2011年3月 のアーカイブ

13. てんでんこ 

2011年3月31日 木曜日

今回の大津波の襲来に際して、多くの三陸海岸の小学生たちが父祖伝来の教訓である「てんでんこ」を守って助かったというニュースを聞き、「よかったな」と思うのと、こうした地元の知恵がきちんと受け継がれていることに心から感動をした。「てんでんこ」とは、「他人のことは構わず自分のことだけ考えて“てんでんばらばらに”逃げろ!」と言う意味である。明治三陸大津波の際に、親が子供を、子供が親を、夫が妻を、妻が夫を助けようとして共に命を失った悲劇から生まれた三陸地方の貴重な教訓だと言う。

一方、働き盛りで未だ小さな子供を持つ父親であり、地区の役員であった責任感から、家族だけを先に避難させて、自らは弱者である地区のお年寄りを助けに向かい命を落とした方が数多くおられるという。子供とともに残された奥様は、夫の判断が本当に正しかったのか「未だに納得できていない」と無念さを語る。もちろん、命の大事さを比較することは出来ないが、小学生達が忠実に守った「てんでんこ」の教訓は「大人の良識」によって生かされることはなかったのだ。

私の母方の曾祖母は、母が生まれる前に既に東京へ出てきていたが、故郷の石巻で明治三陸大津波に遭っている。私は、小さいときに、曾祖母の膝の上で津波の恐ろしさを何度も聞かされた。「お前、地鳴りを立てて海の水が引いていくんだよ。遠くの水平線まで海の底が見えてから一生懸命に走って山に逃げたんだ。世の中に津波ほど恐ろしいものはないね。」と言った。自然の前で無力な人間は、大津波の前では、平常時の倫理観では生き残れないということを「てんでんこ」の教訓は物語っている。

一昨年、私は地区の自治会の防災委員になった。せっかく、役員をするなら、今後に役に立つものをと思って防災委員に応募し可能な限り積極的に活動に参加し、横浜市の家庭防災員の資格をとるための研修も受けた。これらの活動や研修は大変役に立った。まず、最初に教えられたのが、「自助、共助、公助」の概念である。大災害が発生したときには、その初期段階にあって「公助」は、殆ど期待できないという前提に立たなければならないという。阪神淡路大震災においても救助された方の9割は「共助」だったという。大災害では、最初に公共インフラが麻痺するから「公助」に期待できないのは仕方がない。そして、「共助」を的確に行うためには、まず「自助」が一番大切であることを教えられた。

そして、次に学んだことは、防災に関して言えば、「座学」だけでは何の役にも立たないということである。実際にやってみないと知識だけでは役にたたない。例えば、最近、駅や学校、デパートなど公共施設に数多く設置されているAED(自動体外式除細動器)の使い方である。私達、家庭防災員の研修生達の中で、横浜市消防局の方から説明を聞いて一度で完璧に出来た方は殆ど居なかったのだ。大体、心臓マッサージをする位置からして間違っている。心臓は左側にあるのではない。なんと真ん中にあるのだ。そして、その押す強さも、強すぎれば胸骨を折ってしまうし、弱すぎれば何の役にもたたない。AEDというハードウエアを、いかに数多く配備しても、使い方というソフトウエアを皆に教え込まないと全く役には立たないのである。

また、「まさか」とか「ありえない」ことは、やはりいつか起きるのだ。私達が、過去の大災害について学び、将来に備えることは決して無駄ではない。こうしている間にも、東海、東南海地震と、それに伴う大津波が着々と、その準備をしているかも知れない。その意味で、9.11テロ事件やハリケーン・カトリーナにおいて、災害時における人々の行動を徹底的に分析した、アマンダ・リプリー著の「生き残る判断、生き残れない行動:原題 The Unthinkable」は大変参考になる本である。

