2011年7月 のアーカイブ

64 日本の電力供給問題を考える

2011年7月20日 水曜日

昨日、日本を代表するシンクタンクである、三菱総研、野村総研、みずほ総研、大和総研、三菱UFJ証券リサーチと、私共、富士通総研の若手第一線の研究者が集まって開催されたミニ討論会を聴講させて頂いた。テーマは、大震災以降に大きな課題となっている「電力供給問題」であった。著名な評論家や学識経験者を登壇させるTV討論会より遥かに面白く、また大変勉強にもなった。やはり、電力会社を広告主にしているTVや新聞が主催する討論会では、核心に迫った本音の議論が出来ないからである。もちろん、昨日のシンクタンク各社は民間企業であり、電力会社は、TVや新聞などメディア業界と同様、最重要顧客でもある。しかし、この日本の国難に際して、正しいと思っていることをキチンと世の中に堂々と言えないのならば、日本を代表するシンクタンクとして世間から尊敬の眼差しを向けられることはなくなるし、その政策提言も実現されることはないだろう。

もちろん、一部の週刊誌で追求されているほど、電力会社は、これまで、決して悪行ばかりを重ねて来たわけではない。戦後の日本の高度成長を陰で支えて来たのは、まさに今の電力会社である。世界で最も高い品質の電力を途絶えることなく供給する責任を、日本の電力会社は確実に果たして来た。今は、諸悪の根源のように言われている原子力発電も、化石燃料資源を殆ど持たない日本のエネルギー安全保障上、どうしても必要なものであった。しかし、今は、電力会社側からは、正しいと思っていることですら、一切何も言えない状況にある。私も、株主総会に登壇した経営者の立場から見て、これだけリスクが大きい原子力発電事業を株主を抱える民間企業が行うこと自体が、本来無理であったのかも知れないと思う。

さて、昨日のミニ討論会の結論らしきものを私なりに纏めてみると、以下の3点に絞られる。まず、第一点は、原子力発電事業は日本にとって絶対に必要なものであったということ。しかし、3.11の福島第一原発の事故は、原発継続に関わる、あらゆる弁明の余地を奪ってしまった。もはや、日本において、新たな原発の建設は不可能と思われるし、定期点検後の再稼働も極めて困難となるだろうということ。だから、今後の日本の電力供給問題は、そうした世論形勢を考慮した形で、原子力発電を代替するための手段を急いで考える必要があるだろうということ。

第二点は、太陽光発電、風力発電に代表される再生可能エネルギーは、10ー20年という時間内では、原子力発電を補完するだけの地位を築くことは全く不可能であるということ。このため、原子力発電の依存度を減らすという前提に立つならば、LNG発電や石炭ガス化発電など、CO2発生量にも考慮した化石燃料による発電の補完手段を急遽建設に着手しないと間に合わない。特に、LNGは産出国側での巨大な液化プラントを建設する必要があるのと、受け入れ側の発電所建設場所近くにも水深の深い港湾設備を建設する必要があるので、長期の時間を有するからである。

第三点は、ピーク需要を回避するための平準化施策として、需要家側からの節電インセンティブを与えるスマートメーター、スマートグリッドは、再生可能エネルギーやLNG、石炭ガスなどの化石燃料を用いた中長期的な時間を要する原子力発電の補完施策を補うために有効な措置として至急検討していく必要がある。このためには、電力会社が猛反対している発電と送配電の分離を行うことが大前提となり、再生可能エネルギーの問題以上に急いで着手しなければならない問題であるということ。

さて、私が住んでいたカルフォルニアもそうだったが、欧米の先進国と日本の電力供給体制は大きく、以下の3点で異なっている。まず第一点は、欧米先進国では、どの国でも発電と送配電が分離しているということ。電力料金は市場が決める。日本のようにコストから売値を決める制度ではない。日本の場合は、どんなに稼働率が低くても、どれほど生産性が低くても、設備投資は、どんどん行われる。全て原価に組み入れられるので、損失を出す経営リスクがないからだ。だからこそ、停電がない安定な電力を供給できるのだと電力会社は、「停電の恐怖」で我々に脅しをかけてきた。しかし、今、電力会社自身も、まさに効率を要求される事態となっている。

