235 グローバルに活躍する!  

この講演録は、今年1月に富士通グループ各社の経営TOPと労組のTOPを一堂に集めた、富士通労働組合主催の全富士通労連 第20回労使フォーラムにて、私が講演させて頂いたものである。正確に言えば、富士通労組の機関紙クリエイトの編集責任者である三富祥史氏が、私の講演から、そのエッセンスを抽出し、足りないところは補足説明も加えて記事としてまとめられたものである。従って、私が、今読んでみても、随分立派な講演だと感心する内容にまで研ぎ澄まされている。お時間のある時に、ご一読頂ければ幸いです。 

<講演録>

「グローバルに活躍する!」 ~どうしたらなれる? 常識の違いを知る~

 はじめに

私が部会長を務めている日本経団連「産業政策部会」には、トヨタ自動車㈱や㈱資生堂、味の素㈱など、日本を代表する企業の役員の方々が参加されていますが、そうした皆さんに「あなたの企業が抱えている最大の経営課題は何ですか?」と伺うと、皆さん一様に「グローバル人材の育成です」とおっしゃいます。私から見ると、いずれの企業もすでに十分にグローバル化が進んでいるように見えるのですが、実際にはこうした答えが返ってくるのです。どうやら「グローバル人材の育成」というテーマは、日本のほとんどの企業が抱える重要課題であるようです。本日は私自身の体験をもとに思うところをお伝えし、「グローバルに活躍する」ということについて考えるきっかけにしていただければと思います。

グローバル化と国際化

グローバル化を表す日本語として国際化という言葉が使われますが、私はグローバル化と国際化とは全く違うものであると考えています。それは、国際化という言葉が国境の存在を前提としているからです。つまり国際化とは「インターナショナル化」のことであり、自国と他国との関係においてものごとを考えるというニュアンスを強く感じるのです。中国語ではグローバルを「全球」と言います。「先進国や新興国などという区分けはなく、地球が1つの同質な存在である」という表現であり、グローバルという言葉の本質を見事に言い表した言葉であると思います。

「日本のビジネスを海外に展開する」という考え方は、インターナショナル化であってグローバル化とは異なります。では、グローバルにビジネスを推進するためには何が必要なのかというと、私は「エコシステム(生態系)」という考え方が1つの解になるのではないかと考えています。

ここに1枚の写真があります。これは太陽光パネルの電力で動く冷蔵庫をラクダが背負っている図ですが、これで何をしているのかというと、子ども用のワクチンを冷蔵保存しながら、車での移動が困難な僻地へと運んでいるのです。しかもラクダを引いている人はワクチンの接種免許を持つ医師であり、さまざまな地域へと旅をしながら感染症の予防に努めているのです。私はこの話を聞いたときに、これこそが究極のエコシステムであると思いました。さまざまな構成要素が、まさに1つの生態系のように見事に関連し合っているのです。日本のものづくりに関しても、その製品がグローバルなエコシステムの中でどのような役割を担うことができるのかという観点を持つことが重要であり、特に新興国におけるビジネスを推進するためには欠かせない考え方であると思っています。これまでのグローバルビジネスは、先進国向けに開発した製品を新興国向けにカスタマイズして提供するという考え方が一般的でした。しかし今後は、リバース・イノベーション、つまり、制約の多い新興国向けの製品を開発することがイノベーションを引き起こし、結果として先進国でも通用する新たな製品へとつながっていくという考え方が重要であり、そのためにも、他の国の文化をよく知る必要があると考えています。

グローバル化とダイバーシティ

グローバル化を追求することは、ダイバーシティを推進することと同義であると考えています。ダイバーシティというと、日本では「女性の活用」の意味として使用されがちですが、本来の意味は「多様性」、つまり人種や宗教などのさまざまな違いを排斥するのではなく、その違いを積極的に受け入れていくということです。かつての日本には、こうしたダイバーシティに満ちた時代がありました。例えば、明治政府はそれまでの身分制度を廃止し、多くの外国人教師を招聘して欧米の先進技術や学問、制度などを取り入れていきました。また、太平洋戦争直前に外務大臣に就任し、対米協調の立場で戦争回避に奔走した東郷茂徳は、かつて豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に薩摩の島津義弘の帰国に同行した韓人陶工の子孫でしたが、当時の東條英機内閣は国家存亡の命運をかけた交渉を託すに際し、その人物の氏素性を問うようなことはしませんでした。さらに太平洋戦争後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策として発令されたいわゆる“公職追放”は、結果としてさまざまな分野におけるリーダーの世代交代を促し、限られた一部の人だけではなく、多くの人々が努力次第で要職に就くことができる社会をつくり出しました。