この本を読むと、巷で、よく言われていることが、必ずしも正しくないことがわかる。例えば、「災害が起きた時は、慌てるな!、落ち着いて!、冷静に行動すべし!」と言う教訓である。しかし、9.11で世界貿易センタービルで助からなかった人々は、慌てずに、落ち着いて、冷静に行動した人たちだという。彼らの多くは、飛行機がビルに突っ込んだ後も、トレーディング端末の画面を注視し、仕事を続けていたのだという。ハリケーン・カトリーナでも同様で、ニューオリンズで命を落とした人の多くは、貧しくて移動手段を持たなかった人でもなく、障害で街から動けなかった人でもなく、元気で聡明な高齢者達だった。彼らは、ニューオリンズで長く暮らした豊かな経験を持っていたので、州当局が避難しろと言っても、その命令には従わなかったのだ。「こんなこと、今までにも、何度もあった。大丈夫だ。皆、何を恐れている、何で慌てているんだ」と言って街から避難しなかった人たちが皆命を落としたのだ。

そうだ。防災に関して、我々は、何が常識で、何が非常識なのか? もう一度、よく点検しなくはならない。例えば、IKEA-Japanを立ち上げられたクルバーグ氏が、IKEAの日本進出で苦しんだと言っていた日本の消防法のことをとりあげたい。IKEAは日本に5店舗持っているが、年間来客数は延べ3000万人。1店舗で1日、約4万人の来客がある。クルバーグ氏が一番心配するのは、火災時の来店客の避難である。クルバーグ氏の指摘は、日本の消防法が建物の類焼を恐れて随所に小区画をつくるための防火壁や防火シャッターを義務付けていることだ。つまり、日本の消防法は、人が逃げることを第一義に考えていないという。全世界にIKEAの大規模店舗を築いてきたやり方からすると、「日本の消防法は、人よりも建物を大事にする法律ですね。」とクルバーグ氏は大いに怒る。

12.世界のエネルギー・リーダー達 

2011年3月29日 火曜日

福島第一原子力発電所の事故は、安定収束に向けて、未だに解決の道を見出せないでいる。しかし幸いなことに、大気中の放射能濃度を示すモニターの値は、3月16日早朝のピーク時の3分の一以下になり、この2-3日は安定状態を保っている。関係者の捨て身の努力のお陰だと心から感謝したい。相変わらずマスコミは、炉心を水で冷やすことと、溢れた水が土壌や海水に漏れることの両方を解決すべしと無理難題を言っている。ここは、まずは炉心を冷やすことが唯一最大の目的ではないのかと思うのは私だけだろうか。課題の優先順位を明確にしないと、収束を一層遅らせることになる。そして、これほど難しい原子力発電所を、かなりの無理をしてまで作らざるを得なかったのは、やはり日本を含めて世界全体が抱えているエネルギー問題がいかに深刻であるかを物語っている。今日は、このエネルギー問題に関して世界のリーダー達がどんなことを言っているのかについてご紹介したい。

昨年まで毎年参加していた、スイスで開かれるダボス会議。そこで、エネルギーの専門家として必ずパネルディスカッションに登場するのは、英国の石油メジャーであるBPのTony Hayward CEOと、米国の電力会社 Duke Energy社のJames E. Rogers CEOだった。この二人は、エネルギー業界のCEOとしては珍しく地球温暖化防止のために過激な論戦を張る低炭素化推進者であった。特にHayward氏は、「BPは、今後、脱石油を目指すエネルギー企業となる。」と宣言するほど過激な発言をしてきた。これは全く驚くに値する。だってBPは世界で五本の指に入る巨大石油メジャーである。このBPが石油から他のエネルギーへ積極的に転換するというのだから、やはり驚きである。実際、Hayward CEOは、まず積極的に石油から天然ガスへの転換を図っていた。もちろん、風力発電や太陽熱発電などの自然代替エネルギーにも巨額の投資を続けてきた。そして、米国カルフォルニア州では、CCS(CO2を吸収・固定化して地下に貯蔵)を装備した大規模な石炭火力発電所の建設まで企画した。そのように世界から尊敬を集めていたHayward氏も、事故には勝てないものである。昨年のメキシコ湾の海底油田の火災事故の責任を取って退任した。もう、あの爽やかな笑顔でアグレッシブな論戦を張る姿を見ることができないのは本当に残念である。

