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469   AI時代に必要な教育とは?

2023年5月1日 月曜日

今から10年ほど前に「デジタル技術は教育分野に対して何が出来るか?」を調査するため、英国と米国を訪問した。最初に訪れた英国教育省では英国政府の公立小中学校での教育方針を聞いた。彼らは、小中学校で学ぶべき必須科目を英語、数学、科学の三科目に定めたという。英国では貴族や富裕層は私立学校に進学するので、例えばロンドンの公立の小中学校は両親が異国から移住してきた子供たちが半数近くもいる。この子達は、大学に進学する比率も低く、その後に就職活動でも苦労している。そうした事情を考えて英国教育省は公立の初等中等教育において重要なことは、高等教育を受けるための準備ではなく、お金を稼ぐために必要な技術を早くから学ぶことだと考えていた。

英国では、こうした公立の小学校で1年生からプログラミング教育を実施していた。私が見学したのは小学校3年生の授業だったが、希望した生徒たちが放課後にスクラッチという言語を使ってゲーム・プログラムを作っていた。彼らは、中学に進学すると、さらに高度なデジタル教育を受ける。中学校では「Art & Technology」という科目があり、この授業では三次元CADを使って住居を設計させている。ここでは基本構造だけでなく、壁などの内装や家具まで設計する。生徒たちは、設計が完了するとVRでお互いに内見して他の生徒が設計した家の中を皆で評価し合うというらしい。英国では、こうした先進的なデジタル教育を10年以上前から行なっていた。

一方、アメリカではMITで20年以上もK12(初等中等教育)の研究をされているラーソン先生が「子供達に一番必要な教育は数学と科学だ」と仰っていた。先生は、それは決して子供たちを将来、研究者やエンジニアにするためではなくて、「子供達にとっては多くの知識を蓄えるより頭に汗をかいて考えること(クリティカル・シンキング)が一番重要なのだ。最悪、きちんと理解できなくても良い。それでも一生懸命考えるということが重要なのだ」と仰っていた。そのアメリカでスタンフォード大学の先生たちは「今、アメリカの大学教育は危機に瀕している。こんなに高額の授業料では、どんなに優秀な才能がある学生でも、お金がない人は大学の授業を受けられないと言った。

当時のスタンフォード大学の教授たちは「私たちはデジタル技術を駆使してオンラインで多数の人たちに大学の教育を受けられる仕組みを作りたいと考えている」と仰っていた。同じ頃、MITが始めたMOOC(Massive Open Online Courses)は、その後の日本でもJMOOCとして多くの授業を無料で受講できる仕組みができあがった。しかし、この仕組みの最大の問題点は途中で脱落する学生が非常に多いということと、授業をきちんと終了した生徒を試験で評価して資格を与えるという2点で大きな課題があった。スタンフォードの先生たちは、AIを使って生徒の理解度を評価して、理解できなかった生徒たちに対して、もっと優しい説明を施す方法とか、きちんと理解した生徒に対してAI技術で試験と採点を行い、資格取得の証明書を発行する仕組みを作り上げようと考えていた。

そうした中で、現在、生成AI(ChatGPT)の出現で大きな反響が起きている。このChatGPTの評価はいろいろあるが、私は、現在の性能でも十分に凄いと思っている。現在のChatGPTのレベルでも質問をきちんとすれば、優れた回答を返してくるからだ。さらに、このAIという研究分野は2012年にディープラーニング(深層学習)が実用化されて以来、たった10年で、ここまで発達してきた。今後の生成AIの進化は、私たちの想像を絶するレベルで向上すると考えており、私たちは、その後に向けて何を備えておかなければならないかを考える必要がある。これまでの10年間のAIの技術進化は特に「認識」という分野で進化してきた。一般的に知られている分野では顔認証といった画像認識や人の声を理解できる音声認識である。

