358   働き方改革について (1)

今年の安倍政権の主要政策として、この「働き方改革」が取り上げられ、連日メディアを賑わせているが、私にとっては少々違和感がある。もちろん、過労死を防ぐための労働時間の上限規制などは、個別には極めて重要なテーマもあり、それ自体に異論は全くない。違和感を感じる根本的な問題は、この「働き方改革」が日本の少子高齢化に伴う生産年齢人口の急激な低下から発想されていることである。とにかく人が足りないと、どこの企業の採用担当者も悲鳴をあげている。このまま思うような人員の採用ができなければ、企業の存続にも関わるというわけである。

かつて、同じような状況が1980年代のバブル期にあった。その時に、私も、大学卒の採用活動にも協力したが、確かに、特に優秀でもない、ごく普通の人材ですら確保するのが大変だった。結果、そのバブル期に大量採用した人材は、その後、大きな後悔のもとになっている。一方、1990年代後半からの就職氷河期には、可哀想に、相当優秀な人材ですら就職活動で思うような結果を得られなかった。どこの企業も、たった10年もしない間に、無用の人材を大量に採用し、一方で優秀な人材を逃しているのである。世界中で唯一、新卒一括採用という制度を取っている、この日本の採用活動ほど、非効率で不公平なものはない。

アメリカでは、大学新卒の就職率は20-30%くらいで、無事就職できた学生は在学中に企業にインターン活動をして、その実力を評価されたものたちが殆どである。しかし、新卒で就職がうまくいかなかったとしても、再チャレンジの道はいくらでも残されている。それで、多くの若者が友人同士で起業する。起業して成功するのは1%にも満たないが、そこで頑張って苦労すれば、その経験がキャリアとして認められて、就職活動に役立つからである。アメリカ社会では、何も仕事ができない新卒の学生を採用して戦力になるために企業が教育しようなどという考えは全くない。どうせ、3-5年経てば、次の職場に転職する社員にお金をかけて教育することなど全く無駄だと考えているからだ。

一方、日本では、せっかく苦労して採用し、手をかけて教育をした人材の3割近くが3年以内に辞めている。それで、入社から10年も経って、やっと一人前の戦力になったと思えば、他社から、より高待遇の条件を提示され、何の躊躇もなく転職することが日常茶飯事になってきた。とにかく、日本の労働市場は未曾有の売り手市場になってきた。だから、残業も少なくて休暇が多く、多様な働き方も認めますというキャッチでも歌わないと、ますます採用が困難な時代に突入した。それで、この「働き方改革」というテーマが突然脚光を浴びてきたのであろう。それでも、私は、この問題は政府主導で進めるべきテーマではなく、まさに企業経営者の問題だと思うからだ。

そもそも、日本の企業は、せっかく苦労して採用した優秀な人材を有効活用しているのだろうか? 日本とアメリカの労働生産性を比較すると、日本は圧倒的にアメリカに比べて劣っている。アメリカの労働生産性を100とすると、日本では化学工業分野で143と唯一アメリカ対比で優れているが、土木建設では84、金融では48と半分、小売・サービスでは34と3分の一、IT分野では19と5分の1、農業では5と20分の1である。つまり、日本の企業経営者は、アメリカに比べて、現在雇用している従業員を十分に働かせる環境に置いていない。

長時間労働で働きバチとまで言われる日本の従業員は、働く時間ほどに企業の業績に寄与していない。これでは給料が上がらないのも当たり前である。今、まさに喫緊の課題は「働き方改革」ではなくて「働かせ方改革」である。いかに従業員に無駄な仕事をさせないで、効率よく働かせるかを考えなくてはならない。そうすれば、自ずと長時間労働は減り、仕事へのモチベーションも上がり、今よりもっと数多くの従業員も採用しなくて済むので、賃金も上げられるのではないだろうか。

どうして、日本ではアメリカに比べて、社員に多くの無駄な仕事をさせているのだろうか? この点を徹底的に追求しない限り、日本の労働生産性はいつまでも向上しないし、一生懸命、汗水流して働いている社員の将来もないだろう。

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