159   インド洋圏が世界を動かす

今日の題名は米国の安全保障問題を扱うシンクタンクの研究員である ローバト・カプラン氏の著書「Monsoon:The Indian Ocean And The Future Of American Power」の日本語版につけられた表題である。 インドが好きで、インド各地を何度も訪れた私は、本の題名に「インド」 の文字を見つけるとつい買ってしまう。もともと、この本は、原題の英語に あるように、インド洋圏を、今世紀中に世界の3大GDP大国になるで あろうアメリカと中国とインドが、どのように覇権を競い合うのかという テーマで書かれている。しかし、私は、むしろ、この本のなかでインド 自身が抱える大きな課題を見出すことになった。

著者は、多くの時間をかけて、オマーンからイラン、パキスタン、インド 、ミャンマー、タイ、マレーシア、シンガポールからインドネシアを回っ て、インド洋圏に関する、この著作を書いている。そして、この本を読ん で私は、さらにインドの事を良く理解できるようになった。インドを学ぶ には、インドの周辺地域を含めて地政学的に理解しないと出来ないのだと 初めて知る。

インドに関する、どの将来予測を見ても、インドは間違いなく、今世紀中 には、アメリカ、中国に続く、世界第三の経済大国になる。それは、私も 間違いないと思うし、インドはマクロ的に見れば、希望溢れる未来を持ってい る。そして着実に、その道を歩んでいる。しかし、実際にインド各地を訪れて みて、インドが抱える多くの問題を理解し始めると、ミクロ的には、イン ドは「希望」と言うよりも「絶望」に溢れている。デリーでも、ムンバイ でもコルコタでも、そうあのバンガロールですら、街を歩けば、絶望に満 ち溢れている。

私がインドに惹かれる最大の理由は、こうした「絶望」に溢れた環境の中で 暮らしているインドの人たちの顔に「絶望」が全く見られないことである。 大金持ちも貧乏人も、権力者も抑圧された人々も、死ぬときは皆、同じよ うに荼毘に付されてガンジスに流れの中に消えて行くとすれば、一見して 絶望にしか見られない環境の中にも希望が見いだせるのだろうか。インドに 行くといつも、そうした哲学的な死生観を感じるのだ。きっと、インドに 行けば誰でも哲学的な思考に思いを耽るに違いない。だから私は、インド が好きである。

先週、スズキ自動車のインド現地法人マルチスズキで暴動が起きて、生産 活動が停止を余儀なくされた。スズキはインドで最も成功していた日本企 業である。以前、当社も協賛しているインド経済フォーラムにて講演され たインド政府の高官に「スズキはインドで最も成功している日本企業」 という問いかけをさせて頂いたら、「そうですか? 日本ではそういう認 識ですか?」と仰って、それ以上全く、この話題に関して何も触れられな くなった。私は、ぜひ、その理由を聞いてみたかったが遂にダメだった。

今回のスズキの暴動問題は、カーストが原因とされているが、実は、現代 のインドでカーストの問題はそれほど深刻な問題ではない。日本では、カ ーストは身分制度と認識されているが、インドでは5,000ほどもある と言われる職業分類を定義する言葉となっている。カーストは、ある意味 で、代々受け継いだ家業を他人に奪われないジョブセキュリティー制度とし ても機能しているのだ。その5000ほどある職業定義の中には、「物乞 い」も立派な職業として定義されている。しかし、数千年の歴史を持つ カーストが定義する職業の中に、「ITエンジニア」は存在しない。 だから、この職業だけは、誰でも就くことができる自由競争の職種である。 こうした背景が、インドでIT業が盛んになった理由とも言われている。

この本も、インドが抱える絶望の中にはカーストの問題を入れていない。 インドが抱える最大の絶望は宗教抗争である。このインドの宗教抗争の 問題は、歴史的に、そして地政学的に分析しなければ本質が見えてこない。 まさに、インド洋圏が抱える問題なのだ。インドは隣国パキスタンとの 抗争に死力を尽くしている。パキスタンを両側から牽制するために、イ ランと強い連携関係を結んでいる。一方、アラビア半島の大国サウジア ラビアは、対岸の大国イランを牽制するために、パキスタンに肩入れして 巨額の援助を行っている。つまり、インドの宗教抗争とは、単純に イスラムとヒンズーとの戦いと言うわけでもない。イスラム圏の中でも 激しい主導権争いがあるのだ。

この隣国パキスタンが、また複雑怪奇である。単に過激なイスラム民族 主義国家と単純に定義することは出来ない。そういえば、私が小学校の 時のパキスタンの首都はアラビア海沿岸のカラチだった、いつの日か この豊かな港から奥地ヒマラヤ山脈に近いイスラマバードに引っ越した。 なぜだろうと不思議に思っていたら、今のパキスタンの政権の主体は アフガニスタン人に近いパンジャブ人なのだ。パキスタンのアラビア海 沿岸部はトルコ系イラン人のバルチ族とインド系イスラムのシンド族の 住処なのだ。

