277   ITを駆使したレタス工場

故郷、平塚江南高校の後輩で、富士通の人事部長も務められた今井幸治さんの案内で、今井さんが、今、情熱を注いでいる会津若松市のレタス工場を見学させて頂いた。会津若松市の半導体工場は、富士通がIBMと世界で互角に戦えた高性能コンピューターのコア部品、世界初のLSIプロセッサを世に送り出した、富士通にとっての最重要製造拠点であった。

私が前回、この会津若松の工場を訪れたのは、東日本大震災が起きた2011年の6月、大震災から3ヶ月後の時だった。東日本大震災は、沿岸部の津波被害はよく知られているが、内陸部の被害も大きかったことは意外に知られていない。同じ福島でも沿岸から遠く離れた、この会津若松にある富士通の半導体工場の地震被害も甚大であった。半導体を製造する多くのガラス容器が、全て破壊されたのだ。

未曾有の大災害にも関わらず、この会津工場の従業員達の必死の苦労で、ようやく製造設備が、ほぼ現状復帰を果たすことが出来た一ヶ月後の4月11日。福島県浜通を震源地とするM7.2、震度6強の激しい余震で、せっかく復旧した製造設備は、再び破壊し尽くされたという。「本当に心が折れました」と工場長が語っていたが、それにもめげずに再び工場全員で復旧作業を続けて5月末には正常な操業に戻したのだ。

そうした未曾有の大震災からの復旧に向けての工場全員の懸命な努力にも関わらず、その後の、世界の半導体業界の大きな流れに抗することは叶わず、会津工場としては窒化ガリウム(GaN)を素材とするパワー半導体に大きな期待を残し、これまで主流だったシリコン半導体は縮小方向に向かっている。このGaNチップはタバコの箱サイズもある現在のACアダプターを爪の先ほどの小さなICチップに置き換える夢のプロジェクトであるが、安価に大量に生産するには、もう少し時間がかかる。それが出来れば、ACアダプターは装置の中に組み込まれるだけでなく、AC-DC変換効率が良いので社会全体としても大きな節電効果が出るので、早く量産されることを皆が望んでいる。

現在、会津工場としては製造設備の3分の2が遊休状態となっている。巨額の設備投資をして建てられた半導体工場は、休業状態で維持するのにも、壊して現状復帰するにしても、これまた巨額の費用が必要である。特に、完璧な空調設備と僅かな塵も許さない大規模なクリーンルームは、その高価な設備を活かした有効な利用方法はなかなか見つからなかった。そこで、考えられたのが人工透析患者向けの低カリウム野菜の栽培であった。この試みは富士通会津工場と取引関係にあった地元の企業が昔からフランチャイズ方式で一般農家と協業を試みていたが、一般農家では外界と遮断する設備を作るのが難しいということで実現していなかった。

こうした中で、今井さん達が、考え悩んでいるより「とにかくやってみよう」ということで低カリウムレタス栽培事業を始めたわけである。ここで、低カリウム野菜の意義について簡単に説明すると、人工透析を受けている腎臓病患者にとって高カリウム症は、不整脈や心筋梗塞など、命の危険を伴う深刻な病である。健常者は、接種したカリウムの90%は代謝によって体外に排出するが腎臓機能が弱まった患者さんは排出されずに体内に蓄積されて高カリウム症になりやすい。このため、カリウムを多く含む殆どの野菜が、少なくとも生では食べられないということになる。

日本は世界でも人工透析患者が特に多いことで知られている。現在は、日本全体で40万人おられるのだが、人工透析は、一人当たり年間500万円の医療費がかかり、日本全体では2兆円にもなる。そして、まだまだ、日本には人工透析患者予備軍が沢山存在している。その理由は、腎臓病は糖尿病をこじらせた病気だと言うことである。日本が世界的に見て異常なほど糖尿病患者が多いのは、米、うどん、そばなどの炭水化物を主食とする「和食」のせいである。和食は決して健康食ではない。しかし、既に人工透析患者になられた方に、今更、和食は駄目ですよと言ったところでもう遅い。せめて、健康に良いとされる野菜だけは十分に摂って頂きたいというのが低カリウム野菜の栽培の目的である。