こうした応用は、どちらかと言えば、いわゆる理系の仕事に関する処理を自動で行うAIであり、文系の仕事に対しては大きな脅威が起きるようには思われて来なかった。それでも、AIはこれまで弁護士が行なっていた契約書のチェックとか、会計士が行なっていた不正経理のチェックまで行えるようになると、少し危機感を覚える職業は出てきたわけだが、今回の生成AI(ChatGPT)のように人間と会話をして質問に答えて回答も出すようなAIを見せられると、もはや全く様子が変わってくる。つまり、人間同士の会話で行なっていた従来の作業をAIがこなすことが実証されたからだ。

つまり、この生成AIは、極めて特殊な分野ではなく、ごく普通の仕事まで適用分野を拡張してきたことを示している。これまではAIに仕事をさせるために人間がデーターを集めて学習させるという仕事が人間には未だ残されていた。しかし、この生成AIは既に膨大な量の知識やデータを保有していて学習が済んでいることが凄い。このChatGPTはOpen AIというアメリカの会社が開発しており、学習したデータベースの殆どが英語ベースの知識で日本語ベースは1割にも満たないと思われるのに、この精度で答えを出してくる。Open AI社は既にGPT4を開発済みと言われており、ChatGPT(GPT3.5)の100倍から1000倍以上での学習データを基礎としていると言われているので、近い将来マイクロソフトがOffice(Word ,Excel ,PowerPoint)にGPT4を使ってくると、これらはとてつもないツールとなる。

そうなると、「AIに何ができるか?」というより、「人間に残されている仕事には何があるか?」というテーマが切実な問題となってくる。コロナ禍後のアメリカでは、既にAIのために職を奪われつつある仕事が増えてきている。そして、こうした職業の多くが高学歴の人たちだけができる仕事と言われて来た職業である。さらに、現在アメリカの最先端IT企業であるBigTechの新規採用者の中で大学卒業者の割合が減ってきた。つまり、このAI時代には、大学へ行かなかった人々、あるいは大学を中退した人々でも優れたデジタル技術を持っていれば、あのBigTechが積極的に採用しているという事実がある。これは一体何を意味しているのだろうか? AIが進展してくると、これまで大学で学んできた知識や技術が必要なくなってきたか?あるいは、それだけの知識ではもはや間に合わない時代になったということなのかも知れない。

今年の早稲田大学の入学式で田中総長が述べたことは、「早稲田大学に入学した学生は、文系、理系に関わらず、英語、数学、デジタルの各技術を皆が学んでほしい。大学は、そのためのカリキュラムや制度を用意している」と語られた。田中総長が仰りたかったことは、AIがどんどん進展する社会においてお金を稼ぐためには、これまで学校で学んできた分野だけでなく新たに数学やデジタル技術を皆が学ばないとダメだし、学校を卒業してからも新たなデジタル技術を学び続けないと仕事がなくなっていくことに早く気が付かないといけないという意味だろう。

英国の教育省や、MITやスタンフォード大学の先生たちが言っていた初等中等教育や大学教育の必須科目の見直しは、これからのAI時代を迎えるために絶対に必要なことであろう。そして、今、アメリカではコロナ禍後も増え続けている職業として「看護」、「介護」、「保育」というAIでは簡単には代替出来ない「人と人の関係性」を重視する職業が注目を浴びている。つまり、これからの職業は「AIを使う職業」と「AIには出来ない職業」に2分されてくるのではないか。この2つの職業のどちらも重要であり、子供たちや青年、そして中高年に対して「今後必要な教育とは、どんな教育か?」を私たちはこれから直ぐにでも見直していかなければならないと思う。

