375 スマート農業について (2)

善祥園の平田社長と一緒に、十勝加藤牧場に着いた時、加藤社長は外出されていて留守だった。平田社長が加藤社長に電話をすると、「留守していて申し訳ないが、どうぞ、勝手に好きなだけ見て行ってください。」ということだったらしい。何度も、この牧場に通っている平田社長は、この加藤牧場の設備を全て熟知しているので、加藤社長が留守でも私たちに十分説明できるということだったのだろう。あとで、気がついたのだが、この牧場は無人でもきちんと業務が進行していることだった。

まず驚かされるのが大きくて立派な牛舎である。四方の壁が木製の断熱材で覆われており、壁の上部3分の一は換気用の窓になっている。窓にはガラスの代わりに空気を内包した半透明のジャバラが上下できるようになっている。半透明なので外光を柔らかく牛舎内に取り込んでいる。このジャバラは、牛舎内の温度、湿度と外気温の関係を見てコンピュータ制御で自動的に開閉する仕掛けになっている。この結果、猛暑の夏でも涼しく、真冬に外気が氷点下20度になっても牛舎内は10度程度に保たれるという。

この近代的な牛舎に入るに際して、私たちは青のビニールカバーで靴を全面覆い、石灰石で消毒してからようやく牛舎に入ることを許された。その最初に見た光景がオランダ製の全自動搾乳ロボットであった。何と、1台2,500万円である。私たちが、突然牛舎に入ったことで、一頭のホルスタインは緊張のあまり搾乳ロボットに入ることを躊躇して固まっていた。この全自動搾乳ロボットは、餌によって牛を誘導する。牛は、あらかじめ十分な餌を与えれておらず、空腹のあまり、自らの意思で追加の餌を食べるために搾乳ロボットへと向かう。

各々の牛は、こぶし大のID装置を首からぶら下げている。このID装置はメモリと無線発信機を有しており、乳房炎であるかないかという健康情報と、1日の搾乳量を記憶している。牛は、追加の餌を接収するため搾乳ロボットに入るが、そこで、搾乳ロボットは規定以上の乳を搾乳することはない。さらに、牛の4つの乳房の、どこからどれだけの乳を搾ったかまで記憶している。もちろん、搾乳する前に乳の品質を検査し、乳房炎を発症していれば搾乳したミルクは、タンクに送らず、全て自動的に廃棄する。一般的に乳房炎の発症比率は5%くらいらしいが、この加藤牧場では、ほぼゼロであるという。

ところが、私達が注視する中で、搾乳ロボットの前で佇んでいるホルスタインが、緊張のため、いつ搾乳ロボットと合体するのか全く見えなかった。私が、「早く、前に進んで」と促しても全く動じない。彼女は、見知らぬ訪問客を警戒しているのだ。「困ったな」と思っていたら、助っ人が現れた。ホスルタインと一緒に飼われているジャージー牛が後からやってきて、鼻で前にいるホルスタインをつついている。「お前、一体何をやっているんだ。早くしろよ。俺は腹が空いてんだ。」と言わんばかりにホルスタインを背後から促した。

やった。とうとうホルスタインが搾乳ロボットの前にある餌箱に首を突っ込んだ。すると、搾乳ロボットは作動を開始し、レーザー光線で牛の乳房をチェックし、4本の乳房の洗浄を始めた。洗浄が済むと、4本の乳房の一本、一本にレーザー光線からの情報を認識して、狙いをつけて搾乳器をアタッチし、搾乳を始める。もちろん、この搾乳ロボットは、既に、今日、この牛からどれだけの乳量を得ているかを知っており、過剰な搾乳をすることはない。搾乳が終わると、このロボットは乳房の消毒を開始する。搾乳前の洗浄と搾乳後の消毒は全く違う。牛乳に薬品を一切混入させないためである。

