201  シリコンバレー最新事情 (その3)

リーマンショックで手痛い経験をしたアメリカは、金融立国という考え方を修正しつつある。オバマ大統領も、アメリカの製造業復活を目指し、5年間で工業製品の輸出を倍増させようとしている。従ってTPPの主眼は、日本で騒がれている農業産品ではなくて、間違いなく工業製品である。少しばかり農業産品を伸ばしたところで、大規模農法をとる米国では、雇用はさっぱり増えないからだ。むしろ、気候変動による干ばつや洪水により、農産品の輸出先は幾らでもあり、また望むだけの高い価格で売れるので、日本市場への輸出など全く気にもしていない。

Wall StreetからMain Streetへとの標語のもとで、アメリカの製造業復活の機運はあちこちで高まっている。もともと、生産高ベースで世界一の中国の製造業ばかり話題に上るが、付加価値ベースではアメリカは世界最大の製造業大国である。しかも、アメリカ人のDIY好みは半端ではなく、修理に高い工賃を取られるからと言う理由だけでは説明がつかないほどの凄さを持っている。私が、米国でPC販売をしていた経験から言えば、パソコンの修理に関しても60%もの顧客が部品要求だけをして自分で直してしまう。それはパソコンだけに留まらず、サーバーにまで及び、サーバーの販売においても顧客向けの保守マニュアルが必須で顧客が読んで理解できる部品交換の手順書が求められている。

つまり、もともとアメリカ人は「モノづくり」が好きなのだ。「ロングテール」や「フリー」と言うベストセラーを書いたクリス・アンダーソンが、自身の経験をもとに書いた「MAKERS」は世界的なベストセラーになり、アメリカだけでなく世界中に「メイカーブーム」を巻き起こした。三次元プリンタの出現により、設計が出来れば、あるいはフリーの設計図面が手に入れば、特別な製造スキルを持っていない人でも、プロ並みの製品を作り上げることが出来るようになった。まさに、21世紀の産業革命が起ころうとしている。クリスは実際に、自ら起業した製造会社を売上高数百億円規模の企業にまで成長させてしまった。

今回、訪問したサンノゼのダウンタウンにあるTechShopは個人会員向けの工作所である。アメリカではこうした場所をハッカースペースと言う。少し道に迷って遅れて到着した私たちを、TechShopのCEOであるMark Hatchは、玄関の前で待っていてくれた。ここは、月170ドルの会費で好きな時間だけ利用できる工作場である。入り口では、まずプラスティックや木材や金属などの材料を売っている。材料費だけは別額だ。その他、作業場所、工具、3次元プリンタを含む各種製造設備、CAD(Autodesk)はいくらでも使い放題である。この日も会員の方々が、皆、黙々と作業をしている。

Markは実に丁寧に私達を案内してくれて、いくらでも写真を撮って構わないというので、私は思わず、何十枚も撮りまくった。もう、既に、このTechShopで試作をして大成功した人が何人も出ている。Twitterの共同創業者であるジャック・ドーシーは自分でTechShopに通い、たった2週間でスマートホンに接続できるクレジットカード読取機の試作を作ってしまった。この製品を扱う彼の新会社、スクエアは時価総額30億ドルの会社にまで発展した。その他、ここで開発された未熟児を守る布製の保育器は体温保持に役立ち、途上国の数百万人もの命を救うことになるとMarkは誇らしげに語った。

そして、もちろん、ここでも主役は3次元プリンタである。世界的なCADソフトベンダーであるAutodeskは、このTechShopの会員には無償で使わせている。ここのAutodeskで開発された設計情報がシェアウエアとして世界中で利用されれば、Autodeskは他の追随を許さない世界標準になるだろう。今や、ビジネスはクリスが言うように「フリー」から始まる。そして、このTechShopでは、その3次元プリンタまでも自分で作ってしまう人がいる。そして、ここに通っている会員には、なんと幼い子供までいる。Markは、小さいころからモノづくりに興味を持つことは大変良いことだと語った。そして、自分が生きる意味を見失った14歳の少女が、この作業場に通うことで、新たな人生の生き方を見出した話もしてくれた。

このTechShopは、Autodeskだけでなく、多くの大企業や政府機関がサポートをしている。米国の軍事技術開発の総元締めであるDARPAも、その一つである。このような工作所で一般の素人が作る試作品に、ひょっとしたら、とんでもないモノが出来るかも知れないと考えているからだろうか? そして、さらに驚いたのは米国退役軍人省(Department of Veterans Affairs)までもが、このTechShopのサポーターとなっていることだった。私は、Markに尋ねてみた。「どうして、退役軍人省が、ここをサポートしているのですか?」と。

「イラクやアフガニスタンから米国に帰還した兵士は、心も体も傷ついています。戦場のトラウマから、何も手がつかない人が米国には沢山います。当然、新しい職場も見つかりません。そうした人たちを、この工作場で、自分が作りたいものを作り、傷ついた心を癒してもらうのです。」とMarkは語る。そう、ここは、モノづくりが好きな人たちを育てる場所であると同時に、心を癒し、新たな人生を見つけ出すきっかけを作る場所でもあるのだ。

そう言えば、サンフランシスコのスタートアップ アクセラレータの話を思い出した。彼らが、スタートアップを支援する条件の一つとして、「単なるアイデアだけでなく試作品を持っていること」というのがあった。彼らは、こういう場所で試作品を作るのだと思った。その話をMarkにすると、彼は「今や、アメリカのベンチャーキャピタルは、いかに優れたパワーポイントの資料を作っても、滅多に、お金を出しません。それよりも目に見えるモノ、触れるモノ、ちょっと動かして見せられる試作品さえあれば、お金を出す人は沢山います。」と語った。

今、アメリカは東海岸から西海岸へ知の大移動が起きている。もはやQuants(金融工学)からMAKERS(製造工学)へと世の流れは大きく変化している。バーチャル経済からリアル経済へ、BitからAtomへの変化だということなのだろうか。

 

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