331  光り輝く女性たちの物語 (7)

東京の中高一貫校では女子御三家の一つである桜蔭学園を経て、東大を卒業し、シカゴに本社がある世界最大手の人材紹介企業であるハイドリック・アンド・ストラグルズのパートナーを務める渡辺 紀子さんが、今回の登場人物である。こうした経歴を見ると、どれほど高慢ちきな女性だろうと思われるかも知れないが、実物の紀子さんは、いつも優しい笑みを浮かべる、庶民的で、とてもチャーミングな女性である。このギャップに、日本を代表する大企業の経営TOPが、つい心を許し、社内外の誰にも話したことがない悩みを紀子さんに打ち明けてしまうのだ。

現経営陣の穴を埋める人材の探索だけでなく、創業者であれば、息子に譲るまでの間を埋めてくれる中継ぎの後継者探しを頼まれることもある。それだけでなく、息子さんや娘さんの結婚相手まで探してくれないか?と頼まれることもしばしばで、紀子さんは、自分が結婚紹介業か?と錯覚することもあるという。だから、紀子さんは、ここ数年、ヘッドハンターとして、日本でトップクラスの業績を上げ続けている。しかし、それほどまでに華々しい活躍をしている紀子さんでも、これまでの人生において、女性であるがために数多くの試練を受けてきた。

両親も祖父母も学校教員という教育家庭に生まれ難関の桜蔭中学校に入学した紀子さんは、夏休みに両親の反対を押し切って中国各都市を巡るツアーに参加した。13歳の少女がたった一人で、大人たちに混じって上海、北京と中国の各都市を全く新しい世界として見て歩く様子は、一体、どのようなものだったろうか? この旅行で、紀子さんは、中国の将来に大きな展望があることを確信した。「よし、私は、大学を卒業したら中国でビジネスをする」と決め、紀子さんは、東大文学部中国語中国文学科に進学する。

大学を卒業した紀子さんは、中国でビジネスをしたいという希望を叶えてくれそうな準大手の商社に就職を決めた。その商社は、車や自動車用鋼板を中国に大量に輸出していたからだ。だから、紀子さんは新人研修を終えると鉄鋼部門に配属を希望する。しかし、鉄鋼部門の人事からは「鉄は男がする仕事で、女には向かない」と断られ、結局、女性の紀子さんを受け入れてくれたのは食品部門だけだった。

気を取り直して、食品部門に配属され「私は中国でビジネスをしたい」と上司に希望を言うと「食品部門は中国でビジネスはしていない。どうしても、やりたければ、貴女が自分で始めれば良い」とけんもほろろの対応だった。騙されたと思ったが、もはや仕方がないと諦めて、紀子さんは、新人の立場でありながら中国に通って新たなビジネスを懸命に探し出す。とにかく、朝から晩まで、休日も返上で働いたという。

紀子さんの努力の甲斐もあって、中国での食品部門ビジネスが少しずつ軌道に乗り始めてきた。そして、35歳になった時に、念願叶って中国へ転勤できるという話が部門長からあった。しかし、人事は猛反対。それまで女子の海外駐在はアメリカに一人だけ派遣されていたが、その方はで内勤であった。紀子さんは、まだ途上国段階の中国で、しかもバリバリの営業としての外勤だったので、人事はリスクが大きすぎるというのである。それでも、部門長の説得でなんとか中国への転勤は決定した。

しかし、今度は派遣先の中国側の総代表が、女性の営業は絶対に受け入れられないと反対する。その理由は、顧客接待である。第一の理由は、中国での宴会では、白酒(パイチュウ)で乾杯と一気飲みをする習慣があり、普通の日本人の男性でも簡単に酔い潰れてしまう。しかし、紀子さんは、酒豪であり、白酒の一気飲みなど全く問題ない。理由の第二は、顧客に女性を横に侍らせた二次会である。これを、女性の営業がやれるのか?という懸念であった。これも、結局、紀子さんは、顧客に好みの女性を選んでやり、自分はボーイを相手に飲んで時間を過ごしながら見事にやり遂げた。

紀子さんは、5年間の駐在生活で、現地企業との合弁を2つもやり遂げた。一つは、中国最大の穀物メジャーとの合弁で製パン工場を建設したことだった。北京郊外の更地の掘建小屋で、何もないところから建設を始めたのだという。中方の穀物メジャーは国営企業なので、年に1回男性社員も女性社員も一緒の軍事訓練があるのだという。当然、紀子さんも参加させられた。高さ3メートルの壁を乗り越えて反対側に飛び降りるというようなレンジャー部隊のような訓練もさせられた。訓練はとてもハードだったけれども、中国の企業は、日本の企業より男性も女性も同じように扱うことに大変感動したと紀子さんは言う。こうした紀子さんの努力の甲斐もあって、この会社は、見事な成長を遂げ、今では、中国のスターバックスのパンは、全て、この工場から出荷されるようになった。