そして、Duke Energy社のRogers CEOもHayward氏に負けず劣らず過激な論者である。私は、一昨年、ダボス会議中に開かれたパネル討論付きディナーに招かれた。招待してくれたのは世界最大の半導体製造装置メーカーであるアプライドマテリアルのMichael Splinter CEOだった。Splinter氏は、アプライドマテリアルのCEOに就任する前は、Intel社のグローバル営業のTOPであり、私が富士通でパソコン事業の責任者だったときからの付き合いである。さて、その日のパネルの登壇者は、ホストであるSplinter氏とRogers氏と、もう一人は、あの「フラット化する世界」の著者であるトーマス・フリードマン氏だった。なにしろ、この3人は、アメリカ人だから構わないのだろうが、何と1時間以上も、当時のアメリカ政府、ブッシュ政権のエネルギー政策を目茶苦茶にこき下ろし続けたのである。

特に、Rogers氏の批判の矛先は、ブッシュ政権だけに留まらず、アメリカの電力業界全体にまで波及していった。「大体、アメリカの電力業界なんて環境問題など全く考えていない。安い石炭を今までどおりに焚いて電気を作り続けることを、これから何百年も続けるつもりなのだ。もう、私はアメリカの電力業界から脱退したいくらいだ。」と言われた。これを聞いて、私がちょっと心配になったのは、やはり、アメリカでは、このRogers氏の方が少し異端で、いずれアメリカの電力業界から放逐されてしまうのではないかということだった。しかし先週、嬉しいニュースが飛び込んできた。Rogers氏率いるDuke Energy社は、同業の米プログレス・エナジーを137億ドル(約1兆1400億円)で買収し、サザン社を抜いて米国最大の電力会社となったのだ。

さて、話は変わるが、一昨年のコペンハーゲンで開催されたCOP15は残念ながら、うまく行かなかった。このCOP15の議長だったデンマークのエネルギー担当兼環境大臣、コニー・ヘデゴー女史は、このCOP15が成功すればデンマークの首相になるとも言われていたのだが、途中で議長までも退場せざるを得なかったのは、さぞかし無念だったろう。私は、そのヘデゴー氏から、COP15に先立つこと6ヶ月前の地球温暖化防止に向けたビジネスサミットに招待された。世界のビジネスリーダー800人がコペンハーゲンに集まって、地球温暖化防止に向けてCO2削減のための行動を起こすことを誓ったのだ。そのビジネスサミットへ行く前に、私は渋谷代官山のデンマーク大使館に招待され、ヘデゴー大臣とTV会議で事前の打ち合わせを行った。この辺までは、ヘデゴー大臣は緻密な根回しをしていたように見えた。なにしろ、私が同席させて頂いた日本側の相手は、小池百合子元環境大臣だったからだ。そのとき、小池さんとヘデゴー女史は、ともに、環境大臣経験者で女性の総理大臣候補という点で共通していたのだった。お二人は旧知の仲のようで、TV会議で親しく話されていた。

その事前のビジネスサミットは、本番のCOP15とは異なり大成功だった。ヘデゴー大臣も、その成功でかなりの自信を持たれたに違いない。潘基文国連事務総長、ゴア元米国副大統領、IPCCのパチャウリ氏を始め、先述のBPのHayward CEO、Duke Energy社のRogers CEOも参加されていたが、ここで、これから述べる、世界を代表する二人のエネルギー・リーダーに会うことが出来た。まず最初の一人は、デンマークが誇る世界最大の風力発電機メーカーであるベスタス社のDitlev Engel CEOだ。このビジネスサミットのディナーで隣の席になったのは私にとっては大変幸運だった。いろいろ興味のある話を聞くことができた。

