先週、1月20日から1週間、久しぶりにシリコンバレーを訪れた。半世紀ぶりにインフルエンザに罹ったり、B787のバッテリー故障によるサンノゼ便の休止など訪問直前に、いろいろ波乱はあったが、多くの成果を得て、昨日無事帰国した。現地スタッフの周到な準備と、丁寧な応対をして頂いた多くの方々にも心から、お礼を言いたい。
私がシリコンバレーに勤務した1998年から2000年までの3年間、このシリコンバレーは、ドットコムバブルに沸き立っていた。2000年後半から、バブル崩壊の兆しが出始めて、翌2001年9月11日の同時テロで、シリコンバレーは立ち直れないほどのダメージを受けた。テロに衝撃を受けたアメリカは、移民に対して寛容さを失い、新興国から米国留学していた優秀な学生は、卒業と同時に次々と母国へ帰国した。当時、シスコのチェンバースCEOが、「シリコンバレーは米国籍の学生だけでは競争力を維持できない」と嘆いていたことを思い出す。
そして、シリコンバレーに徹底的なダメージを与えたのはリーマンショックに端を発する金融恐慌で、ベンチャーキャピタルにお金が全く回らなくなった。僅かに、中国系の政府ファンドと繋がっているベンチャーキャピタルだけが、細々と活動を続けているという状況が、その後長く続くことになった。次第に、私のシリコンバレーへの興味は薄れて、ここ2-3年は、中国、インド、ブラジルなど、高成長を続ける新興国へ訪問することに関心が移っていった。
さて、一昨年くらいから、新興国の経済に暗雲が立ち込める中で、逆にシリコンバレーが勢いを増し、俄かに沸き立ってきた。現地駐在員からも、毎朝毎晩の通勤が渋滞で大変だという話も伝わってきた。米国の経済は、通勤時の車の渋滞で推し量ることが出来る。最先端のITを駆使しているはずの、シリコンバレーの人たちが渋滞の中、わざわざオフィスにまで長い時間をかけて車で通勤するなど時代遅れではないかと思ったりもした。それでも、シリコンバレーに何かが起きているに違いないと思い、やはり、この目で実際に見ないと気が済まなくなってきた。それが、今回の4年ぶりのシリコンバレーへの訪問である。
B787がバッテリー事故など起こさなければ、サンノゼ空港に直接着いたものを、わざわざ、サンフランシスコ空港に回らなければならなくなった。入国審査と税関検査を終えて出口で、現地スタッフに会うと同時に、見える景色の中にサンフランシスコ市長のメッセージ広告が真っ先に目に飛び込んできた。その広告塔には「リー市長は、世界のイノベーションの首都(Innovation Capital of the World)であるサンフランシスコへ来られた貴方を歓迎します」と書いてある。この意味は、翌日、サンフランシスコ市長室のスタッフを打ち合わせで、その真意がよく理解できた。
そういえば、3年間の駐在員生活中に、サンフランシスコ市庁舎を正面から写真を撮ったことはあるが市庁舎の中には入ったことがなかった。今回は、市長室のスタッフと会談するため、初めて中に入って驚いた。中の装飾は、ヨーロッパの歴史ある大聖堂という感じの豪華さであった。厳かで、広くて、綺麗で、そして、人が誰もいない。一般の観光客は中々入れない場所なので、ここに来るだけでも価値がある。広大なエントランスホールの長い階段を上って、ようやく市長室に着き、その奥の豪華な会議室でスタッフとの打ち合わせが始まった。
サンフランシスコ市も、世界の多くの市と同様、今流行の「スマートシティ」を目指しているが、その内容は他の都市とは全く違う。市の担当者から言えば、サンフランシスコ市は典型的な小都市だという認識にある。そして、「スマートシティ」開発のための特別な予算もない。とにかく、サンフランシスコ市は、世界の知恵を集めて、創造性による活力で、世界のイノベーションの首都を目指すというわけである。そのためには、お金など使わなくても、環境を整備し、文化を醸成すれば実現出来るのだと言う。
何だかキツネに騙されたような話だが、市庁舎を出て、埠頭に林立する倉庫を改造したスタートアップ アクセラレーターを訪れて、ようやく、その政策が理解できてきた。サンフランシスコ市は港の倉庫街の中の16か所の古い倉庫をリフォームし、イノベーション回廊として、こうしたアクセラレータに開放したのだ。さらにここに集まってきたスタートアップに対しては、社員給与の源泉徴収を利益が出ないうちは免除するという税制優遇策を導入した。最初に訪れたアクセラレータは、RocketSpace社で、飾り気のない元倉庫を空調と照明だけを施したシンプルな建物の中にある。その中の、仕切りのないスペースに並べたテーブルを、各スタートアップに貸している。家賃は、社員一人当たりで毎月700ドルだという。
この中には、150社のスタートアップと共に、Micorosoft, GM, Tmobile, SONY, NTTドコモなど、10数社のサポーター会社が共存していて、彼らは自社の社員を、この中で、スタートアップと一緒に働かせている。各社とも仕切りのないところで、働いているので、隣の会社が何をしていているか全て筒抜けである。こうしたオープンな環境で、お互いに自由に議論し、切磋琢磨して、自らが目指すゴールへ少しでも早く到達しようとする。そう、彼らは、それほどにユニークな事業を目指しており、似たようなことをしている会社は滅多にいないので隠す必要すらないのかもしれない。サポーター会社も、こうした彼らの活動を毎日眺めていて、誰に投資すれば一番良いか、品定めしているに違いない。
こうしてみると、スタートアップ アクセラレーターは、場所貸ししているだけのようにも見えるが、実は、事業が早く軌道に乗るよう、投資家との仲介を図るなどインキュベーターとしての活動もしている。しかし、アクセラレーター自身は自ら投資し株主となることはしない。資本的には、あくまで、中立性を保つという。さて、このアクセラレーターは、どのような基準で、ここの150社を選抜したのだろうかを尋ねてみて驚いた。それが、極めて厳しいのである。
まず、第一はしっかりしたテクノロジーを持っていること。テクノロジーを持たずに荒唐無稽な夢だけ持っていても、ここには入れない。第二は、目指す事業の試作品を持っていて、他人に見せられること。そんな試作品をどこで作るのか? それは後ほど、別な機会に説明する。第三は、少額でも良いが、このスタートアップに投資する第三者が居ることである。第四は、このスタートアップの製品を、心待ちにしているお客が存在していることである。
こうした極めて厳しい条件をクリアするスタートアップが、日本では何社あるだろうか? サンフランシスコ市内の16か所の内の一つのアクセラレーターだけで、この条件を満たすスタートアップが150社も居ると言うだけで驚きだ。それだけではない。ここに置いてもらえるのは、たった18か月。18か月たっても、事業が離陸する見通しが出来ない場合には、ここから出ていかなければならない。殆ど無給に近い社員たちが、私たち見学者を全く気にすることもなく、一心不乱に働いている。彼らは、無給だけでなく、無休でもあるに違いない。
この熱気、この勢いが、全世界でたった一か所。イノベーションに沸いているシリコンバレー、サンフランシスコ湾ベイエリアの活気なのだろう。そして、驚くことは、これだけでは済まなかった。