236 米国経済の行方

今日、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)の客員研究員でデューク大学のジェイコブス・ヴィグダー教授から「米国経済の行方」と言う題の講演を聞かせて頂いた。金融学や経済学ではなく公共政策学という観点から分析したヴィグダー教授の論理展開は、私にとって非常に新鮮で、しかも判り易かった。大変、良い話を聞いたと思うので、皆さんにも、その一部をお分けしたい。

ヴィグダー教授は、今後を予測する経済指標として、「一人あたりのGDP」と「貧富の格差」を重要視している。特に「貧富の格差」は国の経済が持続的に成長することを阻害する大きな要因になると主張されている。教授は、今夏、初めて4週間の長期休暇を取られ、生まれて初めて日本を訪問されることとなった。家族と一緒に旅行された日本の各地には、公共政策を研究する上で、大きなヒントが沢山隠されていると言う。今回は、そうした休暇中に講演をして頂いたというわけである。

まず最初に教授があげた数値は、アメリカは一人あたりのGDPは、$50,700で世界では229ヶ国中で14位。アメリカより上位にある国は中東の産油国か、税金回避の金融センターがあるという特殊な国だけなので、やはりアメリカは豊かな国であると言う。一方、日本は、229ヶ国中38位で、アメリカ同様に十分に豊かな国だと言う。ところが貧富の格差を表すジニ係数で、アメリカは世界136ヶ国中41位で先進国の中ではダントツに高い。アメリカより貧富の格差が高い国は、中国、ロシア、南米、アフリカの国々である。

特に主要国の中で一番貧富の格差が大きい国はブラジルで、先日、ワールドカップやオリンピックの開催に反対した大規模なデモが繰り広げられたのは、このせいである。アメリカも同様で、国の経済は繁栄しているが国内には大きな不平等が存在する。リーマンショック以降、アメリカの就業率は低下するばかりで回復の兆しは全く見えていない。

アメリカの就業率の統計は第二次世界大戦後の1947年から始まっており、その時の就業率は55%だった。それが1960年代後半から、どんどん向上してきて2000年までに64%まで上昇する。これは女性の社会参画が非常に大きな要因であった。2001年のITバブル崩壊、9.11ショックで62%まで下がるが、2007年のリーマンショックまで63%まで回復した。そして、あのリーマンショック以降、アメリカの就業率は急降下し続けて、今日は58%であり、1970年代の水準まで一気に戻ってしまった。今日も、まだ回復の兆しが見えない。この間の失業者の多くが男性である。男性中心の製造業や建設業が落ち込んだからである。だから、近代のアメリカは女性社会になったとも言われている。

一方、一人あたりのGDPという単一指標だけ見ていたのでは、アメリカの場合は、一本調子に上昇する変化しか見えないので、教授は面白い見方を我々に示してみせる。アメリカの一人当たりGDPを旧宗主国である英国のそれで割ってみたのである。そうすると、アメリカは建国以来、その経済成長を4つのステージに分類することができる。

アメリカが英国から独立した1776年にはアメリカの一人あたりのGDPは英国の60%しかなかった。そのアメリカが順調に発展し、英国に追いつくのが第一ステージである。1900年にアメリカは遂に英国に並ぶ。アメリカは英国を追い越すと第二次世界大戦後の1950年までに猛烈な勢いで急成長を遂げる。1950年にはアメリカの一人あたりのGDPは英国の1.4倍にまでに到達する。二度の世界大戦でもアメリカ本土の製造業は戦火に見舞われることがなかったからである。それが第二ステージである。

ところが、1950年から1990年まで40年間、アメリカの一人あたりのGDPは英国の1.4倍のままで継続し、それ以上、英国を抜き去ることはなくなったものの、世界唯一の超大国として、その繁栄を継続する。これが第三ステージである。そして、1990年から、今日までの20年間、アメリカの一人あたりのGDPは英国対比で下がり続けるのである。今日、英国の1.2倍にまで下がり、その下落傾向はずっと続いている。それが第4ステージである。

