292  表現の自由とは何か

今月7日、武装した男らに襲撃され12人の犠牲者を出したフランス・パリの新聞社「シャルリ・エブド」は、事件から1週間後に発行した最新号でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を再び掲載し、世界中から大きな波紋を呼んでいる。欧米人の中でも、これはやり過ぎだと自制を求める意見があるのと同様にイスラム各国では、「シャルリ・エブド」に対して抗議のデモ活動が起きている。

そんな中で、ローマ法王フランシスコ1世は、「神の名のもとに人を殺すのは、常軌を逸しており、正当化できない」という前提の元で、「自分の母親が侮辱されたら反応したくなるものだ」とたとえ話を示しながら、「人の信仰を挑発したり、侮辱したり、笑いものにするべきでもない」と「シャルリ・エブド」紙が行った予言者ムハンマドの再度の風刺画掲載に対して厳しい苦言を呈している。南米アルゼンチン出身のフランシスコ法王は、従来のバチカンの風習を大きく変える革新的な法王として、2013年を代表する人物として米国タイム紙の表紙を飾った方でもある。

アルゼンチンのブエノスアイレス大司教時代から、「ローマ法王にだけは絶対なりたくない」と主張してきた、この型破りなフランシスコ法王は、法王に就任してからも、法王の館には住まず、他の枢密卿の方々と同じ館に寝起きして食事も取られている。このフランシスコ法王は、先代の、在位中に退位されバチカンから離れてお住まいになっていた、ベネディクト16世に対しても、再びバチカンに呼び戻され、名誉回復の機会も与えられている。

ドイツ出身の先代法王、ベネディクト16世は厳格な治世で、世俗の人からは必ずしも評判は良くなかった。そして、運悪く、これまで永年にわたり非難され続けてきたバチカンの醜聞を放置してきた責任を追求され、ご自身で責任を取る形で自ら退位され、お住まいもバチカンから離れられることになった。そのベネディクト16世が在位中に行われた、後世に語り継がれるべき大英断が二つある。一つは、ユダヤ教やイスラム教、仏教からヒンズー教に至るまで、全世界の全ての宗教に対して団結と融和を図った、前任者のヨハネパウロ2世を異例の早さで聖人の前段である福者に推挙したことである。4年前、私は仕事でローマを訪れた時に、幸運にも、このヨハネパウロ2世の列福式に巡り会うことが出来た。

もう一つは、ドイツ人法王である自分が、在位中にユダヤ人に対して何か出来ることはないかと思案したことである。それが、新約聖書に記述されているユダヤ人の神の名「ヤハウェ:YHWH」の削除であった。ユダヤ人の言語であるヘブライ語は、中東アラブ人の言語であるアラビア語と同じく母音の記述がない。文字は、全て子音だけの記述である。だから、ヘブライ語で書かれている旧約聖書に記述されているYHWHがヤハウェと発音されるのかどうかは、実は正確には分からない。

皆様も良くご存知のように、キリスト教やユダヤ教と同じ旧約聖書を原典とするイスラム教は、神を絵に描いたり、像を作ったりして拝むという偶像崇拝を固く禁じている。しかし、イスラム教は、神の名だけは口頭でアラーと呼んでいる。一方、ユダヤ教は、イスラム教徒と同じく偶像崇拝を禁じているだけでなく、神の名前さえも声に発することを固く禁じている。つまり、YHWHは声に出して読んではいけないのだ。すなわち、ユダヤの人々は、YHWHを直接口に出して発音せずに「我が主:アドナイ」として読み換えているのである。

ユダヤ人にとっては、キリスト教徒が自分たちの神をヤハウェと発音すること自体が、2000年の永きにわたり、たまらなく嫌なことで、全く許しがたいことであった。ドイツ人の出身であるベネディクト16世は、第二次世界大戦中にドイツ人がユダヤ人に対して行った大きな罪の反省として、カトリック教徒が用いる聖書の中に記載されているヤハウェの記述を削除することを法王として正式に決定を下したのだった。

そのベネディクト16世の後を継いだフランシスコ法王は、ヨハネパウロ2世から脈々と続く考え、即ち、世界の他の宗教に対して畏敬の念を失ってはならないと強く念じられておられるに違いない。世俗の権力者を風刺するのと、現世の苦しみに耐えて必死に生きている人々が救いを求めて念じる宗教の預言者を風刺するのとでは、全く次元が違う。それは、言論の自由とは全く別な議論だとフランシスコ法王は言いたかったのであろう。

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