374 スマート農業について (1)

今年5月、シリコンバレーのマウンテンビューにあるコンピューターミュージアムで開催されたAG-Techに参加した。AG-Techは、ITを用いて農業の近代化を目指す集まりで、シリコンバレー各地から多くのスタートアップが農業に対する熱い思いを伝えていた。私は、このAG-Techに参加する前日、この団体のCEOであるRoger Royse氏にインタビューをした。Royse氏が語る、アメリカ農業の最大の課題は、気候変動対応や収量拡大でもなく、なんと「人手不足」だった。

現在のアメリカの農業の主たる担い手は「不法移民」である。仮に、トランプ政権が不法移民を一掃したとするとアメリカ人は明日からイチゴやレタスが食べられなくなる。さらに、アメリカは世界最大の農産品輸出国であるが、一方で、アメリカ人が消費する食料の40%は外国からの輸入に依存している。その輸入元が殆どメキシコからというのも皮肉なものだ。メキシコからの自動車輸入を規制するためにNAFTAを解消すれば、結果としてアメリカ人は食料の値上がりで苦労することになる。だから、メキシコの大統領はNAFTA交渉で簡単にトランプ大統領には屈しない。

世界最大の農産物輸出国のアメリカでも、農業問題では大変苦労している。ラストベルトと呼ばれる白人貧困地帯も、昔は農業や製造業で賑わっていた。ラストベルトを支えていた製造業は既に海外に移転し、綿花や穀類を中心とした農業は機械化で人手が要らなくなり、その他の品種を扱う農業では人件費の高い白人は追い出されて不法移民が中心となって働いている。トランプ大統領の支持母体であるラストベルトの基盤はこうして形成された。この構造的な問題を解決するのではないかと期待されているのがIoTやAI技術を使いこなしたスマート農業である。

この度、私は社外取締役を務めているゼンショーホールディングス傘下の畜産・酪農会社「善祥園」の見学をさせてもらった。現在、善祥園は北海道十勝帯広地方に4箇所の牧場を有している。総面積650ヘクタールに、黒毛和牛を中心とする肉牛1,200頭、乳牛300頭を飼育している。2ヶ所は肥育を目的とした肉牛牧場で、後の2ヶ所はホルスタインによる乳業牧場である。本来は、肉牛牧場と乳牛牧場は、経営の仕方が全く異なり、共存させてもシナジー効果は殆どない。

「すき家」や「なか卯」といった牛丼を提供する外食チェーンを保有するゼンショーの本来の目的は、黒毛和牛の肥育牧場である。それが、なぜ、乳牛牧場を経営しているかは、実は深い意味がある。黒毛和牛の子供は高価で、外部から購入していたのでは殆ど採算が合わないからだ。善祥園では、この黒毛和牛の子牛を生産するのに、体外受精をした黒毛和牛の卵子を乳牛の子宮に着床させ、ホルスタインの借り腹で黒毛和牛の子牛を効率的に生産することでコストダウンを行っている。

自分で黒毛和牛の子牛を生産するコストは購入コストの約10分の一である。それ以外の理由として、黒毛和牛の子牛は脆弱で下痢や肺炎で死亡するケースが高い。母牛の健康状態や妊娠中のケア、また出産直後の子牛のケアが、生まれた子牛の、その後の肥育に大きく影響する。そのため、自身で、子牛を生産する意義は計り知れない。日本でも1,000頭以上を飼育するギガファームでは、殆ど、この方式をとっている。そうは言っても、乳牛を飼育する酪農牧場の苦労は並大抵のものではない。

