53 韓国のデジタル教科書

昨年から、日本でも、電子黒板とタブレットPCを用いたフューチャースクールプロジェクトが始まった。世界有数のIT利活用先進国である韓国では、ITを道具とした授業が、どのように行われているか、ソウル郊外のモデル小学校を見学させて頂いた。もともと、韓国は教育熱心な国で、大学進学率も既に80%を越えており、平均的な家庭における家計の中で、教育費が50%を越えているという、少し加熱気味の熱心さでもある。日本と異なり、公立の小中学校が大変しっかりしていることは良いことだが、評判の良い小学校の学区の土地の価格は高騰して庶民では手に入りにくいという。

そのように、国民全員が教育に対して熱心な国での、「デジタル教科書」導入プロジェクトであるから、政府も自治体も徹底的にやらないと、国民全員から総スカンを食うので真剣である。今回の、私の見学にもソウル市の教育委員会の責任者が立ち会って下さった。そして、今、韓国のデジタル教科書は第二クールに入っているという。電子黒板は従来の黒板の中に埋め込まれ、教師卓には、生徒全員のPC画面をモニターできる表示装置がついている。生徒の机の上には、それぞれHP製のペンタッチ式で画面が前後に回転するPCが装備されている。第三クールとして全国展開するときには、サムソン製のiPad相当PC($300の予定)になるという。

第二クールまでに、判ったことは、デジタル教科書が適合する教科と、そうでない教科があるということ。向いている教科は、社会、理科が圧倒的に向いていて、数学が比較的向いているという。そして、私が見せていただいた授業は、社会科、それも歴史である。これは、教え方、内容ともに、いろいろ考えさせられる授業であった。時代は、中国が唐の時代。韓国は、高句麗、百済、新羅と3国が朝鮮半島を支配している時代であった。実は、私は、韓国の歴史について、あまり詳しくはないので、この日の授業の中身の真偽について論評する知見を持っていない。先生が、この日のテーマとして取り上げたのは、百済と新羅が中国の唐と組んで高句麗を滅ぼしたことを議論したいらしい。

まず、先生が最初に質問するのは、当時の高句麗の領土は、どの範囲まであったかということである。生徒は、既に配布されているデジタル教科書とは関係なく、それぞれが自由に、自分の検索手法で高句麗のことを調べるのである。そして、先生から指名された生徒が、電子黒板の上に高句麗の版図を書いていく。どうやら、高句麗は、今の北朝鮮と中国の旧満州の3省(黒龍江省、吉林省、遼寧省)を領土としていたらしい。先生は、そこで、デジタル教科書を参照して、旧満州の真ん中に高句麗の王の墓があることを事実として示す。

次に、先生が生徒に質問するのは、「もし、百済と新羅が高句麗と戦わないで、3国が組んで、中国の唐と戦っていたら、今の、朝鮮民族の領土はどうなっているでしょう?」ということだ。ここで、生徒が、自分のPCに意見を書いていく。さて、その次の質問に移る。次の質問は、「もし、高句麗が唐と組んで、百済と新羅を滅ぼしていたら、今の朝鮮民族の領土は、どうなっているでしょう?」と来る。いずれも、小学生には、大変厳しい設問である。こうした問題を小学校の授業で取り上げる背景としては、中国側での歴史教育として、「そもそも、高句麗の領土は、すべて中国の中に入るべきで、北朝鮮も早晩、中国に編入されることが歴史的に正しい」と教えているかららしい。韓国としては、こうした中国の歴史教育に対抗する必要があるのだという。

韓国と中国、どちらの国の歴史教育が正しいかを論評する見識を、私は全く持っていないが、デジタル教科書を使った教育は、歴史教育を、従来の記憶一辺倒の教育から、考えさせる教育、意見を言わせる教育へと変貌させていることは良くわかった。小さいときから、こうした教育を受けていれば、大きくなって外交官や企業のM&A担当役員になった時に、合従連衡に関して、巧みな交渉能力を発揮させるのではないかと思われる。それこそが、歴史に学ぶということだろう。歴史を変えることは出来ない。しかし、歴史から多くを学び、未来の歴史を作っていくことに役立てられるとしたら、それは素晴らしいことだ。

さて、この韓国の「デジタル教科書」導入試験を見て、私が強く印象に残ったことが3つある。まず、第一は双方向性であるということ。生徒は、単に、先生の言うことを聞いているだけでなく、自ら能動的に手を動かしている。もっと正確に言えば指を動かしいているということ。だから、ボーっとしている暇が無い。もちろん、寝ている暇も無い。

第二は、教科書は、議論のきっかけを与える部分と最後に設問があるだけで、生徒は、その中身の知見を、一般のインターネット検索を用いて調べていく。そもそも、最初から、教科書にすべて盛り込むなどということを考えていない。インターネット時代に生きる子供達は、教科書の範囲を遥かに超えた知識を世界の知見から得ることが出来るからだ。日本のように歴史の教科書の中身の詳細を国家で検定しようなどとは韓国では最初から思っていない。世界の民衆は、もはや教科書よりもインターネットで得られる情報の方を信用するからだ。

第三は、この授業は、従来の教職課程だけを学んだ先生では出来ないということ。PCの使い方は、もちろん、講義の仕方、生徒の導き方まで含めて、全く、新しい教育手法を学ばないと実現出来ないように見える。つまり、もう一度、大学の教職課程をやり直す必要があるかも知れないということだ。韓国のデジタル教科書は2013年から第三クール、即ち、本番に入る。既に、完了した、第一クール、第二クールを通じて、韓国の教育界が一番力を注いだ課題は、電子黒板などの設備でもなく、教科書のコンテンツでもなく、新しい教育手法で教える先生方への教育が、最も重要なテーマだと言っていた。

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