323  リタイアメント後の人生がスタート

今年2015年はリタイアメントの年だった。1970年に大学を卒業後し、富士通信機製造株式会社という売上高が1,500億円ほどの中堅企業に就職して45年間もの長き間、よく勤まったものだと思う。東大紛争、70年安保という激動の学生時代を過ごしてきたせいか、誰にもよく知られ安定した大企業に就職しようとは全く思わなかった。むしろ、自分が実力を発揮できる時は、会社が倒産の危機に陥った環境しかない、会社が順調に成長している時には、きっと自分の出番はないだろうと考えていた、

その後、社名は富士通に変わり、売上高も5兆円近くまで成長したわけだが、その過程で、どこの企業も皆同じだと思うが、何度も重大な危機があった。もともと、そうした危機の時こそ、それを解決するのが自分の使命だと考えていたので、千載一遇のチャンスと捉えて、精一杯頑張ってきたつもりである。目立たないところで頑張っていても、やはり、それを見ている人は必ず居るもので、結果として副社長から副会長にまでにさせて頂き、十分に評価して頂いたものと思う。

それでもリタイアメントはやってくる。さて、これから何をするかと考えている中で、このリタイアメントの時期に合わせて3社から社外取締役の話を頂いた。今年は、延べ4,000人もの方々が新たな社外取締役になられたらしいが、一人で何社も兼任されている方が多いので、競争は厳しく、社外取締役に就任すること自体、そう簡単な話ではなかったらしい。

そして、私がお話を頂いた3社とも、東証一部上場ではあるが、これから大きく成長が期待される中堅企業である。45年前、富士通信機製造に入社した時の、あの成長の可能性を秘めた雰囲気が、何か自分が直接お役に立てそうな雰囲気が、この3社には漂っている。さらに嬉しいことに、同じ社外取締役としての「同僚」の方々が、著名企業の経営TOPを経験された方ばかりで、取締役会の最中はもとより、その前後での会話の中身が大変濃い。本当に幸せなことである。

リタイアする直前、もう会社の日常の実務をしなくなった代わりに、私に期待された仕事は講演だった。年間で約50回程度、東京だけでなく、全国各地を回って、いろいろなテーマで講演をさせて頂いた。その殆どが、富士通が直接、間接に何らかの形で関わっているフォーラムでの講演だったので、交通チケットはすべて富士通で発行してもらい、現地での移動は富士通の社用車がサポートしてくれた。その代わりに講演料は、すでに、その分が給料に含まれていると考えて頂かないこととしていた。

さて、富士通をリタイアしたら、そうした事務手続きは、どうなるのだろうか? そもそもリタイアした後に、私に講演依頼など来るのだろうか?と色々考えたが、富士通が外部の方に講演をお願いするときに依頼しているエージェントを紹介してもらって、私も、そこに登録することにした。早速、リタイアした直後から、引き続き、幾つかの講演依頼を頂いたので、そのエージェントに回送して交通チケットの手配、講演料の徴収などの事務手続きをお願いすることとした。さすが、プロフェッショナルである。以前に秘書がやってくれたと同様にきめ細かく主催者との調整を行ってくれる。

この数年で何百回もの講演を行っているが、講演の賞味期限は、ほぼ半年である。つまり、年に2回は、新たなテーマを考えてストーリーを作っている。今後も、引き続き講演依頼を頂くとすれば、この講演資料の作成作業は、これからはボケ防止に大変役立つと思われる。講演は60-90分、声を出し続けて立ち通しで行うので良い運動にもなる。さらに終わった後の懇親会で、聴いて頂いた方々からのフィードバックを頂き、次の講演に反映したりもする。下手をすると、4-5回の講演でストーリの大半が変更になることもある。

私の場合、講演資料のネタは現地取材、ご本人との直接インタビューからできている。単に、本で読んだ話や、他人から聞いた話をお伝えするばかりでは、聴いている方々に感動を与えることはできない。講演で使う写真は著作権の問題があるので、できるだけ、現地で自ら撮っている。そして、良い講演をする秘訣は、質の高い講演を数多く聞くことである。幸い、今年まで勤めていた富士通総研では、高名な講演者を招いて頻繁に質の高いフォーラムを無料で開催しているので、これも予定が重ならない限り必ず聴きに行くことにしている。

そんなことで、私のリタイア後の人生は、そこそこに用事があり、新たな貴重な人脈もできて、まずまずのスタートが切れた。まさに、感謝、感謝の毎日である。

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