216 リーダーシップが滅ぶ時代

経営の第一線を退いて以来、良く本を読むようになった。毎日、朝から晩まで十数件の会議や顧客訪問がある経営者は時間に追われてじっくり本を読む時間など殆どない。直ぐに眼精疲労が起きて目から出血する癖がある私は、長い時間の余裕がある飛行機の中でさえも本は読まないようにしていた。だから、一番本を読まなければならない第一線の経営者ほど、実は本が読めないと言うジレンマに陥ってしまう。その反省というわけで、今は、沢山の本を読んでいる。その中でも、今日、ご紹介する本ほど、大きなショックを覚えたものはなかった。

著者のバーバラ・ケラーマン女史は、永年、リーダーシップ教育に携わってきており、国際リーダーシップ協会の設立者でもあり、リーダーシップに関する多くの著作を書いている。2009年には、フォーブスが選ぶ「世界のビジネス思想家50人」に選ばれている。そして、今も、アメリカ政府のリーダーシッププロジェクトのリーダーを務めている彼女が、現代は「リーダーシップが滅ぶ時代」で、救世主のようなリーダーが登場することを期待すること自体が無理なのだと説く。従って、巨大な産業となった「リーダーシップ教育ビジネス」こそ、まさに欺瞞の塊なのだとまで断言する。

確かに新聞を読めば、いつの時代でも、「今の総理大臣はリーダーシップが足りない」とよく書かれているし、どんな会社でも「今の社長には、もっとリーダーシップを発揮してもらいたい」とか言う社員がいつも沢山いる。「それでは、誰が総理大臣になればリーダーシップを発揮できるのだ?」、あるいは「誰が社長としての卓越したリーダーシップを持っている?」と聞かれても、明確な答えを持っているわけでもない。要は、皆、永久に現れることのない救世主を待ち望んでいる。そうした卓越したリーダーが、困っている自分たちを救ってくれるという期待が、不満の裏返しにあるからだ。

この本の著者、バーバラは、そんな期待を持つこと自体が、もはや現代では無意味であるという。現代の政界、経済界、教育界のどこにも卓越したリーダーは存在しないし、これからも出現しない。そんな救世主の出現を期待することが所詮無理であると言う。つまり、現代はリーダーが世の中を、あるいは会社を、大学を卓越したリーダーシップで自分が思うべき方向へ、導いていくことが出来ないのだと言う。どうして、そんな時代になったのか? バーバラは、以下の2つの理由を挙げる。つまり、指揮、命令するリーダーと、それを実行するフォロワーとの関係が大きく変化したのだという。

一つは、社会全般の高学歴化に伴い、リーダーとフォロワーの資質に大きな差がなくなったことである。大体、従来から、リーダーシップ論やリーダーシップ教育の中で、フォロワーの議論がなされたことは一度もないとバーバラは指摘する。そう、ここで、私は、先日行われた日中関係のシンポジウムの議論を思い出した。江沢民、胡錦濤に続いて、総書記の地位に就いた習近平氏も、毛沢東や鄧小平のように革命世代のカリスマ的リーダーシップは発揮できないというのである。それは、中国の指導者のリーダーシップが低下したのではなくて中国の国民の民度が上がった結果としてフォロワーとしての力が強大になったからだ。一党独裁の中国と言えども、民衆の動向を無視して大きな政治決断をすることが出来なくなったというのである。

もう一つ、現代においてリーダーとフォロワーの関係を変えた大きな理由は、ITの進展によって情報格差がなくなったことだという。従来、リーダーがリーダーたり得た理由は、リーダーにはフォロワーが知りえない多くの情報が自然と集まった。多くの情報を持ったものは、少しの情報しか持っていないものより、優れた判断が出来るのは当たり前である。しかるに、毎日多忙な仕事に追われている中で、本を読む時間もないリーダー達は、インターネットであらゆる分野の情報を自由に獲得できるフォロワーより、むしろ持っている情報は少ないかもしれなくなった。特に大会社の社長ともなれば、官僚的な機構の中で、上申されてくる情報は巧みに選別され、現場の生の情報は綺麗ごとだけに濾過されてしまっているかも知れない。これでは、リーダーシップを発揮できるわけがない。なにしろリーダーが持っている情報の方がフォロワーに比べて余りにも少なすぎるのだから。

こうしたリーダーが、リーダーとしてリーダーシップを発揮できないでいる時代だからこそ、リーダーシップ教育が花盛りなのだと言う。そのリーダーシップ教育が、本質的な問題であるフォロワーの存在を全く無視しているから、その成果は全く上がっていないと批判する。多くのリーダーシップ教育の成果基準は、参加者の満足度で測られている。参加者が、払った授業料分の成果があったと満足すれば良いのだと言う。その参加者が、卓越したリーダーになれたかどうかは全く関係ない。総じてリーダーシップビジネスは自己満足的で厳格さのない産業として客観的評価のないまま拡大してきたとバーバラは厳しく批判する。

アメリカの連邦政府が信用できると言うアメリカ人は15%しかいないし、アメリカの実業界でCEOが信用できると言う従業員は7%しかいない。WSJにリーダーシップ教育に関して長く記事を書いてきたアラン・マリー氏はGEに関して次のような記事を書いた。「ジャック・ウエルチがGEのCEOを退いてから10年、彼はまだ経営の第一人者として絶大なる尊敬を集めている。かつて彼が率いたGEは、魔法のような力を失い、彼が官僚主義と闘って開発した経営手法は、それ自体が官僚的になり、彼が育てたジャック・ウエルチ学校の『卒業生』の多くは、それ以来失敗ばかりしている。だが、ジャック・ウエルチ氏と彼にまつわる経営神話はまだ生きており、色あせてはいない」

最後にバーバラはアメリカのリーダーシップ教育は全面的に見直す必要があり、そのためには、今のリーダーシップ教育を害している前提条件を取り除かなくてはならないと言う。その前提条件は次のようなものだ。

1)組織内の序列は既に消滅していても活動拠点にはリーダーは必要。

2)民間企業である限り一つの指標、すなわち財務業績が最優先課題。

3)リーダーシップは専門的な教育を必要としない職業

4)リーダーシップはどんな人にも教えることができる。しかも大量に、同時に教育可能。

5)リーダーシップは体系化、要約、一括化できる。

6)リーダーシップこそが重要でフォロワーシップは重要ではない。

7)支配と被支配との関係は、この10年間で殆ど変化していない。

古い秩序が廃れたことはわかっている。力と権力を持っている人々が、力強く立派な存在ではなく、持たざる人々と似たような存在になり、むしろ持たざる者から日常的に馬鹿にされ、無視され、疎まれ、力や権力を行使することが日々難しくなっている。『ヒトデはクモよりなぜ強い。21世紀はリーダーなき組織が勝つ』の著者、オリ・ブラフマンとロッド・ベックストロームが「体制、リーダーシップ、制度的組織の不在は、かつて弱点と言われてきたが、今や、主要な財産となっている」とまで言っている。

60-70年代に起きたような権力に対する激しい攻撃がアメリカだけでなく世界中のリーダーシップの中枢を脅威に陥れ、どんどん広がっていくと同時に、いつまでも続くのだという歴史的事実に、リーダーシップビジネスは、いつまでも無関心ではいられない。とバーバラは、この本の最後に結んでいる。自分の職業とこれまで生きてきた歴史を、これほどまでに徹底的に追求する彼女の勇気に敬意を表したい。

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