息子夫婦と孫娘を連れて義母の新盆のため山形へ行くことにした。息子の嫁や孫娘にとっては初めての山形なので、折角だから、花笠祭りをみようということになった。さて、今年の花笠祭りの日程を富士通山形支店長に尋ねると、中日の8月6日には富士通グループが踊る予定なので、一緒に参加してみてはと誘われた。そういえば山形出身の妻と結婚してから40年間、一度も花笠まつりを見たことがない。東北の4大祭り、青森のねぶた、秋田の竿燈、山形の花笠、仙台の七夕での中では、青森と山形が参加型の祭りとなっている。特に花笠は見る祭りというより参加する祭りとして意義があるように思えたので、支店長の誘いに乗って参加することにした。
富士通グループは祭りに参加するためにお揃いの法被を用意しているので、孫娘向けは事前に法被を自宅に送ってもらい裾上げをして参加することになった。花笠踊りには男踊りと女踊りがあり、富士通グループの参加者は圧倒的に男性が多いため、力強い男踊りを踊ることになっている。しかし、この男踊りが結構難しい。孫娘は花笠音頭、男踊りのDVDを見ただけで直ぐに挫折した。結局、私たちは、踊る隊列の脇で法被を着てウチワ配りをすることになった。青森のねぶた祭りでも富士通グループは毎年参加しているが、ここでは採点がある。富士通グループは、あの大震災以降、このねぶたコンテストに力を入れて、一昨年、昨年と見事に優勝した。今年は残念ながら二位で、三連覇を逃してしまったが、跳人部門では一位で、総合で二位は大変立派である。
昔から、山形に帰省するときは、現地に着いてから公共交通での移動が不便なので、深夜の東北自動車道、山形道をひたすら走って車で帰っていた。しかし、私も、もう高齢者の仲間入りをしたので、無理は禁物と、JRが宣伝するレール&レンタカーを利用することにした。これは正月とお盆の時には使えないが、それ以外の時期では切符代が大幅に値引きになるので家族連れで行くとレンタカー代は事実上タダになる。今回は、さくらんぼ東根駅でレンタカーを借りて、山形駅で返却することにした。駅レンタカーの事務所や駐車場は、駅の構内にあるので、電車との組み合わせはすこぶる相性が良い。私は、アメリカ駐在員時代にアメリカ国内出張でレンタカーを多用していた経験からレンタカー利用に抵抗は全くない。こうして安価にレンタカーが借りられると、日本のレンタカーもアメリカ並みに普及することになるだろう。
正午にさくらんぼ東根駅に着き、そこでレンタカーをゲットした私たちが最初に向かったのは、山形中央自動車道、東根インター付近にある蕎麦処「一寸亭支店」である。知る人ぞ知る、この店はバラック仕立ての粗末な店なのに、夏休みになると、この店の駐車場には品川ナンバーのベンツやBMWなど高級外車で一杯になる。面白いのは何故か、この有名な店が「支店」で、「本店」が何処にあるのかは、私は未だに知らないことである。そして、地元の常連のお客も、はるばる東京から来たお客も、注文するのは、皆「冷たい肉蕎麦」なのだ。山形は暑い処なので、「冷たい肉蕎麦」や「冷やしラーメン」、「冷やしシャンプー」発祥の地でもある。当然、私たちが頼んだのも「冷たい(ツッタイ)肉蕎麦」であった。
妻の実家の菩提寺で、義母の新盆参りを済ませた後、私たちが向かったのは、同じ河北町にある紅花資料館であった。この資料館の土地及び建物全体が、山形を代表する紅花商家であった堀米家の屋敷である。西洋史の権威である堀米庸三東大名誉教授、世界的なバイオリニスト堀米ゆず子さんも、この堀米家の一族として資料館の堀米家系図に記載されている。妻の実家も、同じ河北町の紅花商家で、将来はバイオリニストになりたいという孫娘に、山形紅花の歴史をぜひ見せておきたいと思ったのだが、この堀米家の広大な屋敷は、「こんなに広いお屋敷に住まないとバイオリニストには成れないの?」と孫娘を少し不安にさせてしまったかも知れない。