468    いよいよ我々の仕事を奪うAIの登場

2023年4月3日 月曜日

2012年 私はNASAリサーチパークにあるSingularity(特異点) Universityを訪れた。ここは未来学者レイ・カーツァイルが将来のAI時代の到来に備えて2008年に設立した大学で、2045年までに人間を超えるAIの出現に備えて、社会全体で準備をしておこうという目的で開設された。AI研究の長い歴史から見れば、2008年はAIの将来に関してまだ何も見えていない暗黒時代であった。カーツァイルはAIの研究が、ある特異点を越えれば一気に発展し人間のレベルを追い越していくと予測した。彼は、その時期は、もうすぐそこに来ているのに、なぜ、今からその準備をしないでいるのかと世の中に大きな疑問を投げかけていたわけである。

そして、そのAIの特異点と言われる技術革命が突然2012年に訪れた。トロント大学のヒントン教授が国際的な画像認識コンテストで圧倒的な差で優勝。それまでの首位は日本の東大だったが、ヒントン教授が編み出した深層学習(ディープ・ラーニング)手法は、東大を一気に大きな差をつけて首位を奪取した。2012年にシリコンバレーを訪れた私は、スタンフォード大学のAI関連の教授たちが、これからAI開発の世界が大きく変わると興奮していたのに驚いた。彼らは、皆、ヒントン教授が起こしたディープ・ラーニングは「AIのビッグバン」だと言っていた。Googleは早速500億円近いお金で、ヒントン教授の研究室メンバーをそっくり買い取ったが、ヒントン教授は長年にわたって腰に深刻な持病があり、長距離を移動できなかったので、ヒントン研究室は、Google本社があるメンロパークに移らず、今でもトロントに研究開発拠点を維持している。

Googleは、これまで不可能と言われていたAI囲碁の開発を見事に成し遂げた英国のAI研究会社、ディープマインド社を買収するときにも、ヒントン先生に立ち会ってもらいたかったので、ヒントン先生を寝かせたままプライベートジェット機に乗せてトロントからロンドンまで運んだというエピソードまである。こうして、これまでAI分野で最も優れている企業はGoogleだと言われてきた。私の友人も、日本からアメリカにわたり優秀なAI画像認識ソフトを開発したが、その会社の株式を全てGoogleに売却し、シリコンバレーでベンチャーキャピタルを立ち上げた。「どうしてGoogleに売却したのか?」という私の質問に対して、彼は「AIは、どんなに優秀なソフトを開発しても、最終的な性能はデータの質と量で決まる。保有するデータの量でGoogleに勝てる会社は、今は世界中で一つも存在しない」と答えた。

AI開発は2012年以降、特に今まで苦手だった画像認識や音声認識で飛躍的な発展を遂げ、2017年頃には人間の能力を超える性能を発揮できるようにまでになり、多くの大学や企業が開発したAIソフトをオープンソースとして提供するようになって、更にその発展を加速させた。AIソフトは、どれだけ優秀な性能を持っているかは、大量のデータで学習させて初めて評価ができる。従って、多くの人々に使ってもらって、その能力を検証してもらわないと価値がわからないという側面があるからだろうか?そういう中で、あのイーロン・マスク氏が「オープンAI」という非営利団体を立ち上げた。彼は、最近、AIの研究開発は危険だから歯止めをかけるべきだと主張しているが、この「オープンAI」を立ち上げたきっかけは、AIの効用は広く世界中の企業や人々が等しく受ける権利があり、Googleのような大企業や、アメリカのような先進国だけに独占させてはならないという考えだったと言われている。まさに、南アフリカの出身でアメリカへ移住し世界一の自動車企業であるトヨタに真っ向から挑戦している起業家らしい考え方だ。

2019年の秋、まだ世界がコロナ禍で汚染される前の話である。私は、サンフランシスコで開催された「Disrupt San Francisco 2019」に参加した。この会合は、シリコンバレーを中心とした新興企業数百社が集まって、最先端テクノロジーを展示し議論する場で、全米はおろか日本からも数社が参加していた。この会場で、当時からも話題になっていた「オープンAI」のCEOが登壇するというので、私も彼の話を聴きに行った。彼は、「これからAIが発展するためには、皆がテクノロジーをオープンにして互いに携えていかなくてはならない」と「オープンAI」の考え方を話した。そうした中で、ある質問者が「そんなことを言っても企業は、利益を上げなくては研究活動を持続できないのではないか?」と質問すると、彼は「最近、マイクロソフトから10億ドルの資金提供を受けた。オープンAIが今後どのように利益を出していくかは、そのお金が底をついてから考える」とお茶を濁してしまった。

