381 今日の成人式に思うこと

今日は、成人式。皆、晴れ着を着た幸せな姿に、心からおめでとうと言いたい。しかし、成人式には、それぞれ、いろいろな思い出がある。例えば、私の長男の成人式には、今でも、本当に済まなかったと思っている。私たち夫婦は、2人の男の子を中高一貫校の私立に入れることで給料の殆どを使い果たし、息子の成人式にまともな支度を整えるだけの余裕がなかった。長男が横浜アリーナで行われる成人式に参加するための背広の購入費用が捻出できず、彼のバイト収入に負担させたのだった。

流石に、一旦、ムッとした長男だったが、私たちの家計事情を理解し、近所のアオキ本店に行って自分の貯金で成人式に出席する背広を購入した。私たち夫婦は、今だに、その時の負債に対して長男には頭が上がらない。さて、自分たちは、成人式の時に、一体、どうだったのだろうかと考えてみた。正直言って、私は、成人式の記憶は全くない。その時、私は、東大に入学して駒場に通う大学2年生だった。殆どの東大生がそうだろうと思うが、私も同じく、出身地の高校では開闢以来の秀才として持て囃されて、有頂天になっていたのが、東大に入学した途端に、周囲の友人を見て、自身が、ごく普通の何の取り柄もない人間だと自覚するに至る。

その途端に、これまでの20年近く抱いていた価値観が根底から崩壊する。それに悲嘆して自殺する人も少なくはない。私の下宿の先輩も、日光華厳の滝から飛び降り自殺したと聞かされた。流石に、私は、そこまでには至らなかったが、世の中の全てが信用できなくなっていた。当時の成人式は、1月15日で、その1ヶ月後の2月11日が、初めての建国記念日に制定されようとしていた。2月11日は、神武天皇が即位した紀元節を復活するものであったが、私たち、東大駒場の学生の殆どは戦前の体制に復帰する行事として大反対だった。つまり、成人式どころではなかったのだ。

当時の、私たち若者は、大人たちのやることが全て信じられなかった。だから、自分たちのために、祝ってくれる成人式なる行事は、何らかの悪企みがあるに違いないと考えたのだ。当然、そんな行事に参加する意思など毛頭なかった。また、1月15日は、皆、故郷から新学期のために帰京したばかりであり、その欺瞞の行事のために、わざわざ大金を払って帰郷するなどトンデモナイとも思っていた。まさに、私たちが成人式の時代は、1970年の安保改定の直前でもあり、アメリカではベトナム反戦、フランスではカルチェラタンの学生暴動など、全世界の若者が時の政府に反抗し立ち上がった時でもあった。

私も、来年、経団連会長に内定した中西宏明さん達と一緒に「安保反対、東大を潰せ」と東京都内を走り回っていた。特に、中西さんが偉かったのは、東大の先生たちと学生たちを一緒に議論する場を積極的に設けていたことだった。私たちが、卒業した25年後、当時の先生に対して開いた感謝の会で、恩師の先生から聞いた意外な言葉は今でも忘れられない。「あの当時、君たちは、東大を潰せと言っていたよね。あの時、なんだ、こいつらは、気狂いかと私たちは思っていた。でも、今、思い起こすと、君たちは正しかった。あの時、東大を一度潰して、作り直していたら、今のような世界で二流の大学にまで凋落してはいなかっただろう。」

私たちが、成人式を迎える時代は、今のように、皆から祝福されるようなことなど全くなく、まさに殺伐とした時代だった。そう、私たちは、皆、時代の反逆児だったのだ。「こんな世の中は全くおかしい。全て変えて行かないと、日本は、もう立ち行かない。」という危機感が皆の心にあった。案の定、その20年後に、絶頂だった日本経済のバブルは脆くも弾け、長期低迷の時代に入った。でも、私たち団塊の世代は決して、それにはめげなかった。もともと、戦後の、うたたかの繁栄は何かおかしいと疑っていたからだ。

しかし、今は、どうだろう。今日、成人式を迎える若い人たちは、未曾有の人材不足で就職活動は、かつてのバブル以来の恩恵に預かっている。果たして、彼らは、本当に幸せなのだろうか? これから進展する、人工知能の発達は、多くのホワイトカラーの職業を容赦無く奪って行く。日本のメガバンクが、それぞれ、1万人規模の人員削減を発表しているのは、もう既に、その目処が立っているからだ。よらば、大樹の陰、一流の大企業に就職できれば一生安泰という時代は、とっくに過ぎ去っている。

常に、現実に対して懐疑心を覚え、誰にも頼らないでも生き抜いて行くという我々団塊の世代の自立の精神を、今日、成人式を迎えた若人たちに、ぜひ養って頂きたいと思う。日本で生きて行く君たちの将来は、君たちが何もせずに約束されたものではない。今の、大人たちは、君たちの将来のことを全く考えずに、莫大な借金を、君たちに押し付けている。そのことに、もはや、君たちは無関心ではいられない。君たちの将来こそ、年寄り世代に任せておくのではなく、君たち自身が考えなければならないのだ。

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