192 グローバル人材育成(その3)

グローバル人材というテーマについて語る時に、やはり「英語」の問題を軽く済ますわけにはいかない。英語に関して世界の趨勢はEnglishからGlobishへと移り実効性を重視したツールとしての重要性が増してきたが、やはり言葉は人間関係を取り持つ上では単なるツール以上の意味合いを持つ。

不幸にして、私は学生時代から英語が苦手だった。当然のことながら苦手なものは好きにはなれない。それでも意を決して、30代半ばで会社の英語研修に参加したのだが、途中で妻の体調が悪くなり、それもあっけなく挫折した。そして50歳を超えてから、いきなり海外駐在を命じられた。任務は米国と言うビジネスの世界では最も厳しい戦場で大赤字の会社の再建であった。私のTOEICの得点は600点にも満たないので、当然、社内の海外駐在任務に派遣する語学能力の基準など満たしていない。

「私は英語ができないんですけど」と言いたかったが、会社もそんなことは百も承知で、直ぐに、アメリカに赴任しろと言っている。とりあえず大学生と高校生と二人の息子は日本に置いて行くことに決めた。つまり単身赴任である。会社の再建に精力を尽くさなければならない時に家族の面倒など見ていられない。私自身だけでも、アメリカで生きていくだけで一杯一杯なのだから。

そうは言っても、会社は英語が不得意な私のために通訳を主務とする優秀な秘書役を用意してくれていた。東大経済学部を卒業後、テキサス州立大学でMBAを取得し、TOEICは満点の990点を獲得している英才である。しかし、私は、彼のような優秀な人材を私の通訳にしておくのは勿体ないと思い、会社で一番重要な任務である価格政策を決めるマーケティング部門のディレクターに転出させてしまった。もう一つの理由は、大規模なレイオフが避けられない会社の再建は社員一人一人の心に訴える仕事であり、通訳を通じて日本語で業務を行うのは無理だと思ったからである。私は、英語に関しては、もはや自ら退路を断ってしまった。

従って泥縄ではあるが、これからキチンとした英語を学ぼうと、私は秘書に優秀な英語の先生を見つけてくるように、お願いをした。秘書が私に胸をはって推薦してくれた英語の先生は、サンノゼ郊外の大邸宅に住む、元ESL(英語が母国語でないクラス:English Second Language)英語教師で、既にリタイアした老婦人だった。彼女は、中国系アメリカ人で、日本語は全く話せないが、日本からシリコンバレーに赴任してきた現地子会社の社長を、これまで何人も教育した経験があると言う。そう彼女が教えるのは、ビジネスの世界で堂々と話ができるためのExecutive Englsihだったのだ。

授業は、彼女の広い自宅にある独立した教室で、1:1で週1回3時間行われた。それでも宿題を沢山出されるので、週5-6時間は自宅で勉強しなくてはならない。それを3年間続けることになった。この英語の授業が3年で終わったのは、私がExecutive Englishをきちんと話せるようになったからではない。会社が黒字化して任務が終了し、日本へ帰任することになったからである。これは本当に残念だった。またもや、私の英語教育は中途半端に終わってしまったのだ。それでも、この3年間で私が得たものは非常に大きかった。

彼女は最初に授業は4科目あると言った。Reading(発音)、Writing(ビジネス文書)、文法、プレゼンテーションの4科目である。驚いたのは、「文法ってなんだ?」と言うこと。私達、日本人は英語が上手ではないが、こと英語の文法については、中学校から大学まで10年間も勉強しているのに、未だ勉強がいるのかと私が訝しく思ったとしても無理はない。そして、渡された教科書、Oxfordの文法書。考えてみれば、これは英語を母国語としていて幼い時から英語を話している人達に向けた英文法の本である。日本で見た文法の本とは全く違ったのだ。

何が違うかと言えば、丁寧語や謙譲語、相手に不快感を与えるのでやめた方が良いものの言いかたが書いてある。そして、一番びっくりしたのは発生確率である。例えば、Will beは95%の確立で起きることを言うが、Could beは5%の確率でしか起きない時に使うのだと言う。つまり、殆ど起きえないと思って言っているわけだ。実際に、職場で、アメリカ人の部下に、私が「こうなるんでしょ?」と尋ねた時に、彼は「Yes, it could be.」 と答えたことがあった。これは全然Yesではない。「ひょっとしたら、そうなるかも知れないが」と彼は言っているわけで、「殆どあり得ない」と言う意味だ。

そして、一番参ったのはプレゼンテーションである。予め決められたテーマについて、15分間のプレゼンテーションを行うのだが、彼女はそれをビデオで撮る。終わった後に、大型TVに映して、プレゼンテーションの内容、発音、話す姿勢までを懇切丁寧に批評する。ここでも、一番驚いた批評は、プレゼンを始める冒頭に発する「えー」は絶対に駄目だと指導されたことである。私たち日本人は、小さいころから、大人が演説するときに必ず「えー」と言うものだから、演説とは冒頭に「えー」を入れるものだと思っている。ところが、欧米で日本人のプレゼンテーションで一番不快に思うのが、この「えー」らしい。

何が不快かと言えば、「えー」は欧米人にとって人間の言葉ではない。動物の鳴き声にしか聞こえないというのである。未開社会の野蛮人が演説しているのを聴かされている不快感だという。それよりも、無音にするか、吃音の状態の方が、遥かに人間の演説らしいと言うのである。思わず「えー」と言ってしまった時には、彼女から大変厳しく叱られたので、私は、今、日本語の講演でも「えー」とは滅多に言わなくなった。

彼女から、習ったExecutive Englishは、まだまだ語るには尽きないが、この辺で留めたい。残念ながら、この授業をきちんと卒業することは出来なかったが、それでも、欧米の要人と話するときにも、この授業のお蔭で臆することがなくなった。自分は、下手は下手なりに、おかしな英語は話していない。失礼な英語も話していない。そういう自信がついたからだろう。ビジネスの世界で、海外のExecutiveと対等に渡り合うには、上手に英語が話せるだけでは不十分である。巷に言われているのとは異なり日本の受験英語にも意味がある。受験英語は馬鹿にしないで、最低限、それはきちんと習得しておく必要がある。その上で、グローバルに活躍するための英語力を身に着けるつもりなら、きちんとした形で本物の英語を習う方が良い。

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