第二点は、一般商用電源として未だに100V供給を行っているのは、日本と北朝鮮だけであるということ。韓国は、10年ほど前に全て、100Vから200Vに置き換えた。我が家でも、一部の広い部屋のエアコンだけは200Vにしているが、静かでパワフルで電気代も少なくて済む。100V駆動に比べて、200Vは効率が高い。英国など一部の欧州では、一般商用電源として440Vまで高めた電力供給を行っている。福島第一原発の事故で全電源を失った時に、日本中から集められた緊急電源車は100Vか200Vだったが、GE製の1号機が要求していた電圧は440Vだったので、折角の電源車も繋ぐことが出来なかったという、深刻過ぎて笑えない話もある。

そして第三点は、欧米先進国では、どの国も電力供給会社とガス供給会社は一体化した一つの会社である。特に、欧米の緯度の高い地域は、冬の暖房も地域集中暖房となっている。そこで、ガスを燃やして発電をするというコジェネは、電力とガスを供給する一体会社が最適な形で行う。日本のように、電力会社とガス会社が顧客獲得を競うなどというバカな光景は世界では見ない。多くのTV広告費を使った、あの「オール電化」キャンペーンは、節電を叫んでいる今、改めて思い返すと詐欺としか思えない。最も、これも、別に電力会社が悪いわけではなく、欧米先進国からは半世紀も遅れてしまった政府のエネルギー政策の不作為の罪である。電力会社とガス会社を別々に存在させれば無駄な競争をするのは必然である。

いつも、日本では、何が正しいかという議論が延々と続いてサッパリ結論が出ない。その結果、世界から取り残され、江戸の鎖国の時代に戻ってしまった。1980年代の「Japan as No1」という称賛の言葉で、日本は世界とのベンチマークテストを一切行わなくなった。失われた20年ということはそう言うことである。世界の殆ど全ての国が採用している制度で、日本だけが行っていないとすれば、それについては、正しいとか間違っているとかという議論は全く無用である。それは、明らかに日本の制度が間違っている、あるいは遅れていると思った方が良い。あの大震災と、福島第一原発の事故が契機となって、日本を変えようということは、日本を世界の標準に合わせようということだと思った方が良い。もはや、議論なんて要らない。ただ、真似て実行するのみだ。

63 太陽光発電買取制度の罠

2011年7月13日 水曜日

菅総理は、再生可能エネルギー促進のため、主として太陽光発電買取制度の拡充を図る立法措置を、その花道にしようとされている。今のまま、歴史に名を残すことは耐えられないからだろう。果たして、この太陽光発電買取制度の拡充は、混迷を続けた政権の最後の仕上げとなる歴史的な業績になるのだろうか? もう一度、世界に先立って太陽光発電買取制度の拡充を行い、大きな失敗をしたスペインとドイツの例を良く勉強してみるべきだろう。

スペインは、2007年に1KWあたり、0.4ユーロという非常に高い買取価格を保証し、太陽光発電設備への投資を促した。時は、丁度、スペイン全体が住宅投資で根拠なき喧騒に包まれていた。丁度、私も、この時期にスペインを訪れたのだが、何故、スペインが、これほどの好景気に湧いているのか全く理由が判らなかった。突然、スペインの国際競争力が増したとは全く聞いていなかったし、多分、南米の新興国市場との関係があるのかと推察するのが精一杯だった。

しかし、今から振り返れば、その実態は単なる住宅バブルに過ぎなかった。丁度、同じ時期にスペインでは太陽光発電バブルも起きていた。2007年にスペイン政府が打ち出した太陽光発電買取制度によって、2006年には、10万KWにも満たなかった太陽光発電設備の建設が、2007年には100万KW、2008年には、何と470万KWもの巨大な太陽光発電設備が建設された。太陽光がさんさんと降り注ぐスペインの大地、突如巨大な太陽光発電設備が建設されたのだった。

その後、リーマンショック後の欧州経済危機から、スペインの財政難が大きな問題として顕在化すると、突如、太陽光発電買取制度の大幅な見直しが入った。その結果、2009年に建設された太陽光発電設備は、たったの25万KWに過ぎず、2010年には、100万KWにまで回復したものの、あの太陽光発電バブルの再来は、もはやない。なぜなら、財政難で苦しむスペイン政府は、太陽光発電設備に対して供給量制限を促したからである。こうなると、未だコストの高い太陽光発電設備を、積極的に建設するインセンティブはスペインにはもはやない。

