289  久しぶりのロンドン (その5)

今回、ロンドン視察では多くの方々との出会いがあったが、ロンドン大学(UCL:ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン 以降UCLと表す)の眼科学研究所の主任教授である大沼信一先生との出会いは、私にとってとても新鮮だった。大沼先生から大変面白い話を沢山聞かせて頂いたので、ここで、少しご紹介をしたい。

大沼先生は、UCLで最先端医療の研究をされているわけだが、なぜ、最先端医療研究に最適な診療科が眼科なのかを教えて下さった。目は皮膚を通さず外界に開かれており、外から簡単に観察出来る唯一の器官だからだとのこと。そういえば、先日理化学研究所で行われたIPS細胞による世界で最初の再生治療も適用臓器は目であった。大沼先生は、その理由は、目であれば、施された再生治療の経緯を、外からつぶさに観察出来るからだと言う。

そして、もう一つ、目が最先端医療で注目されるのは、眼球に注入された薬は、一切眼球の外に出て行かないからだと言う。それは、目が、外に開かれているため、外から眼球内に侵入した毒物を、目の奥にある、人間にとって最も重要な脳に運ばないように徹底したフィルタリング機構を持っているからだという。このため、本来は、心臓や肝臓など他の臓器に重大な副作用をもたらす薬も目の治療には安心して使えるのだそうだ。「目って、凄い!」と私はとても感心した。

次に、大沼先生は、ご自身が勤務されているUCLのことについて語りだした。UCLは幕末の1863年、伊藤博文や井上馨など、いわゆる長州五傑と言われる人々が留学して以降、日本の歴史を変えた多くの著名人が留学をしてきた。夏目漱石もそうだし、近年では小泉純一郎元首相も留学されている。まず、なぜUCLなのか?という謎から大沼先生は説明をする。

英国の名だたる大学と言えば、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学だが、伊藤博文が英国に留学したときには、両大学とも、男性で英国国教徒、しかも貴族でないと入学出来なかったのだ。一方、UCLは、女性はもちろんのこと、人種、国籍に拘らず、世界中から優秀な学生を集めていた。このダイバーシティの差が、UCLを英国だけでなく世界の名門として認知させることになるが、これに我慢がならないオックスフォード大学、ケンブリッジ大学は何度もUCLを潰そうと画策したが、あの進化論のダーウインを輩出するなど理系教育にすこぶる秀でていたため、結局UCLが潰されることはなかった。つまり、幕末時代の長州五傑は英国で外国人の門戸を開放しているUCLしか入ることが出来なかったのだが、日本を先進国に引き上げるイノベーションを身につけるに、UCLへの入学は大成功だった。

大沼先生は、昨年2013年が長州五傑渡英150周年にあたることから、長州出身の安倍総理も巻き込んで大々的な150周年イベントをロンドンで開催され、大成功を収められた。それにしても、今から150年も前の鎖国をしていた日本から、どのようにして、長州の下級武士の出身であった伊藤博文や井上馨たちがロンドンまで来て、単に暮らすだけでも大変なのに、大学にまで通うような基盤が、どうしてロンドンにあったのかが大きな謎である。

大沼先生がいろいろ調べた結果、150年前のロンドンには、既に、日本人町があったのだそうだ。彼らの職業は刺青師だった。当時、西欧では、特に上流階級で刺青が大流行で、日本から多数の刺青師が、禁令を犯してまで、海を渡ってロンドンまで出稼ぎに来ていたのだという。長州五傑は、この刺青師たちの先導によってロンドンにまで渡り、彼らが住む日本人街に住んで、UCLへ通ったとのことである。

それにしても刺青師がロンドンに多数住んでいたとは驚きである。さらに、大沼先生は、もっと衝撃的なことを教えて下さった。1891年(明治24年)滋賀県の大津でロシア皇太子ニコライ公(後のロシア皇帝ニコライ2世)が日本人警察官に襲撃される事件、いわゆる大津事件があった。そもそも、ロシアの皇帝になられるという由緒正しい高貴な方が、この極東の日本にまで、どうして、わざわざやって来たのか?という疑問が当然沸かざるを得ない。大沼先生は次のように解説する。ニコライ皇太子は、日本に来て、当時西欧の皇族、貴族の間で大流行していた刺青を本場日本で、最高の刺青師に彫って欲しかったのだと。

さて、話は変わるが、来年2015年は、今度は薩摩から19人の留学生が、1865年(慶応3年)日本を密出国し、UCLに留学してから150周年である。その薩摩衆19人とは、森有礼など、これまた明治の日本の発展に大きく寄与された方々ばかりである。大沼先生は、鹿児島県出身の政財界人と、どのようなイベントを起こすか、今懸命に案を練っておられる。そして、大沼先生は、日本を大きく変えた賢人達が、ご禁制を犯してまで、はるか遠い、このロンドンにまで勉学に来た、そのチャレンジャー精神を、今の日本の若者達にも、ぜひ持ってもらいたいと、日本の高校生のロンドン留学を企画されている。

ああ、大沼先生のお話は、本当にスケールの大きな面白い話だった。

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