しかし、5年間の夢のような中国駐在生活は、会社からの帰任命令で終わりを告げる。日本に帰任したら、自分は、何をするのかという紀子さんの問いかけに会社は、まともに答えてはくれなかった。そんな悩みを抱えている最中に、日本から中国に出張中のヘッドハンター企業の社長から、「中国でヘッドハンターをやってみないか?」と誘いを受ける。これが、紀子さんのヘッドハンターになったキッカケとなった。

しかし、この日系ヘッドハンターに、中国での活動基盤は何もなかったのである。またしても、紀子さんは、ゼロからのスタートだった。まず、日系企業の総経理にしらみつぶしに電話をかけるが、女性のヘッドハンターに中国の人材など探せるわけがないと全て無視された。そこで、紀子さんが取った行動は、まず、狙いをつけた企業の門前まで、全くのアポなしで行くのである。そこから総経理に電話をするのだが、当然、相手にはされない。そこからが、紀子さん流である。「今、会社の門の前まで来ています。お願いですから、10分でもお時間をください。ごく、手短に、お話をさせて下さい」と頼み込むのであった。

一旦、会ってしまえば、どこの日系企業も中国での人材確保は大変な苦労をしているので、日本語も中国語も流暢に話し、中国ビジネス界に多くの人脈を持つ紀子さんの話には、どの総経理も食い入って聞いてしまう。このやり方が、その後、紀子さんの日本でのヘッドハンター活動にも大いに役立つことになる。流石に、日本企業のTOPは、アポなしでは会ってくれないが、アポさえ取れれば、後は、紀子さん流の誠意ある説得術で、大抵の企業TOPは、すぐに心を取り込まれてしまう。話が終わりになる頃には、社内の誰にも話していない極秘の悩み事まで語り始めることなる。

私と紀子さんとの出会いもそうだった。紀子さんは、私の秘書に直接電話をかけて来た。私の秘書は、すぐに私に取り次がないで、紀子さんの電話を一度切った。そして、私には「ご存知の方でないのなら、お会いにならないほうがよろしいと思います」と伝えたのだ。私は、紀子さんが電話で秘書に伝えた所属会社名が日系のヘッドハンター企業であることは知っていたし、私も翌年には会社を退任ということもわかっていたので、とにかく一度会うことにした。つまり、紀子さんが相手を攻めるタイミングというのが実に絶妙なのである。

私は、紀子さんに聞いた。「どうして私を見つけたのですか?」と。「とにかく、顧客の要望があまりにもシビアなので、東証一部上場企業の役員名簿をしらみつぶしに調べました。最初の一次候補は数百人いましたが、10日間かけて、最終的には3人に絞りました。それで、お電話をかけさせて頂きました」という。ヘッドハンターというのも、大変な職業である。こうしたやり方で、年間相当な数の人材紹介をマッチングするのだから、やはりハードな職業である。

そのように、業界でもTOPクラスだった、紀子さんが、あえて日系企業から外資系企業に転職したキッカケは、やはり、女性の待遇だった。日系企業は、ヘッドハンター業界に限らず、どの企業でも、まだ「女性」を意識している。それは、ある意味で、か弱い女性を保護するというナイト精神からかも知れない。若い女性を途上国への駐在には出せない。歓楽街の接待に女性営業は出せない。こうした配慮は、決して悪意からではない。しかし、紀子さんのような女性には全く余計な配慮だった。

今、紀子さんは、シカゴの本社からも注目される存在になっている。紀子さんの商談成功事例が社内で紹介されると、皆が、そのノウハウを聞きに来るという。紀子さんは、今、インド人、カナダ人、オーストラリア人など、日本で働く外国人ヘッドハンターたちの指導者になりつつある。そして、どんなに実績を上げても無冠だった日系企業とは異なり、この世界的に高名なヘッドハンター企業でパートナーの称号を得たのである。企業の経営TOPに直接会うからこそ、ヘッドハンターにとって肩書きは重要である。

外資系企業は、実力さえあれば、入社してから半年も経たないうちに高い地位を授与してしまう。何と、人の使い方が上手いのだろう。人というより、女性の使い方が上手いのだろうか。こんなことを続けていたら、有能な女性は、皆、外資系企業に移ってしまうであろう。「光り輝く女性」の一人である紀子さんの、これまでの貴重な経験は、どうしたら日本が「女性が活躍できる社会」になれるのかという大きな示唆を与えている。

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