266  デジタル・ラーニング (その1)

無料で大学の授業が学べるMOOC(大規模公開オンライン講座)の日本版であるJMOOCが4月14日から始まった。既に申し込みも4万人を超え、まずは順調な滑り出しである。さて、これから先、MOOCは、どのような発展をしていくのか?少し先読みがしたくて、このたび米国を行脚することにした。大学は西海岸のスタンフォード、UCバークレイ、東海岸のMIT。加えて、教育分野のスタートアップとそれを支援するVCファンドを訪問することにした。

そもそも、大学関係者のMOOCに対するスタンスは3つある。まず、第一は「静観」である。MITが始めた公開講義資料(OCW)も寄付金が底をついたところで尻つぼみになってしまった。MOOCも収益モデルが見えないので、持続性に疑問があるということだと思われる。第二は「拒絶」である。そんなことを認めたら大学が潰れてしまうという恐怖がある。講義には知財権があり、無償で公開するなどとんでもないということであろう。そして、第三のスタンスは「期待」である。今のままの大学はいつか破綻する。そうなる前の一つのショック療法としてMOOCは有効な改革の導火線になるというわけだ。

さて、このMOOCの議論をしたくて米国に来た私にとって、最初の戸惑いは議論の中に「MOOC」というキーワードが殆ど出てこないことだった。殆どの会話では出てくるキーワードは「デジタル・ラーニング」。この「デジタル・ラーニング」はMOOCを否定するものでもないし、MOOCと対立する言葉でもない。むしろMOOCを包含し、コンピュータを活用する教育システム全般を指す言葉だと思った方がよい。その意味で、デジタル・ラーニングという視点から捉えると自ずからMOOCそのものの行く末も見えてくる。

そして、このデジタル・ラーニングを巡る、もっとシリアスな議論は、MOOCがどうなるか?というより、大学そのものが今後どうなるか?ということに帰着する。米国におけるデジタル・ラーニングを研究する人々の大義は、今のままでは大学が存続できないということであった。今後、大学の運営は益々多額の費用が必要なのに、連邦政府、地方政府ともに財政問題から高等教育のメッカである大学を支援することはできない。私立大学も、もはやこれ以上授業料を引き上げることは出来ない。今でさえ、学生ローンで自己破産する学生が後をたたないからだ。

さらに、大学が果たしている高等教育が雇用の問題にどれだけ貢献できているかという問題がある。例えば、現在、EUが抱える最大の問題は若年層の失業率であるが、高等教育を受けた若者ほど失業率が高いという問題がある。ベストセラー著作、「オープン・イノベーション」で有名になったUCバークレイのチェスブロウ教授は、一番大学進学率が低いドイツの若年層失業率が一番低く、比較的大学進学率が高いスペインの若年層失業率が高いことを挙げた。さらに、世界一大学進学率が高い、韓国の高学歴社会が、今、極めて厳しい状況に陥っていることを挙げた。今や、大学が社会にどのように貢献できているかが問われていると指摘する。

そして、実はアメリカも大学新卒の就職率が20%を切っている。しかし、今のアメリカの大学生には起業という道が開かれており、しかも、それが極めてローリスクであるという。起業に必要な資金は15年前のドット・コムバブル時代に比べて100分の一であり、たとえ起業が失敗しても、そのプロセスで得た知識や経験を大企業が就職の際に尊重するというアメリカ社会の開かれた文化が課題を解決している。

大学は好きなことを勉強すればよい。別に、就職のために大学にいく訳ではない。確かに、それは正論である。特に、ヨーロッパは古くからの伝統的な長い大学の歴史を持っている。富士通総研の野中理事長は、企業の経営者にとって一番重要な学問はリベラルアーツ(一般教養)だという。これは、私も全く賛成で異論はない。しかし、企業は大学を卒業したばかりの若者に対してリベラルアーツの知見を求めてはいない。企業が若い学生に対して求めているのは、むしろ実践に役立つ専門的なスキルである。

大学教育と企業の求人との間で、今、一番大きなミスマッチが起きている理由がそこにある。そして、そこには大学に代わって利潤を追求する一般企業が、この高等教育の分野に参入する大きな機会が生まれてくることになる。現在のアメリカでは、Ed-Tech(教育テクノロジー)をポートフォリオに組み込んでいないファンドには、もはや資金が入ってこないのだという。つまり、今のアメリカでは21世紀において教育産業は医療産業と並んで、最も成長が期待されている分野であり、巨額の資金が流れ込んでいる。「デジタル・ラーニング」は、そうした金の卵を象徴するキーワードである。MOOCが、今後、どう発展していくかを予測するには、この「デジタル・ラーニング」という大きな潮流の中で考えていかないと正しく想定することは難しいだろうと考える。

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