286  久しぶりのロンドン (その2)

今回、訪れたイーストロンドンに私はこれまで行ったことがない。それも、そのはずで、ロンドン・オリンピック以前は貧困層が集まる深刻なスラム街で、治安も悪く、およそ観光客が近づける場所ではなかったという。ロンドン・オリンピックのために行政がロンドン郊外に移転させたようであるが、そうしなければ、今のように、不動産も食料も値上がりした状況の中で、貧しい人々の毎日の生活は飢餓状態になっていただろう。何しろ、今のロンドンでは、不動産価格も賃貸料も、およそ東京の4倍近い。

また、最近の円安の影響もあるだろうが、ロンドン市街で購入する食料品の価格も東京の4倍近い。こんな環境で生きるためには、よほど高給取りでないと生活が成り立たない。こうしたロンドンのバブルは、最近、中国から沢山の富裕層が資産の保全のためにロンドンに移り住んできたためだという。習近平政権の厳しい不正蓄財の追求によって、中国系富裕層によるロンドン不動産の買い占めは、今後、ますます増えるかもしれない。そんなバブルな状況でも、従来通り、生きて行けるロンドン市民の生活力は凄いと言わざるを得ない。

さて、そんなイースト・ロンドンに行ってみると、確かに、昔はスラム街だったかも知れないという名残はあるものの、一応最低限の清潔さは保っている。どのビルも複数のスタートアップによって間借りされているだろうことは、外部の通りを歩いていてもよく分かる。私たちは、目指すスタートアップの近辺に少し早く到達してしまったので、時間つぶしにお茶を飲もうとカフェに入った。先ほど、最低限の清潔さを保っていると言ったのは、このカフェで出されたコップや皿は、きちんと洗っていないように見えたので、テーブルに備えられたナプキンで良く拭く必要があったからだ。

私が、ちょっとトイレに立つと、仲間が私の方を指差して、何か声を上げている。何かなと思って聞いてみると、トイレの向こう側のドアのガラス超しに、目指すスタートアップのロゴが見えたからだ。まさに、その清潔さに欠けるカフェとスタートアップはガラスドア1枚で隔てられた隣り組だった。店の人に、私たちは、あの会社に行きたいのだけれど、ドア越しに行って良いか?と尋ねたら、それは駄目だと言う。仕方なく、一旦、店を出て、ぐるっと回って目指すスタートアップの入り口を探したが、どこにも見当たらない。結局、元のカフェに戻って、トイレ側のドアを店員を無視して、強行突破したら、スタートアップのエントランスに行き着いた。さて、ぐたぐたとつまらないことを書いたのは、多くのスタートアップが集結する、このイースト・ロンドンの雰囲気を少しでも知ってもらいたいためである。

そのスタートアップはイスラエル人の創業者で、KANOという幼児向けコンピューターの販売を行っている。1台166ドルで販売している、そのコンピューターは幼稚園に通っている幼児でも一人で組み立てられる工夫が凝らされている。プロセッサとメモリとキーボードとディスプレイを接続するだけなのだが、コンピューターがどういう部品で構成されて、動くのかという仕掛けだけはわかる。もちろん、正確に組み立てられれば、実際にプログラムが動作する。

その中のゲームを動かすと柔道着をきたアバターが現れる。うまく得点できると柔道着の帯の色が変わる。このコンピューターのロゴであるKANOは日本の柔道の祖である嘉納治五郎から取ったものだという。このイスラエル人の創業者は大の日本ファンで、映画は黒沢明の作品しか見ないという。これ、あなたのお孫さんは欲しがらないか?と聞かれたので、9歳の孫娘は、すでに大人のスマートフォンを使いこなしているので、コンピュータの機能、そのものには興味がないだろうが、彼女はキッザニアが大好きなので、その乗りで興味を持つかも知れないと答えたら、そうだ、そのキッザニアを目指しているという。

英国政府は初等教育の中で、D&T(デザイン&テクノロジー)という教科を設けている。子供達に、現実世界で動いているもの、例えば、ダイソンの掃除機はどうやって出来ているのだろうと子供達に想像させる。そして、それを作ってみようと働きかける。もちろん、全く同じものはできないわけだが、子供達なりに、いろいろ考えて創造力を発揮する。大事なことは、この授業には、決まった正解がない。小学校も高学年になると、3次元CADを駆使して、家の設計をしてみることにまで到達する。完成したら、3次元のモデリングをして内装設計までやらしてみる。玄関から入って居間までの空間をコンピューターの中で体験させてみる。

英国政府は、子供達に小さい時から、実際の世界のものづくりに対する興味を持てるような教育を施し始めている。子供達が、大人になって役に立つ教育、何のために高等教育を受けるのかという目的意識を持たせようと考えている。このKANOの創業者も、そうした英国教育省の意図に共鳴して、こうした会社を起こしている。彼は、来年1月、英国政府がITを使った子供の教育に関する世界の5つの先進国を一同に集めてコンファレンスを開くと誇らしく説明した。そのコンファレンスの中で、彼がリーダー的な役割を果たすかららしい。

さて、ITを使った子供の教育に関する、世界の先進国五カ国とは一体どこだろうか。もちろん、英国が含まれているのは言うまでもないが、あとは、韓国、エストニア、ニュージーランドとイスラエルらしい。その他、米国は別格扱いでオブザーバーに入っているらしい。しかし、残念なことに、ここにも日本の名前はなかった。

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