259  黒田官兵衛

どうも私はNHKの大河ドラマの影響を受けやすい。2008年の「天璋院篤姫」の時に、近所の酒屋で見つけた鹿児島本格芋焼酎「篤姫」にはまり、未だに家での晩酌は、この「篤姫」と決めている。清酒で使われる黄麹を使っているので、味はまろやかで飲みやすい。最近、ますます人気が出てきたようで、店にある時に纏めて2-3本買っておかないと切らすことになる。1800ml瓶の「篤姫」を台所に、いつも何本も並べて置くので家内の評判はすこぶるよくない。

昨年は「八重の桜」だったが、大震災以降、頻繁に訪れることになった会津若松が舞台で、主演女優の綾瀬はるかさんも素敵だったので、すっかり番組の虜になってしまった。地元の方に伺うと、実は八重さんのことはあまり知らないようで、むしろ京都商工会議所会頭を務めた、お兄さんの山本覚馬氏の方が有名である。会津若松出身の女傑としても、後に鹿鳴館の女王となった山川捨松さん(兄の山川健次郎氏は東大総長を二度も務めている)の方が山本八重さんより知られている。つまり、それだけ会津は人材が豊富だったということのようである。

さて、今回の大河ドラマ「黒田官兵衛」については、当初、それほど関心がなかったが、年明けに講演で福岡を訪れたところ、地元は大変な盛り上がりで市内の随所に「黒田官兵衛のぼり」が立っていた。講演が始まるまでの僅かな空き時間に九州支社長の運転手さんに黒田家の菩提寺を案内頂いたりしたので、だんだん興味が沸いてきた。それまでは、黒田節で有名な黒田官兵衛くらいしか知識がなかったが、一体、どんな人だったのだろうと、いろいろと調べ始めてみた。

もともと、黒田官兵衛は俗称であり、本名は黒田孝高で、号を「如水」と言う。何しろ夥しい数の戦いがあった戦国時代に一度も負けたことがない名軍師であるからして黒田官兵衛を題材とした本は山ほどある。その中で、私が手に取った本はイエズス会から日本に派遣された宣教師ルイス・フロイスが著したフロイス日本史第11巻「黒田官兵衛の改宗」である。

フロイスはポルトガル人で1563年に来日し、九州や五畿内で布教につとめた。秀吉の伴天連追放令で一度日本から離れるが、再び来日して1597年長崎で没するまで長期にわたって日本に滞在する。その間、信長との会見は18回に及び、秀吉や官兵衛を始め多くの戦国武将との面識を得た。この人が、全12巻にも及ぶ膨大な量の日本史を表しているのだから、その内容は凄い。多分、同時代のどの日本人より正確に歴史を記述しているはずである。

この本によれば、フロイスは小早川隆景の許しを得て開いた山口の司祭館で黒田官兵衛と初めて会っている。黒田シメオン官兵衛は、その2年前に高山ジェスト右近と、その父ダリオから説得されて大阪でキリスト教に入信したが、関白秀吉の第一の武将として繁忙で教義の勉強をする暇もなかったとフロイスは書いている。また、官兵衛は毛利軍の大半を九州へ追いやり、四国を制圧して山口にやってきたが、毛利輝元と直接直談判をして山口の司祭館の拡張を認めさせただけでなく、交通の要所である下関にも司祭館を設立する許可を得ている。また、官兵衛は、フロイスらの日本での宣教活動に便宜を図ってもらえるよう毛利輝元や小早川隆景をフロイスらの宣教師達と直接合わせて会食までさせている。

さて、フロイスが言うほどに官兵衛は戦いに多忙でキリスト教の教義の勉強をする暇がなかったのだろうか? 九州に乗り込んだ黒田官兵衛が軍備品調達のために長崎商人と交わした契約書に押印されている朱印にはSimeon Josuiとアルファベットで刻印されている。Simeonはもちろん官兵衛の洗礼名であるが、Josuiは官兵衛の号「如水」であろう。この官兵衛の号である「如水」は博多では、地名や商号や建物の名前に沢山付けられている。このJosuiさえも、モーゼの後継者で神がアブラハムの子孫へ与えると約束したカナンの地を攻め取ったヨシュアのポルトガル読みだと言われている。官兵衛は、戦いに明け暮れる多忙な中で旧約聖書の勉強までしっかりしていたのだった。

私たちは、一般に「軍師」と言えば、策略家、陰謀家を想像するが、戦国時代の希代の軍師であった官兵衛の得意技は戦わずに勝つ和睦の交渉術であった。もし、一度なりとも、陰謀や策略で相手を騙して交渉に成功したとすれば、敵は、もはや、その狡賢い軍師と交渉する機会を再び持つことはないだろう。何度も何度も、官兵衛が和睦交渉で成功したのは、官兵衛に、心底から人を敬愛する心があったからに違いない。

官兵衛以外にも、キリスト教に改宗する戦国武将が多かったのは、宣教師達との交流を深めることによって西欧の高い文明から多くの知識を得、高度な軍備や戦術を身に着けると言う実践的な損得計算もあったに違いない。この宣教師たちが連れてきた西欧の商人によって、この時代からの日本は、刀や槍の戦いから鉄砲の戦いへと大きく戦法を変えることになった。つまり、鉄砲の戦いは体力を消耗することがないので、どこかで和睦しないとお互いに殲滅するまで戦い続けないといけない。そこで、官兵衛のような人徳者こそが、和睦交渉のための軍師として重用されたのかもしれない。

先日、福岡空港の土産物店で、筑紫菓匠「如水庵」の焼き菓子「シメオン・ジョスイ」を見つけたので、常日頃、お世話になっているカトリック鷺沼教会の松尾司祭へ、お土産として買ってきた。その焼き菓子の包装には、あの官兵衛が長崎商人との契約に用いたSimeon Josuiの朱印がデザインされている。これを見た松尾司祭からは「素晴らしい。これを次の講話に使います」と大いに喜んで頂いた。来る3月9日、私は、カトリック藤沢教会で行われる洗礼志願式に参加する。そして戦国武将、黒田官兵衛に習い洗礼名をSimeonと決めた。

コメントは受け付けていません。