このホルスタインの搾乳を終えると、次に控えているのは、先ほどホルスタインを促したジャージー牛の番である。加藤牧場では、全体の三分の一はジャージー牛を飼育している。ジャージー牛は、ホルスタインより体も小さく搾乳量も少ないが乳脂肪が濃く、独特の美味しさで人気がある。つまり、ホルスタインより付加価値が高いのだ。しかし、搾乳ロボットは一台2,500万円もする高価なものであり、加藤牧場では牛舎140頭を2台の搾乳ロボットで賄っている。つまり、この搾乳ロボットは、次に来る牛がホルスタインかジャージーかを判別し、搾乳物を別なタンクに弁別して送っているのである。

この搾乳ロボットの見学を終えて、私たちは、牛舎の中に入った。ここは、実に牛たちの楽園である。ゆったりとしたスペースの中で、牛たちはゆっくりと歩き回り、お腹が空いたら搾乳ロボットへ行けば、追加の餌がもらえるし、何度も搾乳ロボットを訪れても、1日の限界以上に搾乳されることはない。広大な牛舎は中心部が柵で囲われており、牛たちは柵から頭を出して牧草を食う。牛は、この牧草を食べると、もっと遠くにある牧草を欲しがるのだが、この餌寄せという作業を巨大なルンバロボットが掃除ではなくて餌寄せを自動的に行うのだ。すごい。カメラとAI(人工知能)の組み合わせで、こうした作業をいとも簡単に行ってしまう。

柵の中央には、牛たちがフンや尿をするトイレがある。このし尿や糞は、定期的にスイープされて、1箇所に集められて、牛糞を原料としたバイオガス発電装置に送られていく。こうした定期的な清掃が行われているため牛舎全体が臭くない。この「臭くない」ということは極めて重要である。ここで働く人々の負担も軽くするだろうし、多分、私の想像だが、牛も気分が良いのではないか。牛も気分良く毎日幸せなら乳量も増えるだろうし、病気にも罹りにくいだろう。

もう一つ驚いたのが、牛舎の中央に2箇所、大きなブラシが回っている。牛たちは、そのブラシに体を擦り付けて体を掻いてもらっている。これも、牛が順番に行儀よく掻いてもらうのを待っているのだ。牛は、私たちが想像する以上に、知能指数が高い。毎日、幸せに暮らす牛から搾乳される乳は、きっと栄養価が高いに違いない。そして、そこで働く従業員もきっと幸せに違いない。ここで、ハッと私は我に返った。この牛舎では、酪農作業の本質的なことが全く無人で行われている。しかも、牛たちが極めて幸せな形である。

搾乳という非人道的な作業が、ここまで無人で自動的に行われるならば、酪農とはなんと楽な仕事になるのだろうと思われたら、それは大きな間違いだ。搾乳は、酪農において最も過酷な仕事であることには間違いないが、酪農の本質的な作業は搾乳ではない。人間も牛も、産後に、お乳を出すが子供が大きくなるとお乳の量は減少する。乳牛も全く同じである。常に、乳牛に十分なお乳を出させるためには、常に妊娠させていなくてはならないのだ。しかも、ホルスタインに和牛を産ませるには、体外受精という極めてトリッキーな作業を行わなくてはならない。

人間もそうかもしれないが、牛も冷凍保存された受精卵の着床率は50%ほどまで低下する。黒毛和牛の雌から、最も適切なタイミングで卵子を採集し、受精させた卵子をホルスタインの最も適切な時期に着床させることは、奇跡に近いタイミング合わせが必要である。毎日、過酷で苦しい搾乳という仕事から解放された酪農従事者は、生命の受け渡しという、非常に難しい仕事に取り組まなくてはならない。しかし、この仕事は、難度が高く、キャリアパスの醸成として、生きがいのある仕事である。毎日の単純で過酷な仕事は、IoTやAI(人工知能)に任せ、本当に難度が高い難しい仕事を人間が請け負う。スマート農業が目指す、本当のゴールが、ここにあるのかも知れない。

真の「働き方改革」とは毎日の辛いルーチンワークから、難度が高い、キャリアパスとしても意義がある、生きがいのある仕事へと変えていくことであろう。

コメントは受け付けていません。