昨日、日本を代表するシンクタンクである、三菱総研、野村総研、みずほ総研、大和総研、三菱UFJ証券リサーチと、私共、富士通総研の若手第一線の研究者が集まって開催されたミニ討論会を聴講させて頂いた。テーマは、大震災以降に大きな課題となっている「電力供給問題」であった。著名な評論家や学識経験者を登壇させるTV討論会より遥かに面白く、また大変勉強にもなった。やはり、電力会社を広告主にしているTVや新聞が主催する討論会では、核心に迫った本音の議論が出来ないからである。もちろん、昨日のシンクタンク各社は民間企業であり、電力会社は、TVや新聞などメディア業界と同様、最重要顧客でもある。しかし、この日本の国難に際して、正しいと思っていることをキチンと世の中に堂々と言えないのならば、日本を代表するシンクタンクとして世間から尊敬の眼差しを向けられることはなくなるし、その政策提言も実現されることはないだろう。
もちろん、一部の週刊誌で追求されているほど、電力会社は、これまで、決して悪行ばかりを重ねて来たわけではない。戦後の日本の高度成長を陰で支えて来たのは、まさに今の電力会社である。世界で最も高い品質の電力を途絶えることなく供給する責任を、日本の電力会社は確実に果たして来た。今は、諸悪の根源のように言われている原子力発電も、化石燃料資源を殆ど持たない日本のエネルギー安全保障上、どうしても必要なものであった。しかし、今は、電力会社側からは、正しいと思っていることですら、一切何も言えない状況にある。私も、株主総会に登壇した経営者の立場から見て、これだけリスクが大きい原子力発電事業を株主を抱える民間企業が行うこと自体が、本来無理であったのかも知れないと思う。
さて、昨日のミニ討論会の結論らしきものを私なりに纏めてみると、以下の3点に絞られる。まず、第一点は、原子力発電事業は日本にとって絶対に必要なものであったということ。しかし、3.11の福島第一原発の事故は、原発継続に関わる、あらゆる弁明の余地を奪ってしまった。もはや、日本において、新たな原発の建設は不可能と思われるし、定期点検後の再稼働も極めて困難となるだろうということ。だから、今後の日本の電力供給問題は、そうした世論形勢を考慮した形で、原子力発電を代替するための手段を急いで考える必要があるだろうということ。
第二点は、太陽光発電、風力発電に代表される再生可能エネルギーは、10ー20年という時間内では、原子力発電を補完するだけの地位を築くことは全く不可能であるということ。このため、原子力発電の依存度を減らすという前提に立つならば、LNG発電や石炭ガス化発電など、CO2発生量にも考慮した化石燃料による発電の補完手段を急遽建設に着手しないと間に合わない。特に、LNGは産出国側での巨大な液化プラントを建設する必要があるのと、受け入れ側の発電所建設場所近くにも水深の深い港湾設備を建設する必要があるので、長期の時間を有するからである。
第三点は、ピーク需要を回避するための平準化施策として、需要家側からの節電インセンティブを与えるスマートメーター、スマートグリッドは、再生可能エネルギーやLNG、石炭ガスなどの化石燃料を用いた中長期的な時間を要する原子力発電の補完施策を補うために有効な措置として至急検討していく必要がある。このためには、電力会社が猛反対している発電と送配電の分離を行うことが大前提となり、再生可能エネルギーの問題以上に急いで着手しなければならない問題であるということ。
さて、私が住んでいたカルフォルニアもそうだったが、欧米の先進国と日本の電力供給体制は大きく、以下の3点で異なっている。まず第一点は、欧米先進国では、どの国でも発電と送配電が分離しているということ。電力料金は市場が決める。日本のようにコストから売値を決める制度ではない。日本の場合は、どんなに稼働率が低くても、どれほど生産性が低くても、設備投資は、どんどん行われる。全て原価に組み入れられるので、損失を出す経営リスクがないからだ。だからこそ、停電がない安定な電力を供給できるのだと電力会社は、「停電の恐怖」で我々に脅しをかけてきた。しかし、今、電力会社自身も、まさに効率を要求される事態となっている。
第二点は、一般商用電源として未だに100V供給を行っているのは、日本と北朝鮮だけであるということ。韓国は、10年ほど前に全て、100Vから200Vに置き換えた。我が家でも、一部の広い部屋のエアコンだけは200Vにしているが、静かでパワフルで電気代も少なくて済む。100V駆動に比べて、200Vは効率が高い。英国など一部の欧州では、一般商用電源として440Vまで高めた電力供給を行っている。福島第一原発の事故で全電源を失った時に、日本中から集められた緊急電源車は100Vか200Vだったが、GE製の1号機が要求していた電圧は440Vだったので、折角の電源車も繋ぐことが出来なかったという、深刻過ぎて笑えない話もある。
そして第三点は、欧米先進国では、どの国も電力供給会社とガス供給会社は一体化した一つの会社である。特に、欧米の緯度の高い地域は、冬の暖房も地域集中暖房となっている。そこで、ガスを燃やして発電をするというコジェネは、電力とガスを供給する一体会社が最適な形で行う。日本のように、電力会社とガス会社が顧客獲得を競うなどというバカな光景は世界では見ない。多くのTV広告費を使った、あの「オール電化」キャンペーンは、節電を叫んでいる今、改めて思い返すと詐欺としか思えない。最も、これも、別に電力会社が悪いわけではなく、欧米先進国からは半世紀も遅れてしまった政府のエネルギー政策の不作為の罪である。電力会社とガス会社を別々に存在させれば無駄な競争をするのは必然である。
いつも、日本では、何が正しいかという議論が延々と続いてサッパリ結論が出ない。その結果、世界から取り残され、江戸の鎖国の時代に戻ってしまった。1980年代の「Japan as No1」という称賛の言葉で、日本は世界とのベンチマークテストを一切行わなくなった。失われた20年ということはそう言うことである。世界の殆ど全ての国が採用している制度で、日本だけが行っていないとすれば、それについては、正しいとか間違っているとかという議論は全く無用である。それは、明らかに日本の制度が間違っている、あるいは遅れていると思った方が良い。あの大震災と、福島第一原発の事故が契機となって、日本を変えようということは、日本を世界の標準に合わせようということだと思った方が良い。もはや、議論なんて要らない。ただ、真似て実行するのみだ。