同質の価値観にこだわるのではなく、さまざまな違いを尊重して受け入れながら積極的に生かしていくことが、社会全体に活力をもたらします。歴史的な考察からこのことを見事に説明したのが、中国系アメリカ人のエイミー・チュア(蔡美儿)です。彼女は、著書「最強国の条件」の中で、歴史上グローバルに栄えた国々はいずれも「寛容さ」によって興隆し、その「寛容さ」を失ったことで滅亡したと述べています。例えばイスラム勢力の支配下にあった中世のイベリア半島では、キリスト教勢力が数百年におよぶレコンキスタ(国土回復運動)を経てスペイン王国を成立させますが、その後もイスラムの海洋学やユダヤの金融業を積極的に取り入れるなど、当時としては異例なほど他の宗教に対して寛容な態度を示しました。こうして異文化との融合を果たしたスペイン王国は、その後の大航海時代において「黄金の世紀」と呼ばれるほどの繁栄を極めますが、やがてユダヤ人やイスラム教徒に対する迫害が強まるとともに徐々に国力が奪われていき、衰退の一途をたどっていったというのです。

寛容さは、相手を理解しようとすることから生まれます。正しいとか間違いなどという判断を下すのではなく、自分の常識と相手の常識が異なる場合があるということを理解することが重要なのです。

異文化理解

私たちは会話をするとき、無意識のうちにお互いに暗黙のルールを前提にしていると思います。それは通常“常識”と言われるものですが、グローバルな人間関係ではその“常識”が通用しない場合が多くあります。日本人は同質性を重んじるあまり、自分の“常識”とは異なるものを「非常識」として否定してしまうことがありますが、グローバルに活躍する人材になるためには、自分とは異なる“常識”の存在を認め、敬意を持って相手を理解しようとすることが重要です。「もしかすると、この人の“常識”と自分の“常識”とは異なるのではないか」ということを自覚するだけで、その人に対する寛容さが大きく変わってくるのです。

その1つの例が国際結婚です。日本では恋愛成就の意味で「ゴールイン」という言葉がよく使われますが、欧米における結婚は、2人の共同生活が始まる「スタートライン」です。一方がゴールと考え、もう一方がスタートと考えているお互いの“常識”を理解し合わなければ、その後の結婚生活はどこかですれ違ってしまうかもしれません。

また、宗教観においても“常識”の違いが顕著に表れます。米国では年末に開催されるパーティーであいさつするときに、Merry ChristmasではなくHappy Holidaysと言います。それは、必ずしも全員がキリスト教徒とは限らない中で、お互いの宗教に対して敬意を持って接するためなのです。日本では常に宗教のことを考えながら日々の生活を送っている方はそう多くありませんので、中途半端な意識で宗教の話題を口にすることは避けた方が良いと思います。ところが、ではまったく宗教に無頓着でいられるかというと、そうではありません。なぜなら、宗教は食生活などとも深い関係にあるからです。例えば海外からのお客様を一流のステーキハウスに招待したとしても、その方が宗教的な理由で牛肉や豚肉を食べられないことがよくあります。しかし、だからといってそれほど親しくない方が「あなたはどのような宗教を信仰していますか」などといきなり確認するわけにもいきません。このような場合、私は精進料理のお店にお連れするようにしていますが、こうしたことも日本人としての通常の“常識”では考えつかないことかもしれません。

さらに、喫煙に対する考え方も国によってまちまちです。シリコンバレーがあるカリフォルニア州は、自動車の排気ガスに関する厳格な規制をいち早く導入し、また、遺伝子組み換え食品を利用しない人が米国で最も多いと言われるほど健康に対する意識が高い州ですが、そこでは喫煙者は麻薬常習者と同類のように扱われており、喫煙者であるというだけでステータスの高い地位に就くことができないといわれるほどに厭われています。日本では考えにくいことかもしれませんが、タバコはその煙が他人にも悪影響を与えるという点で、マリファナよりも害のあるものと見なされているのです。

