1957年10月4日、ソビエト連邦は人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功した。それまで、宇宙開発のリーダーを自認し、大陸間弾道ミサイルでも敵国ソ連に先行していたと自認していたアメリカは大きなショックを受けた。1958年、アメリカはソ連との宇宙開発競争に打ち勝つため、アメリカ航空宇宙局(NASA)を設立し、1960年の大統領選挙でジョン・F・ケネディは、米ソのミサイルギャップを埋めるために人間を月に送ると声明し、アポロ計画の目標を月面着陸に変更した。こうしたスプートニク・ショックは全世界にも波及し、毛沢東は「東風が西風を制した」と宣言するなど、アメリカに大きなショックを与え、それ以来アメリカ国民の科学に対する興味や関心が高まっていった。
2025年1月20日、中国の新興企業「DeepSeek」が発表した生成AIモデル「DeepSeek R1」をリリースした。この最新モデルが「Open AI」社が開発した最新モデル「ChatGPT-4o」に匹敵する性能を発揮し、iPhoneのアプリ・インストールランキングで「ChatGPT」を抜いて第一位となったことで、IT業界だけでなくアメリカ政府までもが、かつての「スプートニク・ショック」を思い起こさせる大きな衝撃を受けている。それは、「DeepSeek」が従来の「AI業界の常識」を塗り替えるかも知れない可能性を提起したからだ。
その「AI業界の常識」とは一体何だっただろうか? まず、第一は「膨大な開発費」である。つい先日もソフトバンクの孫さんがトランプ大統領、Open AIのアルトマン氏、オラクルのエリソン氏と共に、米国AI業界に80兆円近く投資すると表明したばかりである。第二は、AIを支えるデータセンターに必要な「大量の電力消費」である。そして第三には、高速AI処理に必要な最新鋭の「高速な半導体」である。
今回の「DeepSeek」は、その全てに疑問を投げかけた。例えば、「ChatGPT」が最初のリリースまでに1,000億円近い開発費を必要としたとされていたのに、「DeepSeek」は、たった数ヶ月の時間で10億円にも満たない開発費でリリース出来ている。さらにアメリカは中国のAI開発を遅らせようと最新半導体の輸出だけでなく、製造に必要な開発設備も禁輸措置をとっているが、「DeepSeek」は全くそうした最新半導体なしで動いている。そのため、AI処理に必要とする消費電力もそれほど多くないのではと推測されている。
さて、2012年にトロント大学のヒントン教授が人間の脳内処理に相当する深層学習(ディープラーニング)手法を開発してからAIのビッグバンが始まったわけだが、そもそも人間の脳内では限られたエネルギーで静かに処理されていて、多くを考え抜いたから汗が出たり高熱を発したりするわけではない。AIエンジンが本当に人間の脳内処理に対抗するためには、今のように大量の高速半導体とエネルギー(電力)を使って力ずくで勝とうと思うには自ずから限界がある。そういう意味で、今回の「DeepSeek」の開発物語は人類の未来にとっては極めて朗報である。
しかし、早くも米国では「DeepSeek」が「蒸留」と呼ばれる手法で「ChatGPT」から学習データを盗んだのではないか?との疑いが起きている。このことについて、今の所、私は何とも言えない。ただ、プログラムについては、「ChatGPT」が非公開にしているのに対して「DeepSeek」はオープンソースとして公開しているので、これは彼らが独自開発したと認められて然るべきである。ただ、「DeepSeek」が公開されたAPIを使って「ChatGPT」に質問を入力し、その答えを学習データとしたとするやり方が「違法」と言えるのか、私には何とも答えられない。
いずれにしても、「DeepSeek」が「蒸留」された密度の濃いAIデータベースで従来のやり方より安価で軽い設備で処理できるとすれば、これは人類の未来に大きな光明をもたらすことになるだろう。欧米諸国や日本の技術者は「DeepSeek」が公開しているオープンソースをいち早く解析するべきだ。しかし、生成AIで一番重要なことは、学習データの作り方である。その点で、私は「ChatGPT」については、他社の生成AIよりも一番敬意を表している。何しろ、「ChatGPT」の回答には「人格」を感じるからだ。まず、極端な意見を言わない。さらに、極右とか極左とか偏ったイデオロギーに満ちた意見を言うことは全くないし、特定の人物を非難したり中傷したりすることもない。
これは「Open AI」は、2022年に「ChatGPT」を公開する4年以上前の2018年から、長い時間と多くの人手をかけて「LLM(大規模言語モデル)データ」を丁寧に作っているからだ。このデータ蓄積の間にも、「Open AI」は多くの人手をかけて不都合なデータを削除し、その後、AI処理で自動的に削除するソフトウエアも開発したと言われている。その「ChatGPT」を私は日常的に使っていて、多いに助けられている。一番役に立ったのは、体調がおかしくなった時に、どこの医者に行くべきかを知りたい時だった。
昨年の8月、左足の付け根に痛みを感じ、2日ほどしたら痛みは下腹部へ、また2日後には横隔膜まで上昇し、その2日後には心臓付近の左胸に痛みが移動した。早速、かかりつけの医師に診てもらい血液検査やレントゲンなど診断してもらったが、医師は「わからない」と言う。それで、これまでの症状を丁寧に「ChatGPT」に質問したら、すぐさま「帯状疱疹の疑いがあります」と回答してきた。しかし、私の身体には全く発疹がなく「これが、あの有名なハルシネーション(幻覚)か?」と思った。しかし、翌朝、私は左足の付け根から足首まで発疹で埋め尽くされた。早速、皮膚科に行って検査してもらったら「立派な帯状疱疹です」と診断されて投薬された。1週間の服薬で発疹は全て消えたが、眠られないほどの痛みが4週間続いた。この件以降、私は「ChatGPT」の能力に惚れ込んだ。
「DeepSeek」は「TikTok」のように、今後、アメリカだけでなく世界中で人気のアプリになるかも知れない。しかし、「TikTok」の凄さは、視聴者が好む動画を認識して、すぐにも閲覧できるように表示する動画解析AIの能力にある。一方で、今後「DeepSeek」に求められてくるのは動画ではなくて文章を主体とする知識(言語)の世界である。ご存知のように、現在の中国は、全ての議論がオープンに出来る社会ではない。従って、中国国家が承認している「DeepSeek」の中では議論できないテーマがいくつもあるはずだ。生成AIの世界は、単にプログラムが優れているかどうかだけではないものが求められている。