一方、ドイツでは、スペインに先立って2000年から太陽光発電買取制度を導入し、民間活力による太陽光発電設備投資の積極的な促進を図ってきた。2000年に、ドイツ政府が示した最初の太陽光発電の買取価格は初年度で、1KWあたり0,48ユーロ、20年後には0.42ユーロと、緩やかに傾斜して価格は下がるが長期的な買取保証を行った。それでも、太陽光発電設備の価格は、その買取価格に見合う投資効果が見られなかったので、2003年までの数年間は年間数万KWの太陽光発電設備しか建設されなかった。

これに、業を煮やしたドイツ政府は、2004年から買取価格を一気に上げた。2005年には、1KWあたり、初年度で0.5ユーロ、20年後でも0.45ユーロまで引き上げたのだ。丁度、ドイツではQ-Celという地元の太陽光発電メーカーが育ちつつあり、建設コストも大幅に下がって来たので、2009年、2010年と2年続けて、年間300万KWというハイペースで太陽光発電設備の建設投資が行われた。その結果、ドイツの太陽光発電設備は、トータルで1,100万KWもの巨大なものとなった。ここまでは、ドイツの太陽光発電政策の光の部分である。

要は、ドイツの太陽光発電設備の建設ラッシュは、当初の政府の見積もりを大幅に超えてしまったのである。ドイツでは、日本と異なり発電事業と送配電事業は分離されているので、電力価格は市場が決める。当然、太陽光発電の発電コストは他の発電価格よりもかなり高いので、その差額はドイツ政府が補填してきた。そして、年間300万KWともなると、その補填額は、年間200億ユーロにもなった。

もう流石のドイツ政府も耐えられなくなって、2010年買取価格を大幅に下げた。初年度で0.3ユーロ、20年後には0,24ユーロと2005年の時の半分だ。この10年間にドイツ政府が太陽光発電のために補填してきた総額は、800億ユーロにも上る。やはり、市場原理を無視して無理なことをすれば、財政は破綻する。そのため、2010年以降、ドイツの太陽光発電設備の建設は大幅に縮小するだろうと言われている。

さて、振りかえって、日本に、既に大きな失敗をしたドイツやスペインのような太陽光発電買取制度を導入したら、一体どうなるか考えてみよう。日本では、ドイツやスペインと異なり、発電事業と送配電事業は分離されていない。と言うことは、この太陽光発電で生産された電力は、今の九電力会社が買い取ることになる。つまり、日本の場合には、電力料金の決定に市場原理が働かないので、太陽光発電買取制度を導入しても、政府が差額を補填する必要はない。つまり、日本ではドイツやスペインのように財政難になる事はないと言うわけだ。ところが、その差額は電気料金の中に組み込まれ企業や家庭が支払う事になる。今でも、韓国の3倍もする電気料金が、これ以上高くなるならば、日本での製造業はもはや成立しない。

今、太陽光発電買取制度の導入を声高に叫んでる人達は、スペインで起こったような太陽光発電バブルを期待しているのではないだろうか。再生可能エネルギー問題という人類にとって崇高な事業を、あのサブプライムローンと同格の「投機事業」にしてはならない。真面目に汗をかいて働く工場労働者の職場を全て奪った結果が、あのアメリカの格差社会である。オバマ大統領は、盛んにアメリカの製造業の再生に政治生命をかけている。ウオールストリートからメインストリートへ、虚業から実業へが、彼のスローガンである。だから虚業を専門とする人達の、その投機のために、日本の製造業を滅茶苦茶に破壊させてはならない。

しかし、ポスト原発の後の、再生可能エネルギーの問題は極めて重要である。環境先進国である、EUは、もう既に菅総理が考える構想の次のステージに向かって走っている。北欧、中欧、南欧と北アフリカを結ぶ、一大送電網を建設し、その地域の特性に合った、再生可能エネルギーで発電し、相互に補完し合おうという構想である。北欧は、風力、潮力、水力発電。中欧は水力、南欧は太陽光、そして北アフリカの砂漠地帯には壮大な太陽熱発電設備を建設する。太陽光発電より遥かに効率の良い太陽熱でお湯を沸かして発電する構想だ。

