今回の大津波の襲来に際して、多くの三陸海岸の小学生たちが父祖伝来の教訓である「てんでんこ」を守って助かったというニュースを聞き、「よかったな」と思うのと、こうした地元の知恵がきちんと受け継がれていることに心から感動をした。「てんでんこ」とは、「他人のことは構わず自分のことだけ考えて“てんでんばらばらに”逃げろ!」と言う意味である。明治三陸大津波の際に、親が子供を、子供が親を、夫が妻を、妻が夫を助けようとして共に命を失った悲劇から生まれた三陸地方の貴重な教訓だと言う。
一方、働き盛りで未だ小さな子供を持つ父親であり、地区の役員であった責任感から、家族だけを先に避難させて、自らは弱者である地区のお年寄りを助けに向かい命を落とした方が数多くおられるという。子供とともに残された奥様は、夫の判断が本当に正しかったのか「未だに納得できていない」と無念さを語る。もちろん、命の大事さを比較することは出来ないが、小学生達が忠実に守った「てんでんこ」の教訓は「大人の良識」によって生かされることはなかったのだ。
私の母方の曾祖母は、母が生まれる前に既に東京へ出てきていたが、故郷の石巻で明治三陸大津波に遭っている。私は、小さいときに、曾祖母の膝の上で津波の恐ろしさを何度も聞かされた。「お前、地鳴りを立てて海の水が引いていくんだよ。遠くの水平線まで海の底が見えてから一生懸命に走って山に逃げたんだ。世の中に津波ほど恐ろしいものはないね。」と言った。自然の前で無力な人間は、大津波の前では、平常時の倫理観では生き残れないということを「てんでんこ」の教訓は物語っている。
一昨年、私は地区の自治会の防災委員になった。せっかく、役員をするなら、今後に役に立つものをと思って防災委員に応募し可能な限り積極的に活動に参加し、横浜市の家庭防災員の資格をとるための研修も受けた。これらの活動や研修は大変役に立った。まず、最初に教えられたのが、「自助、共助、公助」の概念である。大災害が発生したときには、その初期段階にあって「公助」は、殆ど期待できないという前提に立たなければならないという。阪神淡路大震災においても救助された方の9割は「共助」だったという。大災害では、最初に公共インフラが麻痺するから「公助」に期待できないのは仕方がない。そして、「共助」を的確に行うためには、まず「自助」が一番大切であることを教えられた。
そして、次に学んだことは、防災に関して言えば、「座学」だけでは何の役にも立たないということである。実際にやってみないと知識だけでは役にたたない。例えば、最近、駅や学校、デパートなど公共施設に数多く設置されているAED(自動体外式除細動器)の使い方である。私達、家庭防災員の研修生達の中で、横浜市消防局の方から説明を聞いて一度で完璧に出来た方は殆ど居なかったのだ。大体、心臓マッサージをする位置からして間違っている。心臓は左側にあるのではない。なんと真ん中にあるのだ。そして、その押す強さも、強すぎれば胸骨を折ってしまうし、弱すぎれば何の役にもたたない。AEDというハードウエアを、いかに数多く配備しても、使い方というソフトウエアを皆に教え込まないと全く役には立たないのである。
また、「まさか」とか「ありえない」ことは、やはりいつか起きるのだ。私達が、過去の大災害について学び、将来に備えることは決して無駄ではない。こうしている間にも、東海、東南海地震と、それに伴う大津波が着々と、その準備をしているかも知れない。その意味で、9.11テロ事件やハリケーン・カトリーナにおいて、災害時における人々の行動を徹底的に分析した、アマンダ・リプリー著の「生き残る判断、生き残れない行動:原題 The Unthinkable」は大変参考になる本である。
この本を読むと、巷で、よく言われていることが、必ずしも正しくないことがわかる。例えば、「災害が起きた時は、慌てるな!、落ち着いて!、冷静に行動すべし!」と言う教訓である。しかし、9.11で世界貿易センタービルで助からなかった人々は、慌てずに、落ち着いて、冷静に行動した人たちだという。彼らの多くは、飛行機がビルに突っ込んだ後も、トレーディング端末の画面を注視し、仕事を続けていたのだという。ハリケーン・カトリーナでも同様で、ニューオリンズで命を落とした人の多くは、貧しくて移動手段を持たなかった人でもなく、障害で街から動けなかった人でもなく、元気で聡明な高齢者達だった。彼らは、ニューオリンズで長く暮らした豊かな経験を持っていたので、州当局が避難しろと言っても、その命令には従わなかったのだ。「こんなこと、今までにも、何度もあった。大丈夫だ。皆、何を恐れている、何で慌てているんだ」と言って街から避難しなかった人たちが皆命を落としたのだ。
そうだ。防災に関して、我々は、何が常識で、何が非常識なのか? もう一度、よく点検しなくはならない。例えば、IKEA-Japanを立ち上げられたクルバーグ氏が、IKEAの日本進出で苦しんだと言っていた日本の消防法のことをとりあげたい。IKEAは日本に5店舗持っているが、年間来客数は延べ3000万人。1店舗で1日、約4万人の来客がある。クルバーグ氏が一番心配するのは、火災時の来店客の避難である。クルバーグ氏の指摘は、日本の消防法が建物の類焼を恐れて随所に小区画をつくるための防火壁や防火シャッターを義務付けていることだ。つまり、日本の消防法は、人が逃げることを第一義に考えていないという。全世界にIKEAの大規模店舗を築いてきたやり方からすると、「日本の消防法は、人よりも建物を大事にする法律ですね。」とクルバーグ氏は大いに怒る。