その後、寒河江インターから、高速を通って山形市へ移動、ホテルにチェックインした後に富士通山形支店に入って私と息子と孫娘の3人が富士通の名前が入ったお揃いの法被に着替えたところで、突然、大雨が降ってきた。山形地方は、先週、記録的な大雨が続き、ダムの水が混濁したため断水が続いていたが、今週は晴れると天気予報は期待を抱かせたのに、残念ながら、また大雨である。晴れ男を自認していた私も、敵わない時があるのだと観念して、雨の中、3人で花笠踊りの集合場所まで行って集合写真を撮るまでが限界だった。これ以上濡れるのは子供の体力では無理そうなので、ホテルに戻って着替えて踊りを見る方に回った。丁度、雨も上がり、富士通グループの人たちも濡れた法被から湯気が立ち上るほど元気よく踊っていた。そして通りの見学者たちを良く見れば、私たちのように身内や仲間が花笠を踊っている姿を応援している方が多い。やはり花笠祭りは参加するものなのである。
翌朝は、昭和59年に国の重要文化財に指定された旧山形県庁である山形県郷土館「文翔館」を訪れた。ここは、もう亡くなってしまった、妻の父、孫娘にとっては曽祖父が長年勤めた場所で、建物右手の庭園は義父が自ら設計したものと聞いている。大正初期に建てられた英国風レンガ創りの建物と、その中の豪華な内装は大変立派なものである。特にベランダは花笠踊りの行列が正面に見える位置にあり、ここから花笠を鑑賞したらさぞかし素晴らしいのではないかと思ったが、妻は、昔、安孫子知事夫妻と一緒に、このベランダから花笠を見たことがあると言う。やはり、そんな見方があったのだ。
その後、支店長が「ぜひ」と薦める、山形美術館で開催されていたウッドワン美術館所蔵名品展を見に行った。この展示は8月25日まで開かれている。未だ間に合うので是非見に行かれることをお薦めする。日本画では竹内栖鳳、横山大観、川合玉堂、上村松園、鏑木清方、安田靫彦、加山又造ら 35 人、洋画では浅井忠、黒田清輝、藤島武二、小出楢重、安井曾太郎、梅原龍三郎ら 42 人の巨匠らによる秀作、計 106 点が展示されている。特に、岸田劉生の《毛糸肩掛せる麗子肖像》、藤田嗣治が新境地を開いた大型作品《大地》や、フィンセント・ファン・ゴッホの《農婦》など、日本でこれだけのものが一堂に見ることができるのかと本当に感動した。
素晴らしい名画を見た後に、少しお腹が空いたので、予約しておいた蔵王山麓の蕎麦処、「三百坊」へ行くことにした。西蔵王で自家栽培した蕎麦を自家製粉した坊板蕎麦で有名な、この三百坊へ、私は一昨年の冬に初めて訪れている。ご自慢の庭は、雪景色となっており、店主からは、危険だから庭に出ることは駄目だと禁じられた。それで、一度、夏に行ってみたいと思ったので、今回は、どうしても来てみたかった。しかし、蔵王山中に入ってからナビが導く道は、どんどん細く頼りなくなっていく。もう、対向車が来たら駄目だ、本当に、この道だったのだろうか?と不安になる。よく考えてみたら、真冬に雪道を来たのだから景色は全く違っているのは当たり前だ。それでも何とか着いたようだ。なぜ、着いたようだと思ったのは、黒塗りの高級車が沢山停まっている駐車場が見えたからだ。
大きな屋根のお店に入ってから見た広い庭の景色は、確かに素晴らしい。山の一部のような気もするが、やはり造られた庭園である。こんな景色を見ながら、自家栽培、自家製粉の十割蕎麦を食するのはとても贅沢である。子供でも一人前は取るのが決まりだと店主に言われて注文したが、果たして食べられるのだろうかと心配したが、美味しいのは子供にも分かると見えて、坊板蕎麦、一人で全て平らげてしまった。聞けば、夏蕎麦は毎年7月25日に採るのが決まりになっているのが、今年は大雨で収穫できなかったそうだ。「皆さんはとても運が良い、今日が夏蕎麦の初日ですよ!」と店主に言われて、花笠踊りは雨に遭ってしまったが、山形美術館も含めて、トータルとしては、今回は、「運が良い山形花笠紀行」だったかなと思い帰京することとした。