184  環境アセスメントの功罪

先月から、内閣府が主宰する規制制度改革委員会のグリーンWGに参加している。昨年度の第三クールに続いて第四クールとなる、このWGでは、昨年度106項目の規制緩和という異例となる多数の答申した後の、詰めの議論を行っている。主要テーマは、再生可能エネルギー関連と廃棄物処理に関する規制の見直しである。元々、地球温暖化を阻止するためのCO2削減が主体であったが、福島第一原発事故の影響を受けて、太陽光、風力、地熱、小水力、バイオマス発電の他に、高効率の火力発電の建設まで踏み込んでいる。また、バイオマス発電では、当然、廃棄物処理との関連も含まれてくる。

CO2の排出量を減らし、かつ、将来の原発依存度も減らすと言う意味で、再生可能エネルギーの開発を阻むものなどあり得るのか?と思われる向きも多いと思うが、それが大ありなのだ。元々、再生可能エネルギーの利用が低い日本の状況を、原発主導を促進するために意図的に抑制したのではないか?とか言われているが、そう単純な話ではない。原発依存度を少しでも減らそうと言う国民的なコンセンサスがあるのにも関わらず、再生可能エネルギー計画は一向に進まないからだ。

太陽光発電だけが脚光を浴びているようだが、所詮太陽光発電は、その効率の悪さから再生可能エネルギーの主力には成りえない。それでも、日本政府には、日本製の太陽光発電パネル事業が発展してくれればという望みもあったかたと思うが、もはや中国勢の安値攻勢で事業として成り立つ見込みは全くなくなった。その災いの元である中国企業ですら倒産の憂き目にあっている。ドイツのエクセレントカンパニーであるシーメンスは、先日、太陽光発電事業からの撤退を表明し、同事業を売りに出した。

太陽光発電に代わって再生可能エネルギーの主力になるとして有望視されているのは、風力、地熱、バイオマス、ゴミ廃棄物発電等である。しかし、これらは、いずれも、その開発着手まで、最低でも3年、長引くと5年以上も環境アセスメントの時間を要してしまう。本来、環境を良くするための施設が環境問題で着手出来ないのだ。3年から5年先となると、その時の経済情勢や、政治情勢が全く読めないので、発電事業として果たして採算がとれるものかどうか想定がつかなくなる。従って、事業参入者はいつまでたっても現れないということになる。

もちろん、現状の規制も問題である。そもそも環境省の考え方は、人工建設物は自然を破壊するものと決めつけている。従って、環境アセスメントを始める前提条件として、複数の適地を示して、その中で、申請している場所が最適であることを示せと言っている。もう、「他を探しても、そこしかない」と言えと言っている。そして、そこが反対に会おうものなら第二、第三の候補地を予め示せとも言っている。しかし、例えば、風力発電業者に言わせると、それほど多くの適地があるのなら、それらの全てに風力発電機を設置したいという。確かに、何らかの人工建設物は自然に何らかの影響を与えるが、その再生可能エネルギーの以外の手段に頼った時に、さらに多くの自然破壊がなされるかどうかの比較の議論が必要だと思われる。チェルノブイリ原発事故近郊にある広大な立入禁止区域は、現在、自然があふれた動植物の天国になっているという。人類が、この地球に存在していること自体が、もはや自然破壊の一端となっていると考えるべきだろう。

そして風力発電は騒音問題が、地熱発電は硫化水素とヒ素の発生問題があり、小水力発電は水路を少し迂回させるかも知れない、バイオマスやゴミ焼却発電は、廃棄物運送トラックが出入りするかも知れないし、煙突から煙も多少は出るかも知れない。だから、近隣地域の人々からすれば、自分たちの近くには絶対に無い方が良いと言う論理にもなる。従って、極めて厳しい環境アセスメントを要求する。そして、出来れば、それが通らないことを願う。原発に比べて単位面積当たりの発電能力の低い、再生可能エネルギーの施設は、日本全国に原発の何百倍の面積の地域に住む住民が環境アセスメントに関わることになる。

私達、規制制度改革委員会のメンバーが霞が関の官僚達に無理強いをして、規制の緩和に漕ぎ着けたとしても、最終的に認可するのは地方の首長である。「環境問題に関心のある」首長ほど、霞が関が頑張って行った規制緩和を無視するだけでなく、むしろ、その規制の範囲を拡大解釈する。こうした状況で、日本の再生可能エネルギー利用拡大が進むわけがない。つまり、環境を守ろうという意識が、環境破壊を減らす施策を阻んでいる。地方分権こそが金科玉条のように言われているが、それぞれの地域エゴが国を滅ぼすことに繋がるかも知れないのだ。

福島の各家庭で除染した土の中間処分場が見つからないがゆえに、いつまでも各家庭の庭で保管せざるを得ないというのは最悪の事態である。いくら民主主義とは言え、不利益を被る人々への補償を伴う一定の強制力を持たないと、それこそ、皆が不幸になる。こんなことをしていたら、再生可能エネルギーが原子力発電の代替になる日は、いつまでたっても未来永劫、来ることはないのかも知れない。

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