実は、日本は北海道と青森以外は風力発電には適していない。太陽光発電は、豪雪地帯には向かないし、第一、モンスーン気候帯にある日本は、年間の日照時間が極めて少ない。また、木造家屋の屋根に重い太陽光発電設備を載せるのが、いかに危険か、今回の東日本大震災は証明した。日本にとっては、どういう組み合わせで再生可能エネルギーの問題に対処すべきか、もっと真剣に、多くの人達の議論をすべきである。世界で何が起きているか良く見てみよう。脱原発=太陽光発電という、日本が得意な集団ヒステリーは、もう、そろそろ、こりごりだ。

62 もう一つの原子力政策

2011年7月10日 日曜日

私は、40年の会社生活の後半半分の20年は、主として海外相手のビジネスだった。米国に3年駐在した後、欧州総代表となり、最後には海外ビジネス全般を統括する立場になった。その20年間で、海外に、多くの知己を得ることができた。その海外ビジネスにおいては、昼間はビジネスのことで、どんなに厳しい議論をした後でさえ、それをディナーまでは引きずらず、もはやビジネスの議論はしない。その代わりに、政治・経済、歴史や文化の話をすることが多い。従って、このディナーでの会話は、昼間のビジネス以上に厳しいものがある。海外の経営者達は、いわば、このディナーにて、相手の人間力のレベルの瀬踏みをするのである。

そういう意味で、いわゆる一流のグローバル企業のTOPは、こうした会話で全く臆することがない。毎年、スイスのダボスで開催される、WEF(世界経済フォーラム)でも、パネリストとして登壇し、難解な議論に対しても原稿なしで、その場で、自分の考えを堂々と述べる。私が居る職場、富士通総研の理事長である、野中郁次郎先生は、グローバル企業の経営者にとって一番大事な資質は、リベラルアーツ(一般教養)だと仰っているが、全くその通りだと思う。よく英語力の問題が問われるが、問題は、会話の中身、つまりコンテクストの問題である。ところがである。こうした海外の経営TOPと話す話題は、日本で議論している内容と全く異なる話題であることが多い。その多くが、日本ではタブーとなっている議論、即ち、国の安全保障(国防)の議論である。

今回の福島第一原発の事故を考えてみると、日本では原発事故は絶対に起きないこと、起きてはならないことであった。つまり、原子力発電事業において、「有事」は想定されていなかった。このことが、現実に事故が起きた時の、あの大混乱を引き起こした最大の原因である。この初動ミスが、今は、民主党政権の責任にされているが、多分、自民党政権でも大同小異だったに違いない。なぜなら、原子力発電所の事故は、もともとあり得ないこと、想定外のことだったからだ。

つまり、戦後の新憲法で定められた第九条で戦争を放棄した日本には「有事」は絶対にあってはならないのだ。「有事」は絶対にあってはならないので、全て「無事」に済まそうとする。つまり、「有事」は起きないことにしてきたのだ。一方、海外でグローバル企業の経営TOPと議論をしている時の大前提は「有事」は必ず起きると言うことだ。つまり、他国からの侵略戦争は必ず起きるという前提である。これは、自分自身が、戦争放棄しようが、どんなに平和主義者に徹底しようが一切お構い無しである。

さて、今回、福島第一原発の審査にやってきたIAEAという組織とは一体どう言う組織だろうか。原子力の平和利用を促進し、原子力発電の安全性を審査すると共に、核拡散防止条約の履行がキチンと行われているか監視する組織でもあり、その本部はオーストリアのウイーンにある。一般的な世界での合意事項として、平和に関わる世界機関の本部はジュネーブに、戦争に関わる世界機関の本部はウイーンに置くことになっている。IAEAも、OPECの本部もウイーンにある。だからオーストリアは、アメリカがならず者と呼ぶ北朝鮮、イラン、リビアとも正式な国交を持っていて、その国からの訪問者も堂々とオーストリアには入国できる。つまりIAEAとは、戦争に深く関わる組織なのだ。

