169 「Gゼロ」後の世界

この「「Gゼロ」後の世界」の著者イアン・ブレマーは、スタンフォード大学で博士号を取得後、フーバ研究所のフェローに25歳で就任した天才コンサルタントである。28歳で自らコンサルファーム、ユーラシア・グループを立ち上げた。米国の民主・共和両大統領候補、ロシアの元首相や、日本では安倍元総理など各国首脳のアドバイザーを務めた希代の英才である。

私は著書の中に流れる現実を直視した悲観論に殆ど全て同意できた。名前からするとロシア系であろうが、生まれながらの悲観論者であるドイツ人かと見間違うほどである。私は、長い間ドイツ人と一緒に仕事をして、ドイツ人の悲観主義から多くを学ぶことが出来た。ドイツは、この悲観主義をベースに先進国では最も安定した経済運営を行っている。それに引き替え、日本人の楽観主義には全く呆れるばかりである。経済運営も外交政策も、殆どが期待どおりにはいかないという前提で物事を進めるべきだろうに。

この本の原題は「Every Nation for itself」は、「どの国も自分の事で精一杯で、他の国ことなど考える余裕はない」と言う意味に私はとった。ブレマー氏が、この表題にした理由は、次の論拠による。ベルリンの壁崩壊後、唯一の超大国となったアメリカも、今や世界最大の債務国となり、世界の警察官としての役割を果たせなくなった。一方、世界最大の債権国となった中国も、アメリカの代わりに世界の警察官となる意志など全くないという。それは、中国政府の最大の脅威は、外ではなく内にあり、その国内の憂いを収めるには、雇用の安定、手厚い福祉政策が必要で、そのためには、軍備拡張よりも、まず国内の経済政策を最優先しなくてはならないからだという。

これまで、未曾有の経済成長を遂げてきた中国は、今、重大な転換点を迎えている。リーマンショック後に実施された4兆元(50兆円)の景気刺激策で見かけ上8%以上の経済成長を維持したが、その後遺症として生み出されたものは、地方政府と国営企業の莫大な借金と、それを貸し付けた国有銀行の巨額の不良債権だった。今回の欧州経済危機に端を発した中国の輸出減少による景気後退に対して、中国政府は決め手となる次の新たな政策を見いだせていない。

そんな中で、中国が海軍力を増強しているのは、必ずしも太平洋、インド洋らの海上覇権を狙っているからではないという。中国は、日本はもちろん、欧州、米国、南米、中東、アフリカにおいて最大の貿易相手国となった。まさに、中国の経済成長の牽引車は貿易立国による。そして、その中国の貿易を支えた世界中のシーレーンは、皮肉にもアメリカによって守られてきた。そのアメリカが世界の警察官の立場を降りてしまうと、中国の貿易を支えてきた安全な船の航行が担保されなくなるので、せめて独自でシーレーンを守ろうとしているのだという。もちろん、その行きがけの駄賃で、東シナ海と南シナ海で最大限、権益を拡大したいという軍部の目論見はある。しかし、そのために巨額の費用をかけて、今のアメリカ並みのハードパワーを維持するつもりは、中国には全くないと言うのである。

唯一の超大国であるアメリカが支配するG1の世界から、中国の台頭によるG2の世界になるという大方の予想とは違い、この本の著者であるブレマー氏は、アメリカも中国のどちらも世界を支配する力も余裕もないというのである。つまり、これからはGゼロの時代が到来する。いや、もう既に到来しているのかも知れない。このGゼロの時代になると、リーダシップを取る国はいないわけだから、世界には紛争を解決するルールも、レフェリーもいなくなり、一切何も決められない無法地帯となる。

私も多少関わったコペンハーゲンで開催された、COP15が良い例であった。本会議の半年前に同じコペンハーゲンで開かれた、世界の主要企業のTOP500人が参加した地球温暖化防止ビジネスサミットは大成功だった。私を招待して下さったヘデゴー環境大臣は、その場のヒロインであった。そのヘデゴー女史が、12月の本会議では途上国の不満から議長を降壇させられた。結局COP15は、その前の年に開かれたWTO会議と同様に惨憺たる失敗に終わった。今年、20年ぶりにブラジルで開かれた世界環境会議Rio+20は、CO2削減とは別な切り口で議論するので、きっと良い結果が得られるだろうと私は期待して参加したのだが、結局、大きな成果は何も得られなかった。

要は、今、現在、世界は誰も支配しない無法地帯である。シリアの惨状に対しても誰も何も出来ない。北朝鮮とイランの核武装を誰も止められない。そしてこのGゼロの世界は、この日本にまで大きな影響を及ぼしてくるとブレマー氏は指摘する。独自の強固な軍事力を持たずに、アメリカの傘の下で繫栄を謳歌してきた日本は、アメリカが、日本周辺の防衛線から引くことにより、突然、無防備な裸の状態に晒される可能性があるのだという。昨今、突然起きたかのように、日本が狼狽している、北方領土、竹島、尖閣諸島への周辺国からの介入は、このGゼロの時代を見据えた中での、各国の日本に対する牽制であるという。

各国は、アメリカがどう出るか?様子を見ている。今のところ、アメリカは日本の領土問題には全く関わらない姿勢を見せているので、日本はアメリカを頼りにすることは最早出来ない。つまり日本が独自の解決策を見出すしかない。当然、このGゼロという世界が無法状態にあるなかで国際司法裁判所も全く無力である。さりとて、メディアが煽るような強硬策をとれば、ハードパワーの衝突となり、あの太平洋戦争同様に多くの若き血が流されることになる。領土問題の解決には、絶対に妥協しないという決意の中で、お互いが血を流さないための冷静で深い知恵を出し合うことが必要となる。

そして日本は絶対に妥協をしてはならないという大きな理由は、韓国は竹島の次は、対馬を狙っており、中国は尖閣の次に沖縄を狙っているからだ