ビジネスツールとしての英語

私は50歳のときに、米国にある関係会社の責任者として現地に赴任することになりましたが、留学の経験もなく英語が不得意でしたので、元ESL(English as a Second Language:英語を母国語としない人のための英語教室)教師の老婦人に英語を教わることになりました。彼女はビジネスの世界で必要なExecutive Englsihを教える教師であり、日本語をまったく話せないものの、日本から赴任してきた企業のトップをこれまでに何人も教えてきたという経歴の持ち主でした。授業はマンツーマンで行われましたので緊張の連続でしたが、おかげで日本の学校教育では教わることのなかった「本当に使われている英語」について学ぶことができました。例えば、丁寧語と謙譲語の授業では、Youのあとにmust、should、had betterなどをつけてはいけないと教わりました。そのような言い方をしていては、友人関係が一挙に崩れてしまうというのです。「あなたはこうした方がいいよ」と伝えるときには、「It’s better for you to ~」と言うのだそうです。さらに丁寧な言い方をするのであれば、「Why don’t you ~」を使うということでした。「どうぞお座りください」であれば、「Why don’t you sit down.」です。直訳のイメージですと「何で座らないんだ」という喧嘩口調のようにも感じられますが、意味するところは「どうぞお座りください。ここはそもそもあなたがお座りになる権利のある場所なんですよ」ということなのだそうです。こうした英文法の授業は、私にとって大変刺激的でした。さらに感銘を受けたのは、will be、may be、would be、could be、might beにそれぞれ発生確率があるということです。例えばwill beは95%の確率で起きることを表現していますが、could beは5%の確率でしか起きないことを言っているのだそうです。ですから、職場で米国人の部下に「こうなの?」と尋ねたときに、「Yes, it could be.」という答えが返ってきたとしたら、それはYesではなく、「ひょっとしたらそうなるかも知れない」あるいは、「ほとんどありえない」という意味に受け取らなければならないのです。長年、学校の授業で英文法を学んできましたが、それですべてを理解したつもりでいたとしたら、ビジネスの世界で大きな失敗をしていたかもしれません。

発音についても新たな気づきがありました。例えば、日本人のキャビンアテンダントが話す英語はとても流暢に聞こえますが、ネイティブの米国人からすると、英単語のスペルをすべて発音するような話し方はかえって聞き取りにくいのだそうです。むしろ、抑揚をしっかりつけながら、「アメリカン」を「メリケン」、「オクラホマ」を「ヨコハマ」と発音した方がよほど理解しやすいとのことでした。私も含めて、日本には英語の発音に苦手意識を強く持つ人が大勢いますが、この話を聞いてからは、「きれいな英語」ということを意識しすぎずに、積極的に話しかけることが何よりも大切であると考えるようになりました。

授業の科目にはプレゼンテーションもありました。ビデオ撮影された自らのプレゼンテーションの様子について、話の内容や発音、話す姿勢に至るまでが事細かに評価されるのですが、一番驚いたのは、言葉の合間に「えー」という「音」を絶対に挟んではいけないと注意されたことでした。日本人は「えー」と言いながら話し始めることがよくありますが、欧米の方からすると、「えー」は人間の言葉ではなく動物の鳴き声に聞こえ、とても不愉快に感じるのだそうです。「えー」と言いながら続く言葉を探すよりも、むしろ何も言わずに黙っているか、多少言いよどむくらいの方がはるかに好感が持てるということでした。 

日本人は英語が不得意か?

今日では、英語はEnglishではなくGlobishと呼ばれるほど世界の共通語になっていますが、必ずしもすべての人がきれいな発音で英語を話しているわけではありません。インド人やフランス人が話す英語はそれぞれの母国語にしか聞こえないほど癖のあるものですが、それでも想像力を豊かにしながらお互いに相手のことを理解しようと努力することで、会話が成立しているのです。

グローバル人材に必要な資質として「英語力」を筆頭に挙げる方が多くいらっしゃいますが、私は必ずしもそうではないと思っています。「自分は英語が苦手だ」とおっしゃる方の話を伺ってみると、「主語や述語、目的語がはっきりしない」「話が回りくどい」「比喩や四文字熟語を多く使う」「禅問答のような受け答えをする」など、そもそも日本語力すらあやしい場合が少なくないのです。つまり重要なのは英語力ではなく、むしろそれ以前の「会話能力」の方であると私は考えています。このことが顕著に現れる場面が、ディナーを共にするときです。仕事の話であればお互いに共通の背景がありますし、飛び交う言葉は基本的に業界用語ですのである程度は会話が成立します。ところが、ディナーは仕事を離れて会話を楽しむためのものですので、さまざまな話題を提供できなければ会話が続きません。ディナーで試されるのは英語力ではなく、その人との会話が楽しいかどうかということなのです。

