174   シンギュラリティとは  (その1)

シンギュラリティを日本語に直訳すると「技術的特異点」となるが、敢えて訳さず、「シンギュラリティ」と言うのは、未来学の中で、ある時期以降から、その未来が人類の予測を超えるスピードで進歩すると言われているからだ。未来学者カーツァイルは、その時期をコンピューターが人間の知能を超えるであろう2045年と予測した。カーツァイルは、若いころ文字認識装置(OCR)を研究した人工知能学者でもあった。同じOCRの研究者だった私は、カーツァイルが提言した技術の進歩は指数関数的に加速するという収穫加速の法則には大いに賛同するものである。

そのカーツァイルは、今から4年前の2008年にシリコンバレーでシンギュラリティ・サミットを開催している。そして、Googleはシリコンバレーの北部サンフランシスコ湾に面したモフェットのNASAの施設の中に、夏だけ開催されるシンギュラリティ大学を創立した。シスコ本社近くのパトリックヘンリーのオフィスから、アップル本社があるクパチーノの自宅まで、3年間、毎日237号線を経由して通勤していた私にとって、その沿道際のモフェットにあった体育館のような大きな風洞が懐かしい。かつて、スペースシャトルの風洞実験を行っていた、その施設はコンピューターシミュレーションの進歩で不要となった。

先週21日、野中郁次郎先生が代表発起人を務める第一回トポス会議が六本木ヒルズのアカデミーホールで行われた。トポスとはギリシャ語で「場」を意味し、この会議は世界中の賢者を一同に同じ「場」に集めて、日本や世界の未来を議論するという趣旨で発足した。その第一回が、まさに「シンギュラリティ」、コンピューターは人間の知性を超えるかという議論であった。そして、その会議は、先日、コンピューターとの対戦に敗れた日本将棋連盟会長、米長邦雄永世棋聖の「われ敗れたり、されど」の特別講演から始まった。

米長先生によれば、現在の将棋界のTOPと、かつてTOPだった現在の米長先生との差は、100m競争で例えればTOPのウサイン・ボルトの世界記録が9秒58だとすると、ベストレコードが9秒7くらいの走者との関係に相当するのだと言う。つまり、実力は極めて近いけれども、戦えば殆ど負けるという関係なのだと言う。そして、実は、最近のコンピューター将棋はめきめき強くなったので、一流の現役プロと言えども、平均して10回に1回位しか勝てなくなった。それで、いずれ現役の一流の棋士がコンピューターと公式に戦う時期が来るのであれば、その前に現役を退いた自分が、まず最初に戦うべきだと覚悟されたのだ。

米長さんは、コンピューターと対戦する5か月前から、大好きなお酒も断って、ひたすらコンピューター向けの戦い方を研究されてきた。さて、コンピューター将棋の強さとは何なのだろうか? それは考える速さと、感情を持たないということなのだそうだ。米長さんは、中学生から高校生にかけて、盛んに詰将棋を研究された。一般に、詰将棋は最長600手まであるらしいのだが、答えは一通りしかない。米長さんは、中学生時代に200手くらいの詰将棋を2時間ほどで正解を出されて、まさに「神童」と言われたそうである。しかし、1秒間に2000万手を考えることが出来るコンピューターは、200手くらいの詰将棋なら1-2秒で簡単に解いてしまう。要は、コンピューターは答えが一つしかない問題は得意中の得意なのである。そして、コンピューターは感情を持たずに常に冷静で疲れを知らない。

米長さんは、相手が人間だと思っていつものように戦っていたら、コンピューターに勝つことは極めて難しいのでコンピューター向けの対戦方法を練ったのだと言う。つまり、コンピューターは、過去の高段者が戦った5万譜もの棋譜をベースに学習したロジックで戦ってくる。コンピューターに勝つには、その裏をかくしかない。米長さんは、一流のプロ棋士として強くなるには、時に目や耳から入る情報を一切遮断して「無」の中で考える時間を大事にするという習慣を身に着けないと成長しないのだという。膨大な過去の棋譜を瞬時に参照できるコンピューターに勝つには、むしろ全てを「無」にして戦うしかない。

実際に、米長さんは、最初の一手から、従来のプロであれば絶対に打たない所謂、悪手から始められて、コンピューターの思考を混乱させた。その作戦は、着々と成功され、休憩時間に入るまでは、互角と言うより、むしろ米長さんの方が有利に展開された。しかし、休憩時間の始めに、観戦する女性記者から心無い撮影をされて気分を害し、感情的に冷静さを失った。そして休憩後の最初の一手で間違ったのである。こうなるとコンピューターは強い。なぜなら将棋や碁には持ち時間の制限がある。持ち時間と言う意味で1秒間に2000万手を考えられるコンピューターの持ち時間は、ほぼ無限大である。例えば、1手10秒の持ち時間制限をしたら、どんなに強いプロ棋士を相手にしても、コンピューターは全戦全勝だというのである。一度、劣勢に立ったら、持ち時間制限で、もはや人間に勝機はないのだそうだ。

結局、米長さんは、コンピューターに敗れたわけだが、この戦いは、私たちに多くのことを教えてくれた。かつて、私は羽生さんから次のような話を聞いたことがある。「今のプロ棋士は、皆、パソコンを駆使して過去の棋譜を常に参照しながら研究を続けている。だから、常に新しい手を考えていかなければ勝ち続けることは難しい。自分は、過去に悪手と言われた中から新しい手を創ってきた。そのやり方は、相手の思考を一時的にせよ混乱させるので二重に効果がある。」コンピューターは、考える速度と、膨大なデータ(知識)を参照する速度では人間を圧倒する。しかし、蓄積された知識からは推定できない、新たな知恵を創造する力は、まだ当分の間持てないだろう。

そして、コンピューターは答えが一つしかない問題は得意中の得意である。あらゆる可能性を瞬時に検証し、即座に答えを見つけることが出来る。しかし、サンデル教授の授業「正義とは何か」から判るように、現代の世界が抱える多くの問題は、答えが全く存在しなかったり、あるいは、いくつもの答えがある問題が殆どである。こうなると、もはやコンピューターは全くお手上げに近い。こうした社会的な課題を解くための基本として、人種や国境を越えた人類の「共通善」を共有することが必要である。そして、もし、我々が、この「共通善」を放棄して物事を考えるのであれば、殆どの考え事はコンピューターで済むことになり、「人間の知恵」の存在意義が問われることになるだろう。

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