ところで、原子力発電は核の平和利用と言われているが、その運転中に核兵器の原料であるプルトニウムを産出するので、アメリカは、ならず者が原子力発電に手を染めることを恐れている。そのために、イランや北朝鮮が原子力発電に手を付けることを厳しく妨げてきた。さて日本は、51ヶ所の原子力発電所があり、既に40年の歴史を持っている。だから、日本は既に大量の核兵器を保有するに十分なプルトニウムを保有しているのだ。そして、その保有量は、既に核保有国である米、ロ、英、仏、中国に次いで最大の量である。既に核保有国となっている、インドやパキスタンより遥かに多い。私がディナーで議論をしている、海外の経営者達の多くが、日本は、その高度な技術保有から、意思決定さえすれば、最長でも、45日以内に核保有国となれると言っている。つまり、日本は、海外から見たら既に立派な「潜在的核保有国」なのである。

この日本が「潜在的核保有国」であると言うことは、どうも海外では一般的な常識らしい。その証拠として、IAEAの核兵器拡散防止のための審査員は、その総数の30%が日本に割り当てられている。もちろん、この割当量は世界最大である。これは、イランや北朝鮮より遥かに高い核兵器を保有する可能性を持つ国として、日本が世界から恐れられている証拠である。そして、これは日本にとっては、まんざら悪いことではない。つまり、日本は、核を保有しないまま、核保有国並の抑止力を持っていると言うことでもある。日本を怒らせたら大変なことになるという意味で世界は日本に対して敬意を表せざるを得ない理由となっている。

そして、さらに重要なことは、核兵器の運搬能力である。ご存知のように、米国と共同開発している宇宙ステーションや「はやぶさ」の成功でみせた日本の技術力は、既に世界の宇宙開発競争にて第一級のレベルにある。先日も、JAXAの立川理事長から興味ある話を聞いた。実は、立川さんがJAXAの理事長の就任される直前、日本の衛星打ち上げは失敗続きだった。それが立川さんに成られてから、全て成功となった。立川さんに言わせれば、これには理由があるのだと言う。つまり、日本のロケット開発は固定燃料から始まった。この結果、日本は固定燃料を用いたロケット開発技術は完全に確立することが出来た。しかし、燃料効率から言えば、液体燃料の方が圧倒的に優位であり、世界の先進ロケット開発は全て既に液体燃料になっているとのことなのだ。

そういうこともあって、JAXAも液体燃料に切り替えたが、なかなか上手くいかず失敗続きだったのだと言う。それが、立川さんが理事長に就任したころ、ようやく日本も液体燃料技術を確立したので、安定して成功できるようになったわけで、決して自分の手柄ではないと立川さんらしい謙虚な言い訳であった。ところが、この後で、立川さんから大変な話を聞いた。つまり、液体燃料とは液体水素なのだが、水素は長時間安定的に格納しておくことが出来ないので、ロケット発射24時間前に燃料注入を開始し、燃料注入時間だけで20時間以上も掛かるのだと言う。つまり、液体燃料ロケットは兵器には使えないのだ。敵が攻めてきたのに、燃料注入時間だけで20時間もかかっていたら戦争は完全に敗北である。しかし、日本は、この固体燃料ロケット技術については完全に確立したので、全く心配はなく、今や、安心して液体燃料ロケット開発に専念できるのだと言う。つまり、日本は45日以内に核保有国になれるだけでなく、核兵器の運搬能力も既に確立していたのである。

日本では、こうした会話は、全くタブーの議論であり、私も、およそどこでも聞いたこともないし、したこともない。しかし、日本の常識は世界の非常識であるとも言われている。少なくとも、世界のグローバル企業のTOP達は、こうした議論を日常的にしていると思った方が良い。日本が、アジアで唯一G7にも参加でき、世界で、それなりに尊敬され、敬意を受けているのは、日本が経済的にアメリカに次いで、世界で第二位の経済大国だっただけではないらしい。日本政府が、あれほどの巨額の大金を注ぎ込み、原子力政策を邁進してきたのは、エネルギーの安全保障だけが唯一の目的だったのだろうか。とにかく、日本では、こうした議論は一切タブーなので、そうした推論が正しいのかどうかも全く知る由もない。