あるとき、シリコンバレーに長く住んでいる大先輩から、「面識のない人から面会を申し込まれたら、相手がよほど問題のある方でない限り、短時間でも良いから会うようにしなさい」と教えられました。「とにかく会って話し、そのときに実りがないと判断したのであれば、その後の申し込みは丁重に断ればよい」というのです。事実、シリコンバレーの住人の方々は皆さんとてもフレンドリーで、お誘いを何度も受けることになりました。そこで、私の方からもさまざまな有名企業のCEO(Chief Executive Officer:最高経営責任者)に面会を依頼してみましたところ、皆さん多忙なスケジュールであるにもかかわらず、面会時間を調整して下さいました。しかし、実際にはそれからが大変です。その方との2度目の面会が叶うかどうかは、短い時間の中でいかに実りのある会話ができるかにかかってきますので、常に真剣勝負なのです。富士通総研経営研究所の野中郁次郎理事長は、「グローバルに活躍する経営者にとって最も大切な資質はリベラルアーツ(一般教養)である」とおっしゃっています。まさに重要なのは、単なる英語力ということではなく、その人の人間力そのものということになるのです。

雇用に対する考え方の違い

「グローバルな企業」を考える上で理解しておくべきことの1つに、雇用に対する考え方の違いがあります。私が駐在していた米国を例に取りますと、まず皆さんもご存じの通り終身雇用という考え方はありません。また、日本のような新卒の一括採用という制度もありません。日本では、2011年の大学新卒者の就職率が過去最低と並ぶ91.1%になったことをもって「就職氷河期」と呼んでいますが、同じ年の米国の大学新卒者就職率は20%未満です。米国の企業が採用するのはすべてプロフェッショナルであり、新卒者を企業が育てるという発想はありません。では、新卒でプロフェッショナルな人材などあり得るのかというと、彼らは大学時代にインターンとして職場体験を積みますので、新卒者でもプロフェッショナルとしての技能を身に付けることができるのです。

賃金に対する考え方も日本と米国では異なります。米国には日本のようなベースアップという考え方はありませんが、平均的に2~4%ほどのインフレ状態にありますので、物価上昇に伴う賃金改定が毎年行われます。賃金改定の時期になると、各企業は調査会社に依頼して周辺企業の平均的な賃金上昇率を調べてもらい、そのデータを基に賃金改定を行うのです。米国の場合は、「会社の業績が悪いので賃金改定はなし」という理屈は通用しません。もしそのようなことを行えば、社員はすぐに会社を辞めて、業績の良い別の企業に移ってしまいます。

さらに、日本ではあまりなじみがありませんが、レイオフ(layoff)というしくみがあります。これは、再雇用を前提とした一時的な解雇です。企業が業績悪化時に一時的な人員削減を行い、その後業績が回復した際には、削減の対象となった方々を優先して再雇用するというものです。米国ではさらに先任権という考え方が重視されているため、レイオフは勤続年数の短い労働者から順に対象となり、再雇用は勤続年数の長い労働者が優先されるしくみになっています。

私が米国に赴任した目的は、赤字に陥っていた会社の経営を立て直すことにありましたので、結果として大規模なレイオフを行わざるを得ませんでした。しかし、そもそもレイオフなど行ったことがありませんので、どのように進めて良いのか分かりません。そこで、分からないことは経験者に相談するのが1番と考え、5人の副社長を集めて「皆さんはこれまでにレイオフを行ったことがありますか?」と尋ねてみましたところ、5人全員の手が上がりました。5人の副社長全員がレイオフを行った経験を持っているのですから心強い限りです。次に、「大変失礼な質問ですが、皆さんはこれまでにレイオフをされたことがありますか?」と尋ねてみました。すると、またしても5人全員の手が上がったのです。私はそのときに、何十年もの会社生活でつくり上げてきた自分自身の常識とはまったく異なる世界があるということを身に染みて感じました。日本の経営者の中には、「米国では仕事の評価が低い社員を簡単にレイオフできる」と考えている方もいらっしゃいますが、米国は訴訟リスクの高い国ですので、そのようなことを行えばたちまち訴えられてしまいます。そもそも米国では、仕事の評価によってレイオフの対象者を選ぶことはできないのです。許されているのは、企業がある事業から手を引くと経営判断した場合に、その事業全体をなくしてしまうという方法であり、たとえその対象者の中に将来幹部にしたいと考えている優秀な社員がいたとしても、その人だけを特別扱いすることは許されないのです。会社を再建するために必要なことではありましたが、やはりレイオフを行うことは大変つらい判断でした。それでも実施すると決めた以上、後戻りはできません。そこで私は1つのルールを決め、全社員に対してレイオフの説明を行いました。そのルールとは、「重度の疾病により通院している人」「障がいのある人」「妊娠中の人」についてはレイオフの対象者から除外するというものです。なぜならこれらの人々は、会社を去った後に新しい仕事を見つけることが困難であると考えたからです。その代わりその他の社員に対しては、「皆さんは優秀な社員ですから、たとえこの会社を辞めたとしても別の仕事が必ず見つかります。ですから皆さんに対してはレイオフを行います」という趣旨の説明をしました。かなり飛躍した論理であったかもしれませんが、それでもきちんと説明を行ったことで、社員の皆さんは理解してくださいました。

