179  ワーク・シフト

「ワーク・シフト」を書いた著者、リンダ・グラットン女史は、ロンドンビジネススクールの教授で、タイムズ紙、フィナンシャルタイムズ紙、エコノミスト誌が世界のTOP10に入ると絶賛するビジネス理論家である。同時に、妻であり、母でもあるリンダは、当時小学生だった二人の息子に「将来、君たちは何になりたいの?」と聞いた。

そして、リンダは自分自身にも問うたのだ。今(2010年)から15年後、2025年には世の中の職業、働き方はどうなっているだろうか?と。なぜなら、今(2010年)から15年前の1995年、インターネットが普及する前に、人々は今とは全く違う仕事の仕方をしていたからだ。パソコンや電子メールなど手元になく、ビジネスレターをタイピストに打たせて、せいぜいFAXで送るのが精一杯の手立てだった。

リンダが世界中の一流企業の戦略家達と共同で調査した結果では、今の小学校の生徒達が大人になるころの職業の内、その7割は、今現在、存在しない職業であろうという結論だった。だとしたら、今の子供達は、将来、何を目指したらよいのだろうか?また、そのために、どのような勉強をしたら、職業選択に役に立つのだろうか? と自問する。まず、リンダは、この本の中で、2025年に働く、5人(3形態)の未来像を描いて見せる。

最初は、「いつも時間に追われ続ける未来」で最先端ITを駆使してロンドンから世界中のビジネスを3分刻みでこなす超ビジネスエリートの姿を見せる。そして、この人は、この先、どのようなキャリアパスを歩むのだろうか? 時代は、常に変化する。しかも、今よりももっと加速して。超多忙な仕事を送る中で、このビジネスエリートは学ぶ時間を全く持たないために、使い捨てられて昇進の階段から脱落していくのである。

次に、ムンバイで暮らす外科医師であるが、これも最先端技術により、世界中の遠隔地の病院に入院する患者に、難度の高い手術を施す仕事をしている。その手腕は、世界から絶賛されるが、高級マンションに一人で暮らす彼は、手術の仲間や患者と話す機会もなく、家族も友達もなく、孤独に苛まれる。

三番目は、アメリカ、デトロイトに暮らす高校中退のアルバイト女性である。祖父や父親に比べて世代を経るごとに、街は荒んでいき、生活のレベルもどんどん落ちて行く。そうした繁栄から見放された世界で新たな貧困層が、どんどん拡大していく。勉強をしても、努力をしても、その街には、もはや働き口がないのだ。

リンダが指摘するまでもなく、2025年を待たないでも、もはや、今でも、人々の働き方は大きく変わっている。今、世界中で起きている困難な課題は、高学歴者の就職難である。人は、皆、親の世代より豊かな暮らしを夢見て努力する。特に、新興国、途上国の人々は、先進国以上に努力する。大学進学率が未だ低い時代は、大学を卒業すれば、社会のエリートとしての希少価値を認められ、一定の生活水準を得る暮らしが出来た。しかし、国が少しずつ豊かになり、高学歴者の比率がある一定比率以上に高まると、今度は、増加した高学歴者の数が社会の受容能力を超える。

北アフリカのジャスミン革命の本質も、高学歴者の就職難だと言われている。努力した成果が出なければ、人々の心は荒廃する。勤勉な東アジアでも、この悩みは深刻だ。韓国は、既に大学進学率が80%を超えている。だから、より高い学歴を目指して米国の大学院やビジネススクールへと大挙して押し寄せる。今や、米国の一流大学は韓国からの留学生で溢れているが、それが彼らにマイナスに働く。大学内に韓国人コミュニティーを容易に作れるのでアメリカでの人脈作りに失敗し米国内で仕事を見つけられずに帰国する。韓国に帰ったら米国留学帰りが溢れているので、またもや就職難ということになる。

高学歴者の就職難は中国でも起き始めている。過激な反日デモも、そのことと無縁ではないだろう。そして、もちろん日本でも例外ではない。日本の大学生の就職率が年々低くなっていることが大きな問題となっているが、これは明らかに景気動向に拠るものではない。そして、運よく就職に漕ぎ着けた大学卒の3割以上が3年以内に最初の会社を離職する。どこかに就職しなければと焦って、なんとか就職はしたものの、自分の理想とはかけ離れた職場であり、働き方だったのだろう。

一方、アメリカで大学新卒者の就職難という話は聞いたことがない。日本の就職率が80%を切ったと問題にされているのに、アメリカの新卒就職率は既に20%を切っている。そもそも、アメリカは大学新卒一斉採用という文化がない。そのかわり、新卒でないと差別されたり、不利だったりすることもない。要は、職業人としてプロフェッショナルであるか、どうかが問われている。極めてフェアーな世界である。それでも、アメリカの大学生も就職では悩んでいるし、苦労もしている。大学の高い月謝を支払うために借りたローンを仕事が見つからないために返せないので自己破産する若者が増えている。

今でさえ、こんな状況の中、将来は、どうなるのだろうか?と不安に苛まれる若者の気持ちは想像を絶するものがあるが、リンダは、むしろ、2025年には、企業と社員と言う関係が大きく変わると思った方が良いと言う。つまり、「良い会社に就職して安定した生活を得る」という考え方を早く捨てるべきだと言うのである。そのために、働き方の考え方、つまり3つのワーク・シフトを行うべきだと提言している。

その第一は、ゼネラリストからスペシャリストへのシフトだと言う。未来は、現在のようにゼネラリストが管理職として出世の階段を上っていくことはあり得ないからだ。つまり、企業が従来型の組織で構成されないので管理職と言う職種が存在しなくなる。そして、高い価値を持つ専門技能の3条件とは、「高い価値を生み出す」、「希少性がある」、「まねされにくい」であるという。それを身に着けるためには、あくまで「好きな仕事」を選び、「職人のように考え」、「子供のように遊ぶ」ことだという。

第二のシフトは、「孤独な競争」から「協力して起こすイノベーション」ということだ。ここで、大事なことは人的なネットワークである。一つは、「頼りになる同志」。次に「支えと安らぎの人間関係」。そして、三番目は「関心分野を共有できるビッグ・アイデア・クラウド」だと言う。こうした人間関係によって自己再生のコミュニティを築くべきとリンダは説く。

最後に第三のシフトは、「お金と消費によって得られる幸福感」から「情熱を傾けられる経験を味わう幸福感」へのシフトだという。未来は、働いて給料を受け取り、そのお金で消費して幸せを味わうという「古い約束事」が壊れていると言う。そこではバランスの取れた働き方を選ぶ勇気が必要だと言うのだ。

このリンダの本の冒頭の記述。「漫然と迎える未来」には孤独と貧困な人生が待ち受け、「主体的に築く未来」には自由で創造的な人生が待ち受ける。これは、これから新たな人生を出発する学生諸氏だけでなく、今年、高齢者の仲間入りをした私自身にも大きな意味のある言葉でもある。

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