認可するに当たっては、過去1万年の地殻変動を地質調査して報告することを義務づけている。菅前総理が浜岡原発に対して停止命令を出した根拠は、今年1月に日本地震学会が出した、今後M8以上の地震が起きる発生確率だった。確かに、その報告書には、浜岡原発地域が86%の確率で大地震が起きるということが記されていたが、福島第一原発地域は、なんと「ゼロ%」であった。将来の地震発生確率と、過去に起きた地震の痕跡との、どちらを議論すべきかは誰にでも分かる明快なこと。
そして岡村さんは、最後に、3.11のような連動型の巨大地震・巨大津波は、東日本太平洋沿岸だけでなく、南海・東南海でも起きる、1707年の宝永大地震は駿河地方から四国まで、全部連動した大規模なものだった。さらに、千島海溝の沿った北海道東岸でも起きる。これらの大地震・大津波が、いつ起きるかは分からない。しかし、両地区とも、既に相当エネルギーが溜まっているので、いつ起きてもおかしくはない。今回の規模の大津波は、どれほど堅固な防波堤を築いても無力である。ただ、ひたすら逃げるしかない。その逃げ道を、いかに確保し、普段から訓練を重ねるしかないと結んだ。