250 MOOCについて(その2)

今年1月、米国富士通研究所がパロアルトのコンピュータミュージアムで開催したフォーラムにて、スタンフォード大学のヘネシー学長をお招きし、講演をして頂いた。この講演で、ヘネシー学長は、「スタンフォード大学での授業は、全て質疑応答形式や演習が中心で、いわゆる一方的な講義はしません。講義はMOOCで聴いてもらうことにしています」とお話になった。従来の大学での授業形態は、大学で講義を聴いて、学生は自宅で予習、復習をするというのが一般的だった。今、スタンフォード大学を始めとするアメリカの一流大学では、学校の授業で先生から生徒への一方向性的な講義はしない。

つまり、講義は自宅でオンラインにて聴くものだとされている。これが所謂「反転授業」と呼ばれるものだ。学校と自宅と学習形態が逆転しているから反転と呼ぶらしい。本来は、大学では、一時間の講義に対して、予習1時間、復習1時間を想定しているらしいが、日本の学生は1時間の講義に出席するのがやっとで、予習、復習などとんでもないことだという。これでは世界の学力競争で勝てるわけがない。アメリカでの授業は、講義は既に聴いていて、ある程度の知識は身に付いて居ると言う前提で、質疑や演習が行われている。つまり、アメリカでは予習をしないで授業に出ること自体に意味がない。

私は、インドに拠点を持つ欧米のITベンダーの現地TOPから次のような話を聞いたことがある。「インドで最難関の大学はインド工科大学(IIT)で、共通テストで99.5%以上の正答率でないと合格できない。しかし、IITに不合格になった学生でも、アメリカに渡れば、東部のMITやプリンストン大学、あるいは西部のスタンフォード大学に最上位の成績で合格し、奨学金まで貰うことが出来る。そして、このインドで、我々が採用するのはIITの卒業生ではなくてアメリカの大学を出た学生だ。なぜならアメリカの大学を卒業した彼らはIITの卒業生より遥かに優秀な学力を身に着けているからだ」と話す。つまり、IITの教育はアメリカの大学に比べて劣っているので、せっかく入学した優秀な学生の資質を十分に活かせていないというわけである。

それほど優れた教育システムを持つアメリカの大学のなかで、これまで長い間TOPだったMITは、最近、大学ランキングで西部のカルフォルニア工科大学に全く勝てないでいる。それどころか、同じマサチューセッツ近郊で1学年の学生数が数十人という小規模な天才教育をする工科大学にも勝てないのだと言う。この大学は企業からの評価もすこぶる高く、最近は、MITに行かないで、そちらの大学を選択する学生も出始めている。そうしたMITの危機感を最も反映したのが、2度の大学中退をし、大学院に行ったこともなければ博士号も取得していない伊藤穰一さんをメディアラボ所長に選任したことだと言われている。これまでの大学が持つ伝統的な権威では、大学を再生することはできないとMITは考えたわけだ。

MOOCは公開授業として、世界中の誰でも閲覧できるだけでなく、演習問題に回答すれば、修了証も貰えるし、最近は単位まで取得できるようになった。こうなると、MOOCは、最早、反転授業のツールだけの領域を逸脱して、大学の存在までも否定しかねない。大学にとっては大変危険な存在となる。それでは、MITやハーバード大学は、どうして、こうした危険な賭けに出たのだろうか?実は、MITが本当に恐れていたのはカルフォルニア工科大学のような同業者ではなかったのである。

それはバングラディッシュ系アメリカ人であるサルマン・カーンが創設した無料オンライン公開講座の運営サイト、カーン・アカデミーが爆発的な伸びと高い評価を受けていることにある。常時120万人以上の学生が見るYouTubeの講義ビデオは年間3億回も再生されている。カーン・アカデミーの運転資金はMicrosoftとGoogleが拠出しているのだが、さてMicrosoftとGoogleは, この無料オンライン公開講座に対して、一体、何を目指しているのだろうか?それは後で、じっくり述べてみたい。

MITが恐れているのは、このサルマン・カーンは確かにMITの卒業生ではあるが、先述の伊藤譲一さんと同様に、Ph.D.を取得しているわけでもなければ、大学教員として十分な経験もない。そうした伝統的な大学の権威がなくても、優れた教授陣を集めて、誰にでも判り易い講義をすれば、それだけ多くの人々が集まる巨大な学び舎が出来ると言うことである。このことこそが、名門MITが恐れる高等教育の新興勢力であった。もはや現代は、プロフェッショナルと素人の境目が曖昧になってきた。プロゴルフの世界でも、いきなりアマチュアが優勝したりするし、歌手の世界にもスーザン・ボイルさんのような方もいる。

放送大学の山田先生も、京都大学の飯吉先生も同じように言われたのは、MOOCが普及し始めてから、最初の数年間は、ハーバード大学のサンデル教授のような人気絶大なる先生が世界のMOOC市場を席巻するだろうが、その後、その地位は、今まで、大学とは縁がなかった巷間の普通の人々に取って変わられる時代になるだろうと仰っていた。もちろん、閉鎖的な大学の中で、今まで、大して評価がされてこなかった先生が、突然、MOOCの大スターになる可能性も十分に持っている。

米国に20年も居た飯吉先生に言わせれば、MITも含めて、東大も京大も、破格なブランドを持っているが故に、学生に対して就職に有効で強烈なパスポートを発行できる権威があることを良いことに、学生の教育、人材の育成に関して大した努力をしてこなかったのではないか。もちろん学生は大いなる不満を持ってはいるが、先生の言う事を聞いて居れば、きちんと卒業証書を貰えるので、それでよしとしてきたに違いない。ところが、世界中が高学歴者の就職難という事態になってくると、企業は学生に対して即戦力となる才能を求めるようになってくる。熾烈な国際競争に打ち勝つためには、企業は、もはや卒業した大学のブランドで高い給料を支払う余裕などなくなった。

その点、MOOCでは、受講者がどのコースを選び、どれだけの成績を取ったかが、全てわかるので、企業は必要な人材を的確に選ぶことが出来る。もはや、必要な人材を卒業した大学のブランドで選ぶのではなくて、何に興味を持っていて、どういう才能とスキルがあるかを知った上で、最適な人材を選ぶことが出来る。学生の方も、企業が必要としているコースを選択して、それを、しっかり勉強すれば、就職に役立つので、単に好き嫌いとか、単位が取りやすいとかではなくて、自分を磨くために必要なコースを選んで、しっかり勉強することが出来る。

先進国、途上国、共通の悩みとして大きな課題となっている高学歴者の高い失業率という問題、即ち人材の需要と供給のミスマッチという課題を解決する糸口をMOOCは見つけるかも知れないのだ。

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