そして、その間、コロナ禍はアメリカ中を地獄の坩堝に変えてしまったわけだが、ようやくコロナ禍も落ち着いた2022年11月、オープンAIはChatGPT(GPT3.5)を発表し、無償提供を開始した。その後の2ヶ月間で既に2億人以上が使い、その性能に皆が驚いた。すぐさま、マイクロソフトはオープンAIに対して追加の100億ドルの支援を行うと発表した。オープンAIは既に非営利団体から普通の企業体として組織形態を変えていたので、マイクロソフトはオープンAIの大株主ということになった。更に、年があけた2023年3月オープンAIは、ChatGPT(GPT3.5)から進化させたGPT4を発表し、現在は有償で提供している。オープンAIの大株主となったマイクロソフトはOffice製品にGPT4機能を融合させ、従来のOffice製品とは全く異なる新たな機能を提供していくと発表した。

私の友人でIT企業を起こし現在は息子さんを後継者として会長職として幅広く活躍されている方がいる。先日、この方とランチを共にし、GPT4の話を伺った。彼は、既に有償のGPT4を使っているらしい。彼に言わせるとGPT4はChatGPTとは比較にならないほど高性能だという。私が「どのくらい優れているのか?」と聞くと「100倍から1000倍ではないか?」と答えるのである。GPT4は、使う頻度による従量制料金らしいが、彼が払っている金額は月額7万円くらいだという。しかし、彼が依頼する仕事を、優秀なアシステントより遥かに優れた形で、しかも遥かに速く仕上げるのだという。「AIが、こんなに優秀な仕事ができるのなら、これで仕事を失う人が相当出てくるのではないか?」と彼は心配する。

マイクロソフトがWordにGPT機能を入れれば、文書の自動作成ができるし、PowerPointにGPT 機能を入れれば、ちょっとした指示で素晴らしいスライドが出来るだろう。また、ExcelにGPT4を入れれば、例えば会社の経理データからAIが経営コンサル業も行えるだろう。つまり、オフィスワークとして従来型の事務作業をしている人の仕事の殆どをAIがこなすことになっていくに違いない。つまり、「上司から指示される仕事」の殆どはAI自身が出来るようになるとすれば、人間がやらなければならない仕事は「AIに指示する」ことだけになるはずだ。

こうしたマイクロソフトの動向を鑑みて、Googleは早くも非常事態宣言を出した。Googleは、世界一のAI企業として君臨してきたが、これまで、それをビジネスにうまく結びつけることができていなかった。Googleの存在意義は、情報検索であり「ググる」という新語まで飛び出すほどGoogleは検索という分野で圧倒的な首位を誇ってきた。最近、Z世代になってからは従来の「Google検索」よりも、「YouTube検索」に移行しつつあるらしいが、YouTubeも広義のGoogle社なので、それは大きな問題ではなかった。それでも、YouTubeがTikTokに抜かれているのはTikTokの優れたAI技術の使い方にある。そして、マイクロソフトがGPT4を手にいれることで、もはや「検索機能」自体が不要というGoogleにとって最も危機的な状況になりつつある。

しかし、私たち自身は今後のGoogleの行方を心配しているどころではない。私たち自身がAIをどのように使いこなしていくのか?あるいは、どのようにAIが出来ないことを出来るよう勉強していくのかを真剣に心配していかなくてはならない時代になった。カーツァイルがAIの進展した後に、社会がどうAIに対処していくかを心配していた状況は、彼が予測していた以上に早く到来している。