1975年から2015年までの40年間の日本の酪農事業の推移を見てみると、まず酪農家の数としては、個人、法人を合わせて13万戸から1万8千戸へと約10分の一に減っている。しかし、酪農の大規模化で飼育する乳牛頭数では2割しか減っていない。さらに、生乳の生産量では全く減っていないばかりかむしろ増えている。1頭あたりの年間搾乳量が6,000リットルから8,000リットルへと大幅に向上したからである。特に300頭以上を飼育するメガファームは141社で、全酪農家の0.75%で、その7割は北海道に偏在している。今後も、40頭以下の零細酪農は、どんどん減り、大規模化の流れが止まることはないだろう。

酪農という仕事は極めて過酷である。乳牛は一日3度搾乳をしなくてはならない。一日、ほぼ30リットル。1回10リットルである。1回でも搾乳をサボると牛の乳房には10リットルの乳が残り、乳房炎を発症する。一度、乳房炎になった牛の乳は1週間搾乳しても廃棄するしかなく、大損害である。100頭飼育していれば、1回の搾乳時間は3時間、1日9時間である。それが、365日休みなく続く。こんなことは、家族経営の乳牛牧場でしかできない。企業でこれをやったら、まさにブラック経営だと非難される。

善祥園は、会社組織なので、社員は交代勤務で週休二日、毎日最大でも9時間勤務、牛の出産時以外の夜勤は全くない。その出産についても、出産間際の牛に、各種センサーをつけて、24時間以内に出産する牛が出てきた場合だけ夜勤を行うことにしている。しかし、そうした会社組織での働き方は家族経営に比べて大幅な人件費コストの高騰につながるので、あらゆる分野で、徹底的なコスト削減の方策を見出さなくてはならない。

現在、善祥園が取り組んでいるのは、あらゆるプロセスの数値化である。牛の健康管理、乳牛であれば搾乳量、肥育牛であれば体重増加率など、餌の配合との関連を全て数値化して管理している。さらに、今後のコストダウンについては、AIやIoTを駆使した徹底的なロボット化を目指している。設備投資には大金を使うが、安定した事業継続は、もはや作業の人依存性を減らすことしかない。日本国内の各所で研修生として活用している外国人材の利用も、早晩、継続が難しくなると思われるからだ。

この善祥園が将来のあるべき姿として模範としているのが、これから紹介する同じ十勝帯広地区にある加藤牧場である。善祥園の平田社長は、加藤牧場の加藤社長の薫陶を受け、自らオランダ、カナダ、アメリカ、オーストラリアに出張して現地見聞しながら加藤社長の教えを実際に現地で自分の目で見て確認している。平田社長が私たち社外取締役を招いてくれ案内してくれた本当の理由は、加藤牧場のような先進的な設備投資を積極的に行い、将来に渡って経営を持続可能なものにすることへの理解を深めることにあった。

日本で最大の牧場は茨城県のみずほ牧場で飼育頭数は4,000頭である。善祥園の平田社長がアメリカのウイスコンシン州で見た大規模酪農牧場は1箇所で10,000頭を飼育しており、その経営の仕方を見たときのショックは大変なものだったという。今後、日本政府が、真剣にTPP対策としての酪農業の助成策を考えるのであれば、零細酪農家の赤字補填ではなくて、やる気のある酪農家への設備投資支援ではないかと思われる。さて、加藤牧場の加藤社長は、どうして競争相手である善祥園の平田社長に、自身が苦労して磨き上げた設備の全てを見せて親切に指導をしているのだろうか? 

それには酪農業界の特殊な事情がある。生乳は輸送中に揺らされるとバターになってしまうので遠方まで移送できない。近くの加工場所で加工乳かチーズかバターにする必要がある。その製造設備は採算上、一定以上の規模が必要である。十勝帯広地区では個人、法人合わせて、約80軒の酪農家がいて、その全てが雪印メグミルク大樹町工場に出荷している。つまり、酪農家は一人だけ抜けがけで成功することが許されていない。加藤社長は、十勝帯広地区の模範農場として地域全体の活性化を望んでいる。さて、この加藤牧場で私は驚きの光景を見ることになる。ぜひ、次の機会でこの興奮を伝えたい。

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