しかし、低カリウムレタスの栽培は決して簡単なものではない。なぜなら、殆ど全ての農作物は3大肥料要素と言われる窒素、リン酸、カリウムのどれが欠けても生育しないからである。レタスも例外ではなく、カリウムが欠乏すると全く生育しない。したがって、発芽から収穫できる大きさになるまでの数十日間はカリウムを含む栽培液で生育をするしかない。その後で、「カリウム抜き」をするのである。植物も人間と同じく摂取したカリウムの90%は代謝によって体外に排出する。この代謝作用を利用して、ある時期からカリウムを代替する。つまり、レタスがカリウムと間違えるナトリウムなど別な成分に栽培液を変えることによって「カリウム抜き」が実現する。

こうした栽培プロセスにおける、日射条件、温度、湿度、CO2濃度、栽培液中のカリウム濃度のコントロールを最適化することによって美味しい低カリウムレタスが出来る。これらは、コンピューターの力を借りずにしては出来ない。コンピューターが、工場の隅々まで24時間監視して自動制御して栽培は行われる。この結果、工場の従業員は半導体の時とは異なり、日中8時間勤務で帰宅出来ることになった。

そして、この半導体工場のクリーンルームで栽培された低カリウムレタスには、想定していなかった多くの利点が生まれた。一つは、高いレベルで低カリウム化することによりレタス特有の苦みがなくなったということである。この低カリウムレタスは実に甘いのである。これは野菜が嫌いな子供達には絶好である。そして、そのまま美味しく食べられるので、お酒の肴にもなりそうである。

もう一つは、ハイレベルのクルーンルームで栽培されたため、殆ど無菌状態だということ。一般の食品テストで行われる細菌測定では測定不能なほどの無菌状態である。これが及ぼす効果は絶大で、時間が経っても、全く傷まないということである。常温で2週間、冷蔵庫では3ヶ月以上経っても収穫時と状態がかわらない。一般的に生鮮野菜は流通過程で3分の一ほどだめになり、購入されて家庭の中で、さらに3分の一ほどだめになる。せっかく収穫された生鮮野菜は最終的に半分以上が廃棄されてしまう。従って、このクリーンルームで栽培されたレタスは画期的な流通革命を起こすことになり、中国や東南アジアの富裕層にまで十分に鮮度を保って直送できるはずだ。

こうして見ると、なんだか全てうまく言っているように聞こえるかもしれないが、農業分野への参入はそう簡単なものではない。特に、コスト面では、まだまだ大きな課題を抱えている。特に、クリーンルームを維持するには空調に使う電力費用が半端ではない。半導体事業を苦しめた、日本のインフラコスト高は、ここでも大きなネックとなっている。こうしたコスト高を乗り越える生産効率を、今後とも追求していかなければならないだろうし、野菜よりもっと付加価値の高い、例えば「薬草」のような事業領域を狙わなければならないかも知れない。

それでも、このレタス工場の見学は大変盛況である。私が見学させて頂いた日も、遠く九州から来られた富士通のパートナーの方々が多数来られていた。九州から関西空港経由で福島空港、そこから会津若松までバスで乗り継がれるという大変な苦労をされて来られている。その熱心な、ご見学の様子を見ていると、「これは単にレタス工場だけを見に来ているのではない」と私には思われた。

皆さん、もはや「ITサービス」だけでは事業が成り立たなくなっていることに既に感づいている。「ITサービス」は既に誰でも提供できるコモディティとなっており、この「ITサービス」を手段として、何が出来るかという「ソリューション」を提供しないと会社が持たない時代になっているからだ。そして、その「ソリューション」を提供するためには、自ら苦労して実践してみることによって初めてコンサルテーションも実現できることも知っている。だからこそ、レタス栽培まで手を出した富士通の工場にまで、わざわざ遠方から見学に来られたのであろう。

コメントは受け付けていません。