467    あの日から12年

2023年3月10日 金曜日

もうすぐ、3月11日だ。あれから、もう12年経つ。今年は卯年だが、12年前の2011年も卯年だった。我が家のワンコも卯年生まれ。あの日は、母親のお腹の中で怖い揺れを経験したようだ。そのせいか、今でも地震で少し揺れただけでも極端に怖がる。ワンコの12歳は高齢の域に入るが、飼い主も、もう後期高齢者なので散歩のときは歩くテンポが整合して心地よい。2019年までの3月11日は、毎年被災地のどこかに行って慰霊祭に参加させて頂いた。しかし、2020年に起きたコロナ禍以降、それも行かれなくなってしまった。今年も、まだどこにも行けないでいる。

昨日は、会津大学の復興支援センターのアドバイザリーボードにオンラインで出席した。日本で唯一のIT専門の公立大学という特徴を活かして、福島県下の各企業や自治体に対してデジタル技術を用いていろいろな分野で復興支援を行なっている。私は、大震災の翌年に、この復興支援センターのアドバイザーに任命され、もう12年も務めている。会津大学は、今まさに世の中の全てがデジタル時代となっている中で、大変ユニークな存在として福島県で地域貢献を行なっている。もともと福島県は東北地方ではダントツに製造業が盛んなところで、優秀な技術を持った中堅企業が沢山存在しているからだ。

この福島県の県立大学として設立された会津大学は、IT技術を専門とするグローバル志向の大学である。AIやIoTの技術を活かして宇宙、エネルギー、ロボット、医療などいろいろな分野で活躍している。そうした復興支援センターの幅広い活動の中で、私が一番注目しているのは地元企業向けに就職を目指す、女性のデジタルエンジニアの育成プログラムである。最近、日本の各地域でデジタル分野(DX)の話をすると、企業経営者や自治体の首長は大変関心が高く熱心に聞いて下さる。もはや、今の日本では、デジタル技術が日本再生のために必須だということは誰でもよく知っている。

十分に知っているのに、それがなかなか実現出来ないジレンマに苦しんでいる。悩んでいる一番の原因はデジタル化を推進する技術者がいないからだ。今や、多くの産業分野でデジタル技術者は引っ張り凧で、中堅・中小企業や地方自治体で新規に採用するというのは非常に厳しい。もともと、経営者や首長がデジタル化を推進したいという願いの原因は、日本全国で起きている深刻な人手不足である。デジタル化によって、これまでの仕事のやり方を大きく変えていけば、こうした人手不足問題は一挙に解消され、むしろ人手が余るという副作用が出てくるはずだ。だからこそ、新たにデジタル人材を雇用するのではなく、今いる社員にデジタル技術を習得してもらうのが一番良い。しかし、それも、どのようなスケジュールで、どのような教育をすれば良いかが全くわからないでいる。

そうした中で、結婚・出産で、これまでのキャリアを失った女性が、デジタル教育で技術を磨き新たなキャリアパスを築ければ、こんなに素晴らしいことはない。会津大学復興支援センターでは2017年度に「女性プログラマ育成塾」として始め、2020年度には「女性のためのITキャリアアップ塾」として改組し、福島県「女性IT人材育成・就業応援事業」の助成金を受けて活動している。この塾は基本的に自宅でいつでもできるオンライン学習形態をとっている。受講生は福島県在住の20−40代の女性で、6割が就労中、4割が無職である。この塾では期間3ヶ月でITシステムの基礎知識と活用方法を学ぶ「IT基礎・Webデザイン基礎コース」と期間7ヶ月でプログラミングとITシステムの開発方法を学ぶ「プログラム基礎コース」がある。

