ビジネスの前線をリタイアしてから久しぶりに新聞記者の取材を受けた。現役の時は、夜討ち朝駆けの自宅取材を受けたが、最近は、後方支援の方に回っているので、自分から発信する立場で講演をすることはあっても新聞記者から取材を受けることは殆どなくなった。
今回の取材の申し込みは、先日、文科省の次々世代スパコンの決起集会で、基調講演をしたことからと思われる。考えてみれば、世界一の座を獲得したスパコン「京」の開発には、未だ予算も何も決まっていないときから関わってきたので、今回の快挙は感慨もひとしおである。そして、今日の取材は日刊工業の天野記者で、大変良く勉強をされていて質問も的確で、こちらの説明も良く理解して頂いた。以下に、そのQ&Aの抜粋をご紹介したい。
天野記者 「今年6月に世界一を取ったのに、11月には米国に抜かれると聞いている。今後のスパコン競争をどう見るか?」
伊東 「米国が総力を挙げて、今年11月を目指して日の丸スパコン「京」を凌駕する次世代スパコンを開発中であることは、2-3年前から聞いている。予定どおり進んでいれば、11月にはTOPの座を明け渡すことになるだろう。後から開発を進めたものが、その上を目標とするのは当然だから仕方がない。それ以前に、我々は単なる性能競争をするためにスパコンを開発しているわけではない。最強のライバルでもあるIBMにしても、我々と同じ考えだと思う。研究開発の促進、産業応用への発展を通して、国家や人類のために役に立つ道具を開発するというのが最も重要な目的だ。」
天野記者 「富士通として、「京」の技術成果を転用した商用スパコンを、どのように販売していくのか?」
伊東 「富士通の具体的な販売計画は聞いていないが、神戸のスパコン「京」のセンター責任者である理研の平尾先生からは、800台のロッカーで構成される「京」の全体システムから、地球シミュレーターの性能に相当するロッカー3台分を切り出して、民間のお客様に販売したらどうかとの提案を受けた。かつて、ソ連のスプートニクに続き、アメリカを震撼させた日の丸スパコン、地球シミュレーターと同じ性能のスパコンが、タンス3個分で収納できるわけだから、導入するお客様も、イメージが掴みやすい。大変良い提案なので、富士通にも是非考えて欲しいとお願いをしている。」
天野記者 「京の100倍の性能をもつ、エクサ(1000ペタ)クラスの次々世代スパコンを開発するための課題と方策は?」
伊東 「10ペタの性能を持つ京から一気にエクサ・クラスのスパコンへ突き進むことは難しいと思う。消費電力の問題、実行効率の問題など課題は山積みだ。特に、消費電力の問題は、昨今の電力問題から制約条件は大きい。どういったやりかたが良いか、半導体の人たちと良く議論する必要があるだろう。今、特に具体的なアイデアがあるわけではない。実行効率はバスの問題とソフトウエアの問題だ。今回の京では、6次元トーラスを用いたTOFUバスが良い効果を果たした。次々世代では、光のバスをシリコンチップに直結するような画期的なブレークスルーが必要かもしれない。そして、一番大事なのはソフトウエアだ。スパコンの性能を上げるには、単純にプロセッサの数を増やせばよいと言うものではない。むしろ、増やせば増やすほど互いの会話が増えてオーバヘッドが生じて性能が落ちることすらある。京では、8万個あるプロセッサをOS(制御ソフトウエア)に対しては、もっとずっと少ない数に見せて実行性能を上げている。次々世代では、あるまとまった数のプロセッサ群をOSに関わりなく自律的に動くような仕組みにする必要があると思う。」
天野記者 「最近、中国が急ピッチで日本と米国を追い上げてきたが、今後の中国のスパコンについて、どうみるか?」
伊東 「昨年の11月のTOPは中国の天河1号がとった。汎用プロセッサに加えてグラフィックプロセッサを付加したのが特徴だ。グラフィックプロセッサは、応用分野は限られるが汎用プロセッサ以上に高い性能が出る。そして、世界のグラフィック・プロセッサは中国人によって作られているという事実を知っている人は余り居ない。シリコンバレーでは主に台湾系中国人が、カナダのトロントでは香港系中国人が世界的に秀でたグラフィック・プロセッサを開発している。私も、サンノゼ‐トロント便の飛行機に何回か乗ったが機内は中国系のエンジニアで一杯だった。中国政府も、こうした中国人の得意な分野を活かそうとしているに違いない。確かに、性能を出すにはグラフィック・プロセッサは極めて有効だが、アプリケーション・ソフトを書く人にとっては難解である。そこが、広範囲に普及するにあたってのネックになるかも知れない。」
天野記者 「スパコンはスピード競争に目が行きがちだが、それを活かすソフトが重要だ。スパコンを活かす分野には、どこがあるか?」
伊東 「まず、スパコンで重要なのはハード以上にソフトだという認識は正しい。そして、民生分野では、お客様が特別にスパコンのソフトを自分自身で開発することは殆どないし、また容易ではない。殆どのお客様が、スパコンの専用アプリソフト会社が開発したパッケージ・ソフトウエアを使う。だから、アプリソフト会社が移植することを嫌がるような特殊なハードウエアで性能を上げても産業利用には全く役に立たない。富士通が、ベクトル方式ではなくてスカラー方式の汎用プロセッサをベースに開発したのは、そうした理由による。」
伊東 「もう一つ、スパコンはあらゆる研究開発分野に役に立つ。最近は、理論、実験に続く第三の科学である「シミュレーション」を実行するプラットフォームとしてスパコンの存在が注目されている。ノーベル賞受賞物語には、必ず、幸運の女神が降臨するセレンディピティの話がある。今、人類は多くの解決すべき科学的課題を抱えており、幸運の女神にだけに期待するわけには行かない。スパコンを使って効率的に進めなければ人類は、早晩滅びてしまう。」
天野記者 「スパコンの究極の姿はどうなる?」
伊東 「人類が学ぶべき対象は、いつも神が創造した生物の中にある。ついに、照明も「蛍の光」から学んで、大きな省電力に結びつけた。究極のスパコンも、人間の脳を模すべきである。いつかコンピューターも、シリコンから離れてバイオテクノロジーで作られることになるだろう。そうすれば、究極の省電力を実現することができる。」