まず第一点目は、なぜデンマークは風力発電に注力したか?である。デンマークは北海油田を保有しており、未だ豊かな埋蔵量も残っている。そして石油の輸出国でもある。エネルギー問題では全く困っていない。それでもユカタン半島で吹き続けある強い風を利用した風力発電をビジネスに出来たらデンマークの産業振興に役立つと考えたからだそうだ。そして、二点目は、風任せの風力を既存の電力網に総電力量の17%も取り込むのには、ITの力を使い尽くして10年の歳月を要したというのである。まさにスマートグリッドのはしりである。ちなみに、デンマークはIT利用に関する競争力で3年連続世界一に輝いている。つまり、風力発電機というハードだけ作っても役に立たないわけで、それを活用する運用技術、ソフトウエアが一緒にあって初めてエネルギーシステムとして一人前だと言うわけだ。最後の3点目が一番ショックなことだった。Engel氏は、自ら日本中をくまなく回って風力発電の適地を探したらしい。その結果、日本は北海道と東北の一部を除いて風力発電には適さないという結論を得たと私に語ってくれた。

次に、このビジネスサミットで会ったエネルギー・リーダーはインド最大の電力会社であるTata PowerのAnil Kumar Sardana CEOだった。このSardana氏が語ってくれたことは、私にとっては、まさに目から鱗で大きな発想の転換点を与えてくれた。

 「インドには、未だ電気を利用できない人々が5億人も居る。私達、電力会社の最大の使命は、インド国民全員が平等に電気を使える環境を整備することだ。だから、インドは、これからCO2をどれだけ減らすかという議論には残念ながら参加できない。しかし、どれだけ効率的に、そしてCO2を出来るだけ発生させない電力の作り方を開発しなくてはならない。インドは、未だ貧しい。だから先進国の真似をしてコストがべらぼうに高い太陽光発電を導入することなど絶対にできない。そして、インドは広大な国でもある。今、電気を使えない人々が住む地域に対して、これから送電線を張り巡らす費用などどこからも出てこない。その答えは、ローカルグリッドであり、アグリマス発電だ。出来るだけ送電線を張らない地産地消のシステムを作る。そして発電の原料は豊富にある牛の糞だ。よくアグリマス発電は原料のエネルギー密度が低いので運搬コストが高く採算が合わないと言われるがインドではそのような心配は要らない。朝飯前に、皆で牛の糞を拾いに行けば、タダで幾らでも集まるからだ。」

 素晴らしい。何と豊かな発想だろう。世界中の皆が、こうした発想をすれば、人類の未来はもっともっと豊かになるだろうに。

11.大惨事に追い討ちをかけるバーゼルⅢ問題 

2011年3月28日 月曜日

今年初め、菅総理が店頭で直接買い求められたとのことで、日本でも一躍ベストセラーになった、ジャック・アタリ氏著の「国家債務危機」は、一時、その姿が全国の書店の棚から一斉に消えた。アマゾンでも新品は品切れとなり中古品には1000円近くのプレミアムまでついた。そうだ、本来、今年の最大の政権課題は「財政再建」の筈だった。だからこそ、この本が、これ程までに売れたに違いない。ミッテラン政権の若き参謀だったアタリ氏は、たった1年で財政破綻に追い込んだミッテラン大統領の選挙公約(マニュフェスト)を全て反故にさせた。そして、さすがはフランス国民である、勇気ある決断を下したミッテラン大統領に、その後、14年間も長き間、政権を委ねたのである。そして、ミッテラン大統領は、その職を退いた後も、「フランスの国父」として国民から崇められ、尊敬の的となっている。この本が日本でベストセラーになったのは、国民が「日本のアタリ氏」を待望していたからかも知れない。あるいは日本のミッテラン大統領の登場を期待したのかも知れない。

しかし、3.11東北関東大震災は、この「財政再建」の問題を国民の関心から消し去ってしまった。「今は、それどころではない」。確かに、そうだ。多くの人命が失われ、これだけ沢山の被災者が出ているなかで「財政再建」の議論など「不謹慎」だといわれるかもしれない。しかし、我々は、もっと冷静に考える必要がある。なぜなら日本全国で見てみれば、被災していない人の方が圧倒的に多いからだ。だからこそ、被災した方々のためにも、被災していない人々は、被災した方々の分まで含めて、この「財政再建」という国家存亡の危機に関わる困難な問題に対して真剣に取り組む必要があるだろう。