2022年度の「IT基礎・Webデザイン基礎コース」では受講生45名中39名がカリキュラム修了、「プログラム基礎コース」では45名中24名がカリキュラムを修了している。この「プログラム基礎コース」ではJavaとPythonの両言語を習得させるほか、システム開発の基礎やセキュリティ対策などの実践も行う。こうして一通りの学習を終えた後に、卒塾課題(アプリ作成)を実施し、これを修了した学生には福島県労働局の後援を得て、受講生は採用希望企業と個別面談を行い、11月と3月の2回の就労マッチングを受ける。こうした受講生の就業先は当初はIT企業が中心だったが、現在では小中学校のICT支援要員や専門学校の講師、デザイナー・イラストレーターなど、およそデジタル技術を必要とする全業種に広がりつつある。

私もいつもこの話を聞いて大きな感銘を受けている。こうして、一度、結婚や出産でキャリアパスを失った女性たちが、デジタル技術を習得することで、また第二の人生として新たな活躍の場を得られるのはなんと素晴らしいことだろう。この話を聞いていると、こうした女性の受講者は元来IT技術とは無縁だった人たちだ。そうした人たちが、たった7ヶ月間の教育でシステムエンジニアやI T専門学校の講師になれるのだと思うと胸が熱くなってくる。確かに、私が大昔、大学の卒論でいきなりコンピューターを使うことを許され、見よう見まねでプログラムの手法を覚えて無我夢中で毎日膨大な量のプログラムを書いていたことを思い出した。

ITデジタル技術というのは、順序立てて長期間修行をするような技術ではない。まず、やりたいことがあって、見よう見まねでプログラムを書いて動かしてみる。そういえば、大学でも会社でも、私だけでなく、周りの人たちは皆同じようにソフトウエア技術を学んでいった。プログラムを書くということは、自分もやってみたいと思えば、誰でもできるはずである。英国ではプログラム作成は、小学校1年生から必須の教科として始めている。これまで日本社会で差別を受けてきた女性たちが、こうしてデジタル技術を習得して、同僚や上司の男性を見返すことが出来れば何とも痛快である。

現在、いろいろなことで差別を受けている多くの女性は、現状を変えたいという気持ちが男性よりも強いはずだ。デジタル化の基本は「現状を変えることによって合理化する」ことである。会津大学のこうした女性デジタル人材支援の取り組みに私が一番期待するのは、デジタル化の新たな波は、女性から起こすのが一番良い方法かも知れないと思っているからだ。変化を嫌う人々、新たな学びを厭う人々にデジタル社会の恩恵は絶対に受けられない。

東日本大震災で大きな被害を受けた三陸沿岸と福島県は、大震災が起きる前から少しずつ衰退が始まっていた。それで、あれほど大きな震災被害を受けたのだから、もはや元には戻れないのだという人もいる。それはそうかも知れない。しかし、少しずつ衰退しいているのは、東北三陸、福島県だけではない。日本全国がそうなのだ。それを何とか元に戻すだけの力を再生するのは、これまで日本社会が避けてきた「変化」や「リスク」を正面から受け止め、それに抗するデジタルの力をもっともっと磨いていくべきだろう。まさに、若い人々、そして女性の底力が試される時だ。

あの大震災から12年間、私たちは一体何をしてきたのか? 政府は、大きく借金を膨らませ、オリンピックをはじめとした巨大な公共事業をいくつか行い、それでも株価だけは幾分か高騰したかも知れない。しかし、国民はちっとも豊かになれない。そして、そろそろ、コロナ禍は終息を迎えている。今日も、週一回の食品スーパへの買い出しに行ってきた。これまで、近所で一番混んでいる激安スーパで、いつも駐車場を確保するのも大変な店だったのに、この第8波のピークを過ぎたあたりからだろうか?お客の数が激減している。あんなに長蛇の列だったレジでは、オペレータが、暇そうに客が来るのを待っている。

今の日本で、一体、何が起きているのだろうか? もう、多くの人々は食材を買うお金もないというのだろうか? 今や、日本全体がコロナ禍という大きな災害に被災してしまった。そういう緊迫感が、国会論議には全く感じられない。私たちは、この12年の反省がきちんと出来ないまま、今度は次の南海トラフ大震災の試練を受けるのだろうか?