383 光り輝く女性たちの物語(19)

今回、ご紹介する南 美里さんは、昨年、憧れだった世界4大コンサルファームの一つに無事転職を果たし、現在、関西地区の大手製造業の業務改革に関わっている、まさに光り輝く女性コンサルタントである。美里さんは、現在、やりがいのある仕事に懸命に取り組んでいる。しかし、ここに辿り着くまでの道は、10年間にも及ぶ長い困難辛苦の毎日だった。

美里さんは、滋賀県に生まれ、県内にある全国有数の進学校である膳所高校に進学した。今春、膳所高校野球部は59年ぶりにセンバツ出場を果たしたが、これは野球に全く興味を持たない膳所高校の女性データ解析部員の功績が大きかった。つまり、膳所高校は徹底的なデータ野球で秋の公式戦を勝ち抜いたのだった。美里さんも、この膳所高校のデジタルキッズとして育ち、リケジョとして、大阪教育大学情報科学部に進学した。

大学の3回生の時、美里さんは富士通が募集するインターン生として選ばれて大活躍する。その結果、翌年、富士通の採用試験に見事合格した。最終的には、コンサルタントを目指していた美里さんだったが、システムエンジニアとして仕事は充実した毎日だった。しかし、コンサルタントへチャレンジしたい気持ちを抑えきれず、2年で転職する。その後すぐに縁あって結婚。まもなく妊娠する。しかし、出産した7ヶ月後に結婚は破綻。美里さんは、育児休暇中にシングルマザーとなってしまった。

もともと、美里さんは、出産休暇、育児休暇を終了後、大好きな職場に復帰するつもりだったが、大誤算となった。東京で、夫の助けもなく、乳飲み子を、一人で子育てをしながら職場に復帰することは、25歳の美里さんには、大変厳しく感じられた。そこで、やむをえず、大きな未練を残して滋賀の実家の両親に育児を助けてもらいながら、関西地区で新たな仕事を探すことを決意した。幸い、京都に本社がある、世界的な大企業の情報システム子会社に就職することができた。しかし、最初に与えられた仕事は、システムのオペレーション、データ入力など単純な作業だけ。日本を代表するIT企業である富士通で鍛えられた美里さんには、あまりに物足りない仕事だった。

それ以来、美里さんは、その企業には8年間在籍するわけだが、毎日のように、滋賀から京都まで車を運転する間、「なぜ、私は富士通を退職したのだろう。どうして、こんな生活になったのだろう。私は、一体、何を間違えたのだろう」と後悔する毎日だったという。それでも、美里さんは、めげなかった。与えられた任務を一生懸命こなすだけではなく、「この仕事のやり方は、何かおかしいのではないか?」と分析をし、その改善を実践した。こうした努力が認められて、美里さんは、単純なオペレーターから、まとめ役になって行った。

そこで、美里さんは、さらなる提案を重ねて、どんどん仕事の範囲を拡大し、次々と重要な仕事を任されるようになっていった。本当に、充実した毎日であった。責任範囲の拡大とともに、美里さんにとっての、仕事のやりがいは、ますます強くなっていった。特に、美里さんは、根っからの徹底した現場主義で、現場に立脚した改善提案を次々と実現していった。しかし、美里さんが勤務する会社の親会社は世界的な大企業であり、その経営のやり方は業界でも高い評価を得ていたのにも関わらず、美里さんが勤務する、その子会社は旧態依然の典型的な日本企業であった。

つまり、美里さんの業務と責任範囲は、どんどん拡大していったのに、いわゆる職位は7年間もの間、全く変わらなかったのであった。働くだけ働かせて報酬は全くあげることはしなかった。シングルマザーとして、一人娘を立派に育て上げなくてはならない使命を持って働いている美里さんとしては、こうした処遇は忍耐の限界を超えていた。一方で、34歳での遅い転職を不安にも思った。「怖い!でも、やりたいことがあるのに何もしないなんて、人生を無駄にしてしまう。やらなくて後悔することが一番嫌だ。やってみて反省する方がいい。」娘さんも、ようやく、小学校高学年になり、もう日本はおろか、世界中、どこだって連れて行けるという自信を持った美里さんは、いよいよ転職を決意した。

そして、今回、世界でも名高い会計法人から発展したコンサルファームへの転職を見事果たしたのである。「今回の転職、なぜ成功したと思いますか?」という私の質問に対して美里さんは、「やはり、8年間もの間、めげずに現場主義に立脚した業務改革に挑戦してきたことが、将来のコンサルタントとして評価されたのだと思います」と言う。「諦めなくて良かった。投げやりにならなくて、本当に良かったと思います」と美里さんは、富士通時代を含めた10年間を振り返る。「富士通という大企業を捨てて、一度はコンサル会社に入社しました。それなのに、チャンスをつかめなかった。遠回りにはなったけれども、今やっと、夢の入り口に立てました。娘という宝物も得ることができました。私の人生は間違っていなかったと思います」と美里さんは微笑んで言う。

美里さんは、現在、滋賀の実家で両親と共に、知的障がい者の兄と住んでいる。お兄さんは、毎日、障がい者に優しい滋賀の製造会社に通って元気に働いている。ご両親は、実は、娘さんの美里さんと孫娘が実家に帰ってきたことを正直喜んでいる。今や、美里さんの娘さんも小学校4年生となり、美里さんと一緒に、シンガポールや韓国など、海外旅行に付き合う良き仲間にまで成長した。もう、美里さんに過去を振り返り人生を後悔する必要はない。だって、今や、美里さんは、日本を代表する光り輝く女性たちの一人なのだから。

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