379 色覚異常について考える

今、TBSの報道特集で色覚障害の問題をやっていた。このTVを見ながら、我が家の色覚異常の問題を思い出した。今から半世紀ほど前、私たちの小学校時代は、毎年、身体検査の時に、世界でも最も厳しいと言われる石原式色覚検査が行われ、男3人兄弟で長男の私は正常だったが、弟二人は赤緑色弱と診断された。色覚異常は母親の遺伝子に影響され、主として男の子にしか発症しない。私たち3人兄弟は、皆、AB型でよく似ているのに、この遺伝子だけは違ったらしい。

兄弟3人とも理数系が得意で、私は東大の理一を受験し、工学部に進んだが、次男は、私以上に理数系が得意だったが、色覚異常は、技術系の就職にも影響するという噂もあり、あえて東大の文一を受験し合格、法学部に進学した。彼は、東大を卒業後、郵政省に入省し、郵政民営化後の日本郵政にて専務まで務めたので、結果的に成功したと言えるのだろう。しかし、彼の息子は小学校6年生の時に世界数学オリンピックで銀メダルを取っているので、彼も本当は理系に進んだ方が良かったのかも知れない。

さて、三男が大学に進学する頃には、世の中が少し変わってきていて、色覚異常は実生活には殆ど影響なく、理系に進学しても就職差別には至らないという社会常識に少し変化が生じてきた。こうした情勢を踏まえて、彼は、私と同じ東大の理一に進学した。もっと、丁寧に説明すれば、彼は小さい時から医者になりたかったのだ。そうは言っても、東大の理三は、並大抵のことでは入れないので、大学受験の一期は東大の理一を、二期は東京医科歯科大学を受験した。予想通りというか、案の定、東大は合格したが、東京医科歯科大は不合格だった。

家族会議においては、三男は、東京医科歯科大を落ちても、東大に合格したら、医師の道は断念して東大に進学するという約束だった。それでも、彼は、小さい時からの医師になるという夢を、どうしても捨て切れなかった。ところで、色覚異常という障害を持ちながら医師になるということは本当にできるのだろうか? 私たちは、必死になって家族皆で調べて見た。しかし、こういうことは、きちんと明文化されていないのだ。

それでも、色々なアングラ情報をかき集めてみると、東大医学部眼科の初代主任教授が色覚異常だったらしく、東大医学部は色覚異常に対して、どうも寛容らしいという。その考え方は、東大が支配する東日本全体の医学部に影響を与えているらしい。一方、これも噂の域を出ないのだが、西日本では京大医学部眼科の初代教授が東大に対抗して色覚異常者には絶対に入学を許さないと言う方針を堅持した結果、西日本全体の医学部は色覚異常者の入学を許していないと言うことであった。実際に、当時の京大医学部の募集要項にも、そう記述されていた。それで、我が家の三男は東大を中退してから東北大医学部を受験、無事入学し、国家試験にも合格、何とか医師となることができた。

今日のTBSテレビの放送では、文科省が学校での色覚検査は無用な差別を生じるので、14年前から中止としたらしい。それで、今の若者は、自身が色覚異常との認識が全くなく、絶対に色覚異常を認めないパイロットなどの職業への道を突如絶たれることが大きな問題になっているらしい。そうした、問題を避けるために、文科省は、一昨年から、再度、小学校での健康診断で色覚検査を復活したようだ。しかし、子供達は、「皆と違う」と言うことだけでイジメの対象とするので、検査のやり方には、やはり注意が必要だろう。

私自身は、色覚異常とは言われなかったが、兄弟二人が色覚異常と言われたので、この問題には昔から大きな関心を持っている。石原式色覚検査シートをよく見てみると、正常者に見えるチャートと異常者に見えるチャートが並んでいる。本当に、厳格によく出来た検査ツールである。世界に、これほど厳格な検査ツールは類を見ないと言う。

大体、私の弟二人が異常なのか?私が異常なのか?一体、誰が決めるのだろう。多数派が正常で、少数派が異常だと言うのも少しおかしいのではないか?ひょっとしたら、「色覚異常」と言われている人たちは、色感覚の天才なのかもしれない。皆んなと同じ、平凡な人間なら「正常」。皆んなと異なり、あまり見ない人間なら「異常」。こういう考え方しか出来ない社会で、きっとイノベーションなど生まれない。今日のTBS放送を見て、色覚異常について、久しぶりに考えさせられた。

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