28 3年ぶりのミュンヘン

3年ぶりにミュンヘンにやって来た。相変わらず美しい街である。私は富士通とSiemensとの合弁会社として1999年に設立された富士通シーメンスコンピューターのボードメンバーとして毎年最低4回はこの地を訪れていた。2009年以降は、富士通の100%子会社となり富士通の欧州大陸を統括する地域本社となっている。今回、ローマで行われる日・EUビジネスラウンドテーブルに参加する前に、久しぶりに、この会社を訪問し、沈滞している欧州全体を覆う不況をよそに好景気に湧いているドイツ経済と欧州市場の今後の話を聞きに来た。

私が、このミュンヘンに頻繁に来るようになったのはアメリカから日本に帰任した2001年以降である。当然、この地に本社を構えるSiemensのTOP Executiveの方たちとも何度も会話をさせて頂く機会があった。ドイツには電機会社はSiemens 1社しかない。だから、このSiemensは、ドイツの本当の上澄みだけしか入社出来ないという超エリート集団である。そこでさらに選ばれExecutiveであるから、こういう方々から、いろいろな話を聞くことは大変勉強になった。

私が最初にお会いしたSiemensのCEOはフォン・ピエール氏だった。物静かな紳士で常に大局的な思考をされる立派な方だった。あの忌わしい事件がなければドイツの大統領になっていただろうと言われていたが、まさに誰が見てもドイツの大統領に相応しい方だった。ところで、あの忌わしい事件とは、Siemensが通信機器ビジネスで新興国の政権に賄賂を送ったとされる疑惑事件である。相手国との外交上の問題もあってか、未だに真相は良く解らない。結果は、ドイツ国内法に基づき、Siemensの関係役員が逮捕され、会長に退いていたピエールさんと、ピエールさんの後継CEOに就任していたクラインフェルト氏が共にSiemensから去ることになった。

そのクラインフェルト氏にも何度かお会いしたが、ピエールさんとは全く異なるタイプの経営者で、一見アメリカ人に見える若獅子だった。クラインフェルト氏は、Siemens本社のCEOに就任する前、Siemens USのCEOとして、それまで低迷していたSiemens USをSiemens Europe以上の規模の会社に成長させるなど目覚ましい業績を挙げた。彼は、入社以来、一度もSiemensの通信事業には関わったことはなく、しかも事件が起きたとされる時期にはアメリカに居たのだ。それでも、事件の収束のためにCEOとして辞任させられたことは全くもって納得が行かなかったに違いない。

それでも、クラインフェルト氏は、この件に関して、退任時に一切のコメントをしなかった。そして、その半年後、将来のCEO就任含みで、今を時めくアルミメジャーであるアルコアの副社長に就任した。もちろん、現在は立派なアルコアのCEOである。スイスのダボス会議や、中国で行われるサマーダボス会議の常連でもあり、資源メジャーの帝王として、会場を颯爽と闊歩する姿は惚れ惚れするばかりである。そのクラインフェルト氏の後を引き継いだのは、当時、アメリカ最大の製薬会社であるメルクの副社長であったレッヒャー氏だった。

レッヒャー氏は、Siemensには在籍したこともなく、また、これまで一度もCEOの経験がなかったので、本当に世界のSiemensを率いることが出来るのかという懸念も業界にはあったと聞いている。レッヒャー氏は、メルクの日本支社長として日本に滞在したこともあるので、日本の製薬業界には知己が多い。そのレッヒャー氏が、今、Siemensを再興した名経営者として、いろいろな雑誌に取り上げられている。つい、最近、Siemensに最後まで残っていたICT部門であるソフトウエア&ITサービス部門をフランスのIT企業であるATOS社に売却したことを評価された結果でもある。レッヒャー氏は、GEに在籍した経験からGEのようにオープンな会社にすることを目指すと共に、今後SiemensがGEを圧倒的に凌駕することを最終目標としている。

私が関わるようになってからのSiemensの歴史は、ICT関連事業からの撤退の歴史だった。まず、最初は半導体事業のスピンオフである。インフィニオンと名を変えてSiemensから独立してからも、しばらくはDRAMの世界的なメーカーであり続けるほどの巨大な事業規模だった。次に、分離対象になったのは携帯電話事業である。一時は世界第三位のシェアを誇り、スペインのプレミアリーグで活躍するレアルマドリードのユニフォームにもSiemens Mobileの広告を出すほどだった。台湾のBENーQとの合弁を設立後、最終的には事業清算をした。その次がコンピューター製品事業である。富士通との合弁設立後、2009年には富士通に完全譲渡した。このコンピューター事業部門には、かつての名門ニクスドルフ・コンピューターも含まれている。あのダボス会議の創立者である クラウス・シュワブ教授も、「私の最初の職場はニクスドルフでした」と私に誇らしく語った。その次が、Siemens創業の生業でもある通信機器事業である。Siemens本体から分離し、NOKIAとの合弁会社を設立したが、今は支配権をNOKIAが掌握している実態はNOKIAの会社である。

その後を引き継いだ、レッヒャー氏は、過去の歴史を全く意に介さず、3万人以上の従業員を抱えるソフトウエア&ITサービス部門をフランスのIT企業に売却し、SiemensにおけるICT関連事業からの完全撤退を整えた。Siemensは、レッヒャーCEOのもと、以下の3部門に経営資源の全てを投入しGEと真っ向勝負で戦い挑んでいる。その第一は水とエネルギー、第二は医療、そして第三は産業機器と鉄道である。非常にわかりやすい。世界は、このレッヒャー氏の思い切った経営戦略と、その結果としての業績向上に大きな賞賛を与えている。

レッヒャー氏は、CEOに就任後、役員全員とミドルマネージメント層の半数を入れ替えたと言われている。こうした新生Siemensの戦略は非常にダイナミックである。100年続いた会社を、さらにもう100年持続させようとするには、こうしたダイナミックな会社経営が必要なのかも知れない。このように10年近く、大きく変貌を遂げたSiemensの歴史を間近に見続けることが出来たことは、私にとって本当に幸せであった。

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