私は、シリコンバレーに駐在中、サンタクララのオフィスからクパチーノのアパートへの帰途、237号線から85号線を経る道が大好きで、このルートをよく通ったものである。周囲の景色が、とても落ち着いていたからだ。世界の中ではダントツに治安のよいアメリカでさえも通勤路は最低5種類を用意し、毎日違う道をランダムに選べと言われている。その237号線と85号線が交差するMoffet Fieldに、NASAが所有する広大なキャンパスがある。遠くから見える巨大格納庫ハンガー・ワンは途轍もなく大きく、そのかまぼこ型の建物は異様ではあったが、なんだか心が和む景色を醸し出していた。ハンガー・ワンは1932年に海軍の巨大飛行船USS Maconを格納するために作られ、高さ60メートル、面積はフットボールコート10面分もある巨大な構造物である。
今回、そのNASA Research Parkを訪れたのは、Singularity UniversityとCarnegie Mellon Universityで話を聞くためである。未だ軍用地である、このキャンパスを入るには事前の許可願いと、入り口での身分証明書が必要であった。今や、あの巨大な格納庫ハンガー・ワンは骨格だけになったが、私たちの目に否応なく入ってくる。聞けば、このキャンパスには現在15の大学が入っている。Carnegie Mellonは東部ピッツパーグの名門大学でありながら、なぜ、このシリコンバレーに敢えて拠点を設けなければならなかったのか?
サンフランシスコ市街の目抜き通りには、同じく東部の名門大学であるペンシルバニア大学が誇る全米一のビジネススクール、ウォートン校が進出してきたことを知らせるために、沢山の校章旗が飾られている。なぜ、ウォートン校が、遠い西部のサンフランシスコにまで拠点を築かなければならなかったかである。誇り高いアメリカ東部のIvyリーグに属する名門大学までが、どうしてシリコンバレー、サンフランシスコベイエリアまで、出張ってこなくてはならないか?という疑問がわいてくる。つまり、シリコンバレー、ベイエリアは、リー・サンフランシスコ市長が叫ぶまでもなく、もはや世界のイノベーションの首都になったのかも知れない。
Singularity Univ.のSingularityとは「特異点」と言う意味である。つまり、コンピュータが遂に人間の能力を追い越す「特異点」がやってくるというわけである。その時期は2045年とも2030年とも言われている。人類が地球上に現れてから2008年までに得た全ての情報量と同じ量を、2011年までの3年間で人類は得たのだと言う。その膨大な情報量を、その後は11か月、3か月、10日と極端に速度を速めて、2013年の今日現在はたった10分で、その膨大な情報を得るのだと言う。つまり、指数関数的に増大する情報爆発が起きている。こうした状況の中で、私たちは、どういう形で研究を進めていけば良いかを、このSingularity Univ.は示してくれる。
この大学の学生は、6か月間で全ての履修を終える。しかも一方向性の教えるだけの授業はない。参加した仲間同士で、チームを組んで研究活動を行うという極めて特殊な大学である。研究分野は、ナノテクノロジー、バイオ&ニューロン、エネルギー&環境、AI&ロボティックス、コンピューター&ネットワークの5分野である。最近のSingularity Univの研究活動の一例として、Matternetの話をしてくれた。Matternetとはインターネットのような仕組みで物流網を構築することを言う。その主役は4枚の羽根を持った無人ヘリコプターである。NASAが開発した無人偵察機ドローンからヒントを得たものだと言う。
話としては分かるが、そんな物騒なものをアメリカの航空局が許すのか?と聞いてみた。勿論、直ぐに許すはずがない。そこで、彼らは考えた。地球上の70億人の人類の内、14億人が何の物流網の恩恵を受けずに暮らしている。それは、主としてアフリカ地域である。そこで、このMatternetを構築し、医薬品を、どこからもアクセス不能の地域で暮らす人々へと運ぶのだと言う。なるほど、新たなイノベーションは、人類を救うという大義があれば実験を許されると言うわけだ。それにしても、彼らは、これまでの情報工学という観念的な研究から、リアルで即物的な形へと研究活動の方向を変えている。もはや金融工学などという誰も理解できない虚構のイノベーションは終わったのだ。
次に訪れた、CMU(Carnegie Mellon Univ)では、まず研究室へ案内されて大いに驚いた。最近、大学の研究室を訪れると、大体、PCかWSが置いてあって、それを使ってシミュレーションをして研究活動をするのが一般的である。ところが、ここシリコンバレーのCMUの研究室は、全く違う景色なのだ。大型の3Dプリンタの脇には、数多くの工具が並んでいる。要は工作室である。まさにシミュレーションではなく、リアルな現物を作っている。私は、40年前、会社に就職したころ、毎日、仕事をしていた実験室を思い出した。そこで、半田ごてを使って毎日、自分が設計した試作品を自分で作っていた。まさに、今、アメリカの超一流大学が、再び「ものづくり」に復帰したのである。
今、シリコンバレーで起きているイノベーションの波は、これまでの私達の想定をはるかに超えている。いうなれば、Beyond the ICTである。ICTは、もはやコモデティになった。このICT自体に関わるテクノロジーは、もはや研究対象にはならない。むしろ、このICTが引き起こす新たな破壊的創造を、どのように見つけ出すかに焦点が移っている。ICTを生み出したシリコンバレーの地に、全米から、そして全世界からBeyond the ICTを目指して多くの研究者や開発者たちが、ぞくぞくと結集しつつある。そう、同じ地に、結集しなくてはならないのだ。Skypeで遠隔地から議論出来れば良いと言う話にはならない。なぜなら、彼らの研究対象は触ってみて初めて分かる「リアル」なものだからだ。
それでは、元からシリコンバレーに居る大学はどう考えているのだろうか? 私は、今回、幸運にも、富士通北米テクノロジーフォーラムにて、シリコンバレーを作った大学と言われているスタンフォード大学のJohn Hennessy学長の基調講演を聴くことが出来た。JohnはMIPSコンピュータの創立者としても知られる、ICTのコアテクノロジーを開発した大先駆者である。その基調講演で私が感銘を受けた言葉は、以下のとおりである。「スタンフォード大学は、100人の秀才より一人の異才を育てることを目指す。世の中を変えることが出来るのは天才しか居ないからだ。授業は講義ではなく質問で終始する。研究テーマは自主性を尊重し、強要はしない。そのかわり起業の道筋は丁寧に教える。」そして、Johnはさらに、大事なことを私達に教えてくれた。「2005年以降、シリコンバレーの主要な研究テーマは全てSocial & Mobileになった」と。