アメリカが急成長した1900年から1950年までの第二ステージには何が起こったかである。一つは、戦火に見舞われなかったアメリカ製造業の活況であった。同時に都市化が急速に進んだ。ヨーロッパから大量の移民が、都市の労働力を提供した。アメリカ国内でも南部のプランテーションから大量の労働者が北部の工業地帯へと移動した。アメリカは世界の製造大国として、自動車工業に見られる大量生産メカニズムなど、多くのイノベーションを起こした。それと同時に、この50年間、アメリカは貧富の格差が最も低い時代でもあった。労働者に自動車が買えるような高給を与え、今日の個人消費型アメリカ経済の基礎が出来上がった。

1950年から1990年までの40年間、アメリカの一人あたりのGDPが英国の1.4倍を維持し続けられたのは、繁栄を多くの国民で共有し、貧富の格差を減らしていったからであろう。特に、1960年代に起きた黒人と白人の差別を撤廃する公民権法の成立、ジョンソン大統領は貧困との戦いを政策の主題に置いた。ところが、この1990年からアメリカ経済は凋落の兆しを見せ始める。1,800万人いたアメリカの製造業従事者が、この頃から減り始めるのである。特に1970年代から始まったエネルギー危機が、アメリカの製造業没落に拍車をかけた。1990年から減り始めた製造業の就業人口は毎年減り、今日では1,200万人までに減っている。このことが、アメリカの健全な中間層を減らして貧富の格差を拡大した一大要因となっている。

1970年代からアメリカの家計所得は減り続けていたが、一度贅沢な生活に慣れたアメリカ人は節約をすることが出来なくて、どんどん借金を増加させてしまった。こうした状態を救済したのがカルフォルニア州知事に就任したレーガンだった。レーガンは減税によって家計支出を救済することで絶大な人気を博して、とうとうアメリカの大統領にまでなった。税収を減らしたカルフォルニア州でレーガン知事が行った施策は公共政策の縮小であった。特に教育と公共投資を大幅に削減した。大統領になったレーガンは、これを全国規模で行った。

この結果、アメリカは大きな代償を払った。アメリカは全世界共通の学力テストPISAにおいて、常に低位である。1970年第一位だった日本も、今日、随分学力が低下したが、それでもアメリカよりずっと上である。1990年代以降、アメリカの高校卒業率が、どんどん低下しており、国民の知的レベルは国際水準に届いていない。この25年間、アメリカは製造業の衰退と同時に金融国家として富を蓄積してきたが、金融ビジネスは所詮ギャンブルである。そして、極めて少数の雇用しか必要としないので国民の貧富の格差は広がるばかりである。

今のような低金利時代にはマネタリーポリシーは経済振興策には成りえない。就業人口の拡大によって消費経済を拡大しない限り、アメリカの実体経済は良くならない。そのために、今、アメリカがやらなければならない最大の政策は教育である。アメリカは憲法で教育を連邦政府の仕事として定めていない。財政危機に喘いでいる地方自治体に、アメリカの教育再生を委ねるのは無理である。

次にアメリカが行わなければならないのは、イノベーションを起こすための移民拡大である。オバマ大統領は移民法改正を行おうとしているが、メキシコからの不法移民を恐れる保守派が反対していて成立が危ぶまれている。彼らは、今や、メキシコからの不法移民など殆どゼロなのを知っているのだろうか? メキシコ経済は、今や、絶好調であり、メキシコの失業率は著しく低い。彼らは、祖国で、直ぐに職にありつけるのだ。それよりも、世界に沢山いる知的な労働者をアメリカにどんどん入れる方がアメリカ経済の再生には大きな貢献をするだろう。

アメリカ経済は、深刻な低迷期に入っている。しかし、それでも、アメリカに代わる超大国は少なくとも向こう50年間は現れないだろうと思われる。今、BRICSは、皆、先進国の罠にはまりつつある。アメリカ、ヨーロッパや日本などの先進国が抱える悩みを彼らが共有し始めたからだ。だからこそ、未だ、アメリカには成長するチャンスがある。もっと自国民の教育に投資し、世界中から優秀な人材を集めれば、アメリカは、そう簡単には没落しない。

今日は、本当に良い話を聞いた。ひょっとして、ヴィグダー教授は、アメリカの話を題材にして、今後の日本の歩むべき道を解説してくれたのかも知れない。そう思ったのは私だけではないだろう。

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