加えて、世界は、二度とあの忌まわしい金融危機を起こすことがないようにと、新たな金融規制であるバーゼルⅢを決めようとしている。もともと、今回のサブプライムローンの破綻、リーマンショックを引き起こしたのは北大西洋両岸の国々の金融機関達であった。日本の金融機関は、その宴の恩恵に預からなかった分、大きな損失からも免れることが出来た。一部の大手金融機関を除いて、殆どが、あの狂気の賭場には参加しなかったからである。だから、博打をしない生真面目な日本の金融機関は、こうした新たな規制には、本来無関係なはずだった。

ところがである。結果として、これから全世界の金融機関に強いられるであろうバーゼルⅢ規制は、欧米の金融機関以上に日本の金融機関にとって厳しいものとなりつつある。日本の金融機関からは「不公平」だという声も聞こえてくる。しかし、世界の金融機関が、こぞって、今や落日の日本の金融機関を狙い打ちにして意図的に、その力を削ごうとしているとも思えない。バーゼルⅡの規制では、日本は世界でただ一ケ国、ダブルスタンダードを適用した。つまり、グローバルバンクは自己資本比率をバーゼルⅡが定める世界標準の8%を守らせ、国内決済しかしないドメステッィクバンクは自己資本比率を4%に留めたのだ。そういう木目細かい手法がバーゼルⅢでは、もはや使えない。

バーゼルⅢでは自己資本比率の数字よりも、自己資本の中身の質を問題にしているからだ。この結果、日本の大手金融機関ですら、その自己資本比率は惨憺たるものになる。このことが、日本の金融機関の大きな悩みであり、「不公平だ」という言葉の裏にある不満でもある。一体、日本と欧米の金融機関の自己資本の中身には、どのような差異があるのだろうか? 

日本の金融機関にあって、欧米の金融機関に殆ど存在しない自己資本の中身とは、繰り延べ税金資産、少数持ち株保有、持ち合い株、確定給付年金資産、のれん代等の無形固定資産などである。バーゼルⅢ規制では、これらの大半が、純粋な自己資本(コアTier1)から除外された。たしかに、日本の金融機関が不公平だと不満を言いたいこともよくわかる。でも、よく見てみると、日本の金融機関は、あのバブル崩壊後に見事に立ち直ったものの、その自己資本の中身を世界的に比較して見れば、やはり脆弱だったと言わざるを得ない。そして、この度の日本の大惨事に対して世界中の人々が同情を寄せてくれているとはいえ、日本の金融機関だけバーゼルⅢの適用除外というわけにはいかないだろう。

そして、今度のバーゼルⅢは、北大西洋沿岸の国々の金融機関が二度と、あのような狂気の博打をしないよう、随所に歯止めをかけている。そうは言っても、あの狩猟民族特有の国民性は賭場が大好きである。それこそ、途方も無いリスクをかけて命がけの博打を打ってくる。そして、彼らが、そうした博打を仕掛けてくる隘路は、もうバーゼルⅢには残されていないのだろうか?

蛇の道は蛇、きちんと抜け道が残されている。それが国債市場である。彼らが、国債市場を賭場に選んだとき、規制する手立ては何も残されていない。今から後、多分、3年以内に、彼らは、日本の国債を血祭りにあげて途方も無い利益を勝ち取ろうとする。この時に、日本に何が起きるか? それは、ジャック・アタリ氏の「国家債務危機」に書いてある。その時の大災害は、もはや日本の一部の地域の人たちだけでは済まない。日本全土の全国民に降るかかる大災害である。だからこそ、今度の大災害に会わなかった人々だけでも、この「財政再建」と言う課題を「災害復旧」と併せて、真剣に考えなければならないだろう。