そして、このインド洋圏で覇権を取るために中国が、このパキスタンの アラビア海沿岸の良港であるグワダルに巨額の資本投下を行いインド洋 のハブとなるべき立派な港湾設備を建設した。これで、パキスタンも、 いよいよ発展できるかと思えば、そうはいかない。パキスタンのアラビ ア海沿岸地域、つまりバルチ族やシンド族が住んでいる土地を、政権を 取っているパンジャブ人が無断で土地登記を行っているのだ。これを 知ったバルチ族やシンド族は武力でパキスタンからの独立運動を起こし 始めている。彼らは、グワダル港周辺に建設されたコンビナートや石油 パイプラインは恰好のテロ攻撃対象になると言って憚らない。

これと同じことが、インドのグジャラート州で起きている。グジャラー ト州は、インドの英雄マハトマ・ガンジーの出身地であり、首都デリー から大都市ムンバイへ行く途中のアラビア海沿岸にあり、イスラム国家 パキスタンと隣接している州でもある。そして、このグジャラート州は 、インドで最も盛んにインフラ投資が行われている州で、日本が主体的 に進めているデリー・ムンバイ産業回廊(DMIC)計画における開発の中 心地でもある。まさに、インドの将来の希望を担った未来の州である。 もちろん、DMIC計画に沿って多くの日本企業コンソーシアムがPP P形態で巨額の開発を計画している地域でもある。

著者、カプラン氏は、このグジャラート州こそが、希望と絶望を合わせ 持っているインドの典型的な州であると説く。2002年、このグジャ ラート州で悲惨なイスラム教徒大量惨殺事件が起きた。インドの多くの 知識人は、この2002年事件をアメリカの9.11と同様の事件と認 識している。そして、この時の州の首相、モディ氏は、この事件に対し て何らの釈明も謝罪をしないまま、それ以降目覚ましい出世を遂げて行 く。もっぱら、この事件には州政府や官憲が深く関与していたとの噂が あるのにである、もちろん、今でもインドのヒンズー教過激派の間で モディ氏は英雄である。

さらに、カプラン氏は2008年に起きたムンバイの同時多発テロは 、この2002年事件の報復であったと断言している。インド政府は パキスタン政府の仕業と非難したが、パキスタン政府は、これを明確 に否定している。多分、パキスタン政府の言い分は正しいものだろう。 このテロは、多分、パンジャブ人が担うパキスタン政府の仕業ではな い。むしろ、パキスタン政府から分離独立してインドに帰り、インド のイスラムの仲間と一緒になりたいヒンド族が関わっているのでは ないかとカプラン氏は述べている。

そうなると話は厄介である。シンド族を中心としたパキスタン在住の イスラム系インド人達の標的は、パキスタンのグワダル港ではなく てグジャラート州のアフマダバードになるからだ。DMIC計画で 建設されたインフラや施設も格好の標的になるかも知れない。現在、 インドには1億5千万人のイスラム教徒が居る。インドは、もとも と民族的にも宗教的にも多様性に富んだ国だった。そして、数千年も の間、お互いに極めて寛容な国でもあった。

中国系アメリカ人であるエイミー・チュアがその著書「最強国の条件」 で述べているように「帝国の勃興」は「寛容」さから発している。 スペインはアフリカへ逃げ遅れたイスラム教徒から天文学を学び、 当時ヨーロッパ中から迫害されたユダヤ人を受け入れることで莫大な 金融資本を得て、世界の海を支配する海洋大国になった。しかし、 一旦、大国になるとスペイン国王は全世界をキリスト教国にするんだ と、国内からもイスラム教徒とユダヤ人を一斉に追放した。その結果、 スペインは英国に海洋大国の地位を譲ることになったというのである。 「不寛容」さが「帝国の衰退」を招いたというわけだ。

数千年間も寛容だったインド社会を不寛容に変えたのは、スペインと 同様に、多分、この15年間の目覚ましい経済発展だったろう。その 不寛容さこそが、インドの希望を絶望に変える大きな要因となるに 違いない。それでも、どんな絶望の中にいても決して絶望を顔に出さ ないインド人は、きっといつの日か絶望を希望に変えるだろう。イン ド社会は、我々日本人が考えているような10年、20年単位で、物 事を考えては居ないのかも知れない。きっと、数十年、数百年単位で 考えているに違いない。我々も、インドと付き合う時には、そういう 時間レンジで物事を考えて行く必要があるのかもしれない。

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