ミュンヘン空港へ着くと、ANAの日本人職員から、ドイツ人の空港職員が日本から到着した航空機に近づくのを怖がっていることを聞いた。そのため、到着すると直ぐに機体の放射線チェックを行い、同時に乗客が預けた荷物も飛行機から持ち出す前にチェックしているとの事だった。確かに、バゲージ・カウンターで待っていると、先にクルーの荷物が出て来て、乗客の荷物は中々出てこない。多分、クルーの荷物は事前に放射線チェックが済んでいるのだろう。やはり、いつもと違う異様な光景である。
3月16日の福島原発1号機の水蒸気爆発を受けて、ルフトハンザはドイツから成田空港への直行便をやめ、韓国の仁川行きに変更した。今は、ようやく成田空港まで来るようになったが、最終到着地は相変わらず仁川である。つまり、フランクフルトー成田ー仁川という経路で毎日飛んでいる。ドイツ人乗員が福島原発に近い成田空港に宿泊するのを怖がっているからだ。ドイツは、三陸への救急援助隊も3月16日に本国に引き返す命令を出した。
ドイツは科学技術の先進国であり、何でも理詰めで行動するドイツ人はデマや流言飛語を信じたりする人達ではない。このミュンヘンに来て判ったことは、ドイツ人は、あのチェルノブイリの原発事故に対して異常なほどの恐怖心、すなわちトラウマを持っていることである。彼らは、別に日本や日本人に対して特別な偏見を持っているわけではなく、とにかく、あのチェルノブイリを思い出すと居ても立っても居られないのだ。その証拠に、ドイツでは、今もなおキノコとイノシシは食べないのだという。
しかし、ドイツからチェルノブイリは十分に距離がある、遠い彼方である。むしろ、ポーランドやチェコの方がドイツよりずっとチェルノブイリに近いのに、彼らはドイツ人のようなトラウマを持っているようには見えないという。何故なのか? さて、よく思い出してみよう。あのチェルノブイリ事故は未だベルリンの壁がしっかり存在していた東西冷戦時代の出来事であった。今は統一された東ドイツは、その冷戦の壁の東側にあった。
西ドイツが西側経済圏のリーダーであったように、東ドイツは東側経済圏の確固たるリーダーだった。当然、東ドイツは東欧諸国だけでなく、チェルノブイリがあったウクライナを含むソ連邦の各地まで活発なビジネスを行っていたに違いない。つまり、チェルノブイリは東ドイツの日常的な経済活動範囲の中にあったのだ。多分、東ドイツは、この事故で犠牲者を出したに違いない。しかし、当時の状況の中では、彼らは正しい情報を適切な時期に得ることが出来なかった。そのことこそが、ドイツ人のチェルノブイリに対するトラウマの本質であろう。そして、想像するに、このトラウマこそがベルリンの壁を破壊するエネルギーになったのかも知れない。だからこそ、ドイツは先進国の中で原発に対して最も厳しい国民となった。
そう考えると、この度の福島原発に関するドイツの一連の行動を理解する事が出来る。正しい情報を「知らされないことへの恐怖」が、未だに彼らのトラウマになっている。私たちは、チェルノブイリ事故を身近に自分の問題として体験したドイツの人々の考え方に学ばなくてはならないことが沢山ある。正しい情報とは、座して待っていれば自動的に得られるものではない。自らの目と耳と頭をフルに使って何が正しい情報かを見極めることが重要だ。さらに今回の福島原発事故では、「知らされないことへの恐怖」を自ら体得している中国の人々が日本から一斉に帰国したことも、多くの本質を物語っている。彼らは、自国の公式情報と同様に他国の公式情報をも信じてはいない。