362   働き方改革について (5)

多くの職業が人工知能に置き換わるかもしれない近い将来に向けて、若者、特にまだ幼い子供たちには、今からどのような教育を受けさせたら良いのだろうかを考えてみたい。少なくとも、私たちが受けた教育の主眼は「知識の習得」であった。一流大学へ合格したいと思う生徒は、たくさん勉強して多くの知識を蓄えることに専念した。社会でも尊敬される人は、多くの知識を得た「学識経験者」と呼ばれる人々であった。しかし、これからは知識の豊富さでは圧倒的な人工知能との競争において勝てない。人間にとって、もっと重要なことは「知識力」より「考える力」や「創造力」である。

3年ほど前に、当時のスタンフォード大学のジョン・ヘネシー学長から、スタンフォード大学の教育方針を伺った。スタンフォード大学では、これまで、私たちが見慣れたような、先生が教壇に立って生徒に一方的に講義をする形での授業は行われないのだという。教材や参考書は事前に生徒に渡しておいて、授業では、生徒が解らないことを先生に質問する、あるいは先生が生徒に対して、どう理解しているかを質問する形で、いわゆるアクティブ・ラーニング授業が行われているという。

そもそも、私たちが受けてきた先生から生徒への一方向性の学校の授業の形は、近年になってからプロシャで始まった軍事教育訓練学校からだと言われている。つまり、生徒には余計なことは全く考えさせない、ある意味での洗脳教育であった。日本の教育体系はプロシャを引き継いだドイツから学んでいるので、生徒に考える余地を与えないで、皆に「右向け右」と同じ方向を向かせる、兵隊の養成教育方式が主流となった。先生と生徒が個別に習う、明治維新以前の寺子屋の方が、むしろ「考える力」を養う教育のやり方としては優れていたのかも知れない。

ただし、明治維新に貢献した多くの長州や薩摩の若い下級武士たちは、幕末からロンドン大学に入学して西欧の先進文化を学んでいた。当時のロンドン大学は世界で最も先進的な大学だった。オックスフォード大学やケンブリッジ大学が、英国貴族の男子しか入学を許さなかったのに対して、ロンドン大学は英国の平民以外に英国国籍以外の外国人、そして女性までにも門戸を開放していた。こうした多様性がロンドン大学の名声を高め、その評価がオックスフォード大学やケンブリッジ大学を超え始めた時に、両大学はロンドン大学を潰そうと画策したらしい。

さて、さらに明治政府が素晴らしかったのは、日本が西欧先進国に追いつく為に多くの優れた外国人教師を招聘したことだった。その外国人教師への給与支払い額は、当時の日本の国家予算の三分の一にまで達したという。まさに、「国家百年の計は教育にあり」である。その意味で、人工知能時代でもサバイバルできる子供達を育てる教育の本質とは何か? 英国やアメリカが、K12(初等中等教育)に対して、どのように考えているか、日本は再び、英国やアメリカから学ぶ必要があるのかもしれない。

英国教育省で伺った話は、次のようなものである。英国政府は、移民の流入増加や貧富の格差拡大で社会が、今以上に不安定になることを恐れている。私たちが訪れた部門の責任者の名刺にはInternational Education Divisionと記されていた。もはや、英国の小学生の20%近くが英語以外の言語を話しているからだろう。 そこで、英国教育省が力を入れているのが公立小学校の技術教育(デザイン&テクノロジー)である。たとえ大学を卒業できなくても、社会で立派に働いていけるための技術を子供達に身につけさせたいと考えている。その技術とはプログラミングであった。それも、5−7歳のクラスからプログラミング教育を始めるのである。

私が、見学に行った公立小学校では、正規の授業が終わる午後3時から、3−4年生クラスのプログラミング教育が行われていた。希望者だけというので、日本で言うと部活に相当するのだろうか。30人くらいのクラスに先生が二人、この方達は、かつてIT企業で働いてリタイアされたボランティアの方々である。皆、「スクラッチ」と呼ばれるビジュアル言語を使ってゲームソフトを開発している。それぞれが、ストーリーを考えて独自のゲームに仕立て上げている。先生は、生徒から呼ばれるまで助けることはない。私は、日本から半年前に転入したと言う小学校4年生の女の子に「楽しい?」と聞いてみた。「物凄く面白い。英語を話すのは、未だ上手ではないけれど、プログラミングは簡単に出来る」と自信ありげに答えてくれた。

この英国のプログラム教育では、与えられた命題をプログラム化すると言う教育ではない。自分で好きなストーリーで、どんな形のゲームに仕立て上げるのも自由なのだ。未だ小学生なのに、数式を使ってフラクタル図形を描いている子供もいる。それぞれが、自分のレベルに応じて好きにやらせている。もちろん、出来上がったものに対して先生は何の評価もしない。自分で、良くできたと思えば、それで良いのである。こうした、自由な教育こそが創造性を育てるのであろう。

次に、MITで長年、初等中等教育(K12)の研究プロジェクト(Blossoms)をリードして来られたLarson教授の研究室を訪れた時のお話をしたい。教授は、小学生が講義を聞いていて集中できるのは、たった2分間しかない。それ以上は、いくら話をしても頭には残らない。2分たったら、生徒の側に主導権を渡して、アクションをさせないとダメだと言う。それで印象に残るようにして、頭に刻んでから、次の説明に入ると言う手順が必要なのだと言う。それでも、頭に刻まれて知識として残ること自体も、さほど重要ではないと言う。その間、頭の思考回路が動いて、考えると言うことこそが最も重要なのだとLarson教授は言う。

Larson教授は、また、知識を習得すると言うことではなくて、「考える力」を習得するのに、一番有効な学科は「数学」と「科学」であると言う。皆が、エンジニアやPh.Dになるわけではないので、この「数学」や「科学」が得意にならなくても良いし、成績が優秀である必要もない。この「数学」や「科学」の問題を解き明かしていくプロセスの中で、頭にたくさん汗をかくことこそが重要であると言う。たくさん汗をかいた事で培われた子供達の「集中力」や「発想力」が、将来の可能性を高めるのだと言う。

人工知能が社会の中で大きな役割を果たす中で、重要なことは「記憶力」ではなくて、「好奇心」や「発想力」で、それらが「創造力」に結びついていく。私たちは、これまでの子供達の教育体系を大きく見直して行かなければならないかもしれない。

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