280   戸羽太 陸前高田市長のお話し

昨日、戸羽 太 陸前高田市長の講演を聴きに行った。私は、大震災後、既に3回ほど陸前高田市を訪れている。大震災から3年経った、今年の3月11日には、昨年秋に陸前高田市の高台に再建されたキャピタルホテル1000に泊まった。ホテルの窓から見える景色は、本当に何もない、更地だけの広大な高田平野が見えるだけである。

遥か遠くには奇跡の一本松が見え、その一本松の周りには、山を削り、高田平野をかさ上げするための土を山から運ぶ、巨大なベルトコンベアが建設中であった。総額100億円を投じて建設中の、この巨大なベルトコンベアは、まるで山から陸前高田市街まで通じるモノレールのようである。山を削って、トラックで運ぶには5年以上かかる量の土を、このベルトコンベアを使えば、1年半で運べるのだという。おそらく、世界でも類を見ない巨大な山崩し計画ではないだろうか。

若く、標準語で、テンポよく、お話される戸羽市長の語り口は、どうも東北人らしくないと思っていたら、やはりそうであった。戸羽市長は、神奈川県大井松田で生まれ、町田市の高校を卒業されたあと、ミュージシャンを目指されたが、20代半ばになって断念し、アメリカに渡られた。アメリカで3年ほど人生修行を積まれてから帰国し、いろいろな経験を積まれて、1995年に陸前高田市の市議に当選。その後、2007年から助役、副市長を務められて、2011年2月の市長選に当選され、陸前高田市の市長に就任された。それは、あの大震災が起きる1ヶ月まえのことであった。

まず、戸羽市長が口惜しく語られたのは、戸羽さんが市長に就任する前に作られていたハザードマップのことであった。国土交通省、岩手県とともに陸前高田市も参加してコンピューターシミュレーションによって作られたハザードマップは、例えば、海岸から1.5km離れた陸前高田市役所で最大高さ1mの津波が襲来するというものだった。海岸から2.5kmほど奥地まで広がる高田平野の海抜は、殆ど海面と同じ高さなので、高田市街地の殆どの地域では2階以上の高さに避難すれば大丈夫という認識であった。

大震災の当日、市役所で執務中の戸羽市長が激震を感じ、庁舎の壁や天井が損傷しつつある中で、住民に避難を呼びかけた。市民ホールや、体育館は、それぞれ、3階建てなので、先ほどのハザードマップからすれば、そこに避難すれば、まずは大丈夫ということで自信を持って避難指示を出したという。そうこうしている間に、津波が市役所庁舎まで押し寄せてくるのが見えたので、職員と一緒に、2階から3階に上がったが、水は既に3階にまで押し寄せてきた。慌てて屋上に上ったが、そこさえも、屋上の手すりを超えて津波が上ってきた。屋上にあるエレベーター塔の上まで登り、ようやく難を逃れたという。

今回の大震災で、陸前高田市は、3階建てを遥かに超える高さの津波が来たということで、ハザードマップからすれば安全なはずの、市民ホールや体育館に避難した方々の殆どが犠牲になった。犠牲者の絶対数では、石巻が最大の被災地であったが、市民の人口比で見た犠牲者では、陸前高田市が最大となった。2万5千人の市民のうち、2000人近くが犠牲者及び行方不明者となっていて、人口比では8%近くなる。

ハザードマップの不備に加えて、戸羽市長が仰りたいことの第二点目は、公務員の使命についてであった。市民平均では、8%の犠牲者比率が、陸前高田市役所職員では30%以上にも上っている。正規、非正規の市の職員、総勢400名のうちで、140名の方々が犠牲になっていた。確かに、公務員は公僕であり、市民に奉仕するのは当たり前ではあるが、市の職員にも家族が居る、一人の市民でもある。災害時に、この公務員の人たちの命を守る仕組みは、どうするべきか、戸羽市長は、どうすべきか、今でも悩んでおられるという。

特に、市役所庁舎の隣にあるスーパーの社長が、「うちでは、お客様、店員ともに一人の犠牲者も出さずに済みました」と発言されるたびに、市の職員には、真っ先に逃げるというようにとは言っていなかったし、そうは言えない市長としての立場を考えて胸が痛むという。

そして、今回の大震災では、市の職員だけでなく、消防団員の方々も30%近くが犠牲になった。しかも、消防団員は公務員でなく民間人である。犠牲になった消防団員には、天皇陛下から勲位を頂き、岩手県からは感謝状を頂いた。戸羽市長が岩手県知事の名代として感謝状を家族に手渡した時に、それを受け取った家族は「こんなもの、要らない。それより息子の命を返して欲しい」と激怒したという。家族を激怒させた感謝状の文言は、「皆の模範となった」という一文であった。「行政は、今後も、こうした犠牲者を出すつもりなのか?」。民間人の消防団員に、命を捧げてまでも、地域を守ることを、行政は、今後とも強いるつもりなのか?と言うことであろう。

震災直後の、岩手県や霞ヶ関の対応にも戸羽市長は憤りを隠さない。「この国は、非常事態に対する体制が出来ていない」と言う。誰が考えても、この際は、絶対にやるべきだという案件についても、岩手県や霞ヶ関は「法律上は許されない」として拒絶する。「1000年に一度の非常事態に、どうして超法規的な判断が出来ないのだろうか? 集団的自衛権については、憲法解釈まで柔軟に変更出来たのに」と戸羽市長は嘆く。

本当に何もない、全てが津波に破壊し尽くされた旧陸前高田市街地を、戸羽市長は、世界で最も障害者に優しい街に作り替えたいと言う。ミュージシャンになりたいという夢を捨て、アメリカへの傷心の旅に出た戸羽市長がサンフランシスコで最初に見た光景で驚いたのは、どうして街に、こんなに多くの障害者が居るのかということだった。それは、アメリカが特に障害者が多いということではなくて、アメリカの街が、障害者が一人で出かけやすい仕組みになっているからだと気づく。陸前高田市を一から作り直すなら、ぜひ、そういう街にしたいと戸羽市長は声だかに仰られて、講演を終えられた。

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