このように、雇用に対する考え方は日本と米国でかなり異なります。しかし、これらは決して日本の常識がおかしいと言っているわけではありません。重要なことはどちらが正しいかということではなく、日本の常識がそのまま世界の常識として通用するとは限らないということを理解することにあるのです。

米国企業で顧慮すべきこと

米国人は尊厳(Dignity)というものをとても重視しています。例えば部下を人前で叱ると、その部下は自己の尊厳を傷つけられたと感じて会社を辞めてしまいます。ところが、その部下を自室に呼んで1対1で厳しく叱責するのであれば、特に問題はないのです。むしろ、よく言ってくれたと感謝されることがあるほどです。それほどに彼らは尊厳ということを大切に考えていますので、配慮を怠らないようにしなければなりません。

また、米国では社員が他の会社に転職することは珍しくありません。そこで、優秀な社員が社外に流出しないようにする「リテンション(retention)」が、企業にとって重要なテーマの1つになります。転社を希望する人は、その意志を上司に伝えるころにはすでに次の勤め先が決まっていることが多いため、その後の慰留は極めて困難です。そこで各企業は、一部の優秀な社員に対してリテンションボーナスを支給し、「あなたは会社にとって特別な存在である」ということを本人に伝えることで、優秀な人材が社外に目を向けないようにしています。日本人の感覚からすると差別のように見えるかもしれませんが、米国ではこのような対応を行わなければ、優秀な人材を会社につなぎ止めておくことが難しいのです。そもそも米国社会では、人種や性別、年齢など、先天的な要素によって差別をすることは厳しく禁じられていますが、本人の努力によって実現される後天的な要素、例えば業務遂行能力などに基づく特別扱いは容認されています。ですから米国人は、社会人になってからも自らの能力を磨くためにあらためて大学に通いますし、そのようにして獲得した能力に基づく特別扱いを問題視することはないのです。 

米国の会社員の内実

現地の会社に赴任した当初、上司である私に対する社員からの風当たりはかなり厳しいものがありました。あまりに理不尽な態度にストレスが溜まり、思わず感情的になってしまうこともありましたが、あらためて一人ひとりと話をしてみますと、彼らもまたストレスを抱えながら仕事をしていたことが分かりました。しかもそうしたストレスには、米国人特有のバックグラウンドが大きく影響していたのです。

米国人の場合、元をたどると海外からの移民である場合が多いため、真の故郷は米国ではなく遠い海外にある方が大勢います。また、頻繁に転職を繰り返すために職場が安住の地とはなり得ず、さらには半数以上の夫婦が離婚を経験しているため家庭に安らぎを求めることもままならないなど、心のよりどころを持つことができない不安定な状況にある方が少なくなかったのです。これでは、ストレスの捌け口を上司に求めたくなるのも無理はありません。私はこのときの体験を通じて、相手には自分とは異なるバックグラウンドがあるということを理解し、その上でお互いに新たな人間関係を築き上げていくことの重要性を強く感じました。

