190 グローバル人材育成 (その1)

私がいつも一緒に議論させて頂いている経団連産業政策部会は、日本を代表する26業種のTOP企業で構成されている。この日本の超一流企業の戦略担当役員の方々が、自社が抱える最大の課題として「グローバル人材育成」を挙げられる。私から見ると、既に、十分にグローバルな企業と思われるのに、未だ、そうしたテーマで悩んでいるというのは信じられない。もし、それが本当だとすれば、この「グローバル人材育成」というテーマは日本の殆どの企業が抱える重要課題なのであろう。

私は、自社のコンサルタントに、ぜひ、このテーマをアジェンダに加えるよう勧めている。一般的には、こうしたテーマは、外資系コンサルファームの方が向いているように思われるかも知れないが、私は、そうは思わない。なぜなら、外資系コンサルファームは既に、十分にグローバルな企業であり、そこで働く日本人社員は、まさに日本人離れしたグローバル人材ばかりで、こうしたテーマで悩んでいる日本の会社の事情など想像もつかないであろう。一方、我が社は、親会社も含めて、このテーマで悩んでいる典型的な会社でもある。クライアントの悩みも分からないでコンサルなど出来るわけがないので、まさに当社には、うってつけのテーマではないかと思うからだ。

私も、丁度、今月、このテーマで講演をさせて頂く。富士通グループの関係会社の経営側と労働組合側のTOPが参加する労使フォーラムでお話をする。もともと、この人材育成というテーマについては労使双方とも大変関心が高い。人材は企業にとって最大の資産であり、労組にとっても、企業が従業員をどのように教育し、活かしていくのかは、最も重要視しているテーマである。さらに、労使双方とも、もはや日本国内だけの活動で企業が存続し得ないことは、よく判っているので、この課題を、どのように解決していくのかは興味がある。これから、このテーマについて、私なりに、少し考えてみたことを何回かにわけて書いてみたい。

さて、グローバル化と国際化は全く違うと言われている。国際化とは、未だ「国境」の存在を意識しているからだ。一方、中国はグローバルを「全球」と訳しているが、この方が国際化よりも正確である。その意味で、グローバル化とは同質化とも言われている。これまで世界は長い間、北と南、即ち、先進国と途上国とに別れていて、それぞれの地域で生活の仕方や考え方が全く違っていたのが、これからはフラット化、同質化してくると言うわけである。つまり、途上国の人々がどんどん豊かになっていく一方で、先進国の人々は、どんどん貧しくなって、これまでのような豊かな生活は出来なくなっていく。そういう意識で、物事を考えていかないと、これからのグローバル対応は、何もかもうまくいかないと言うわけだ。

また、グローバル化を追求することはダイバーシティを求めることであり、このダイバーシティこそが経済や人々の活性化の源であるとも言われている。今は、息が詰まる閉塞感の中にいる日本が、かつて勢いがあり経済や国力が強まった、明治初期や太平洋戦争直後は、実は日本の歴史の中で、最もダイバーシティが高い時代であった。明治政府は、これまでの身分制度を壊し、多くの欧米人を教師として招請し、素直に世界から最新の文化を学び取った。一方、戦後の日本は、公職追放によってリーダーの世代交代を促し、私のような貧しい家庭の子供でも勉強さえすれば大学へ進学できた。政府の手厚い国立大学への支援もあり驚くほど月謝が安かったからだ。

高いダイバーシティは社会の活力を呼ぶ。中国系アメリカ人であるエイミー・チュアは、歴史的な考察から、このことを見事に証明した。彼女の著作「最強国の条件」では、ローマ帝国、モンゴル帝国、サラセン帝国、スペイン帝国、大英帝国など、グローバルに覇権を制した大帝国の歴史の中から、次のような法則を見出した。つまり、帝国の勃興は「寛容さ」によってなされ、帝国の滅亡は「不寛容さ」によって生じたというのである。

例えば、イスラムが支配したイベリア半島を取り戻したばかりのスペインは「寛容さ」で、半島に残ったイスラム教の人々から海洋学を学び、欧州中で迫害されていたユダヤ人を受け入れて、その莫大な金融資産を利用することが出来、その結果、世界の7つの海を支配するようになった。そこでスペインは「寛容さ」を失った。世界中にキリスト教を布教する傍ら、自国からユダヤ人とイスラム人を追放したのである。その結果、スペインの無敵艦隊は英国艦隊に敗れ、世界の海の支配を宗教的に寛容な大英帝国に譲ることになったと言うのである。

随分と、回りくどい話になったが、グローバルに活躍できる人材となるための必須な条件とは、まず第一番目の条件は「寛容さ」である。自分とは異なる文化の存在を認め、敬意をもって理解しようとする姿勢が、相手との距離を縮めて、世界中のいろいろな国の人々との円滑な会話を可能としていく。こうした異なる文化や考え方に寛容になれることが、組織のダイバーシティを高めていく。それは、よくよく突き詰めて考えてみると、別にグローバルなビジネスをしている会社だけの話ではない。今の日本の社会の閉塞感は、まさに、このダイバーシティの欠如である。

東証一部上場企業の役員の履歴を見てみると、「3ばっかり」ばかりである。「日本人ばっかり」、「男ばっかり」、「生え抜きばっかり」で構成されている。こうした低いダイバーシティで構成された役員会では、誰からも異なる意見が出てこない。会議は、いつも、どんな提案にも「そうだ。そうだ。」と意見が一致する。これを「同質性の罠」という。素人でも、子供でも、儲からなくなったビジネスを10年近く主力として続けていたら会社が潰れるのは当然なことだと理解できる。ところが「同質性の罠」は、そうした感性を麻痺させていく。「3ばっかり」で構成される役員達は、社員が頑張れば、いつか何とか挽回できると本気で考えているように見える。しかし、そんなことは出来るわけがないので、最終的には、結局、会社を潰すことになる。

日本の会社で「グローバル人材の育成」を最も求められている階層とは、毎日、ビジネスの最前線で世界市場に直面している一般社員や中間管理職ではなくて、経営の舵取りを行っている役員や経営者ではないかという話もある。つまり経営者、中間管理職、一般社員の3階層で同時並行的にグローバル人材教育を実施していかないと意味がないとも言われている。そうしないと、折角、育ちあがった一般社員や中間管理職層のグローバル人材が「3ばっかりの経営層」に潰されてしまう。つまり、このテーマこそ、経営者層が自らの問題として真剣に取り組まなければならない課題である。

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