288  久しぶりのロンドン(その4)

私たちは、英国教育省を訪問し、英国の初等中等教育への取り組みついて話を聞くことにした。その私たちのリクエストに答えるために説明をしてくれた担当者の部署名はInternational Education Divisionであった。このことは、英国の初等中等教育の先進性を表しているとともに、英国の初等中等教育が抱く深刻な苦悩を表しているとも言える。

教育省のプレゼンテーションを説明する前に、その中には含まれない、英国社会の悩みを知っておかなければならない。英国は世界で米国と並ぶ極端な格差社会であり、格差の固定化という意味ではアメリカを凌駕して、多分世界一であろう。中でも、教育制度は格差の世代間固定化と大きく関係しているので、格差を語る時に極めて重要な要素となる。

米国も英国も、社会を支配する特権階級の教育は私立学校に依存しており、多くの公立学校は、いわゆるエリートの育成には関与していない。一般的に欧州各国が悩む移民の増大は格差拡大に一層拍車をかけている。英国も例外ではなく、貧困層が多く住む地域の公立学校は、既に、イスラムの子供達が多数派となっている。この状況は、ヒスパニック系の移民が多数派となったアメリカの公立学校とは全く違う様相を示している。

イスラム系の人々は、カトリック信者であるヒスパニック系住民とは全く違う行動をとる。つまり、学校全体をイスラムの教義で支配してしまうのだ。そうした多様性を認めないイスラム系住民の学校支配によって、非イスラム系の住民は排除され、その公立学校は完全にイスラムの学校になってしまう。このことは英国教育省にとっても、極めて重要な課題であるはずである。こうした英国社会の苦悩を前提にして、英国教育省の初等中等教育の政策に対する説明を聞かないと私たちは判断を誤ることになる。

その英国教育省の新たな方針は、驚くべきことに、さらなる公立学校の自治拡大であった。中央政府は、もはや、学校の教育方針に関与しないというのである。これは、素晴らしい方針のように聞こえるが、現在の英国の公立学校の実態を考慮すると「政府はイスラム化した公立学校には、もはや関与しない」として突き放した風にも見える。しかし、一方で、「学校運営は自立的に行われるべきだが、その透明性を高くして、あらゆるデータをオープンにすべきで、政府の公立学校に対する評価や支援も全てエビデンスベースで行う。」とも言っている。これは、「学校運営をイスラムの教義でやるのは結構だが、結果が出なければ、あなたの学校には優秀な生徒は誰も行かなくなるぞ」と脅しているようにも見える。

もちろん、英国教育省は、こうした学校自治の問題だけを言っているわけではなく、素晴らしいことも言っている。一クラスの規模は30名以下でなければならないとか、貧困層の生徒を救済するためのあるべき給食制度の姿についても言及している。さらに、学校の国際化についても言及しており、現在、英国の公立学校の生徒の16%が英語以外の言語を話すが、3年前には13%だったから、今後、その割合は、さらに高まるだろうと述べている。ここで、私たちに説明してくれた担当者の部署がInternational Education Divisionであったことが、ようやく理解出来る。もはや、英国の初等中等教育は、Internationalに考えざるを得ないところまでに来ているのだ。

一方で、貴族や富裕層といった英国の特権階級は子供が生まれると同時に、通うべき私立学校の入学許可を得るのだと言う。これまで、何百年にもわたり続いてきた英国の教育制度は特権階級の固定化に永らく貢献してきたが、それは、おそらく、これからも変わらないだろう。しかし、国民の中での格差拡大は、国の安定を危うくし、経済成長に対しても、よいことは一つもない。そう考えてみると、英国教育省の初等中等教育における理系教育重点政策が、少しずつ理解出来てくる。

一般的に、文系教育は格差の固定を継続し続け、理系教育は階級を乗り越える可能性を与えると言われている。未だに、職業の固定化を義務づけているインドの身分制度の中で、実力で生まれた階級を乗り越えるにあたり、もっとも有利な職業がITエンジニアだった。それで、インドは世界一のIT大国にもなった。英国は、そのインドに習って、社会のダイバーシティを拡大できるか、その真価が問われている。一方、日本の初等中等教育制度は、一体、何を目指しているのだろうか? 私たちは、それを良く考えてみたい。

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