ホワイトカラーの生産性

米国で生活していると、効率に対する意識の高さに気づかされます。例えば交通量の多い交差点では道路の下にセンサーが埋められており、車の待ち状況を検知しながら信号機の制御を行っています。これにより、待機車のない道路の信号を赤のままにしておくなど交通状況に合わせた切り替えが可能になり、渋滞の解消や車の燃費向上などに役立てられています。また、戸籍や住民票はなく、SSN(Social Security Number:社会保障番号)によって情報を一元的に管理しています。SSNは税金や医療、年金などに加え、銀行の口座開設や運転免許証の発行など社会生活のさまざまな場面で活用され、効率のよい社会システムを実現しています。

日本生産性本部がまとめた2011年版「労働生産性の国際比較」によると、2010年における時間当たりの労働生産性は、米国が59ドルでOECD(経済協力開発機構)加盟34カ国中5位、フランスが57.7ドルで7位、ドイツが53ドルで8位と続く中、日本は39.4ドルの19位であり、先進7カ国中最下位でした。日本の工場は極限まで無駄が排除されており、その生産性は間違いなく世界一であると思うのですが、全体で比較するとこのような結果になるのです。では、なぜ日本の労働生産性がこれほど低いのかというと、日本は工場などの現場における生産性は極めて高いものの、いわゆるホワイトカラーの生産性が低いのです。例えば日本の企業では、上司が出席する会議の資料を部下が手分けしてつくることがあります。しかも内容について上司から何度も修正を指示されるため、その準備が夜遅くにまで及ぶことも珍しくありません。さらに極端な例では、上司は会議で周到に準備された資料の概要を棒読みし、詳細説明は同席させられた部下が行う場合もあります。このように、日本の場合は会議で議論を始めるまでに、多くの工数を費やしています。一方、米国での会議の進め方は日本と大きく異なります。まず、会議資料は事前に配布されますが、出席者がその資料を会議に持参することはありません。全員があらかじめ資料に目を通し、論点を整理した上で会議に臨むため、手元に資料は必要ないのです。このため、会議当日は資料の説明に時間を割くことはなく、直ちに議論に入ります。また、ほとんどの会議が音声会議システムを利用して行われるため、広大な国土の各拠点からメンバーを1カ所に集める必要もありません。音声のみの会議は非効率であるように思われるかもしれませんが、全員がお互いの発言を聞き漏らさぬよう真剣に議論に参画しますので、かえって会議の効率が高まります。このように、会議の進め方1つをとっても、日本と米国ではホワイトカラーの生産性に大きな差があるのです。

情報源を広げる

私は富士通の役員時代、自室にテレビを入れて常にCNN(Cable News Network)を流しておくようにしました。これはトヨタ自動車から富士通に来られた天野監査役に教えていただいて始めたことですが、このようにしておくと世界中のニュースをリアルタイムで入手できるのです。ですが、やはり周囲はその声が気になりますので、音声は副音声の英語にしておきました。日本語ですと気になって仕事が手につかなくなる方々も、英語にしておけばBGMくらいにしか気にならないようでした。この英語が気になって仕方がないようであれば大したものですが、幸いというべきか、周囲の迷惑にはならずに済んでいたようです。

すべての職場にテレビを入れるわけにはいかないでしょうが、できれば皆さんも日本のメディアからの情報だけではなく、新聞であればWSJ(The Wall Street Journal)やFT(The Financial Times)、雑誌でしたらBusinessWeekを講読するなど、情報源を広げて世界の情報を入手することをお勧めします。 

グローバル人材とは

私は、グローバル人材にとって重要なことは、「人間としてお互いの尊厳を大切にすること」「お互いが生きてきた歴史や文化の違いを善悪の判断なしに理解すること」そして、「自分の言いたいことをはっきり主張し、相手の言い分もしっかりと聞くこと」の3つであると考えています。しかしこれらは、海外ビジネスを担当する方に限ったことではありません。「自分は国内ビジネス担当なのでグローバルなど関係ない」と考えている方がいらっしゃるかもしれませんが、今日では大企業のみならず中堅・中小に至るまでの多くのお客様がグローバルを視野に入れながらビジネスを進めていますので、純粋な国内ビジネスというものはもはや存在しないと考えることが重要なのです。日本国内と海外とを分けて考えるのではなく、国境を超えて広く共存共栄するためのエコシステムとしてビジネスをとらえることが大切であり、それこそが「グローバルに活躍する」ということにほかならないと考えています。

いかがでしたでしょうか。少し駆け足で「グローバルに活躍する」というタイトルでお話ししてきましたが、ぜひこの中から富士通グループのグローバル化に向けて貢献される方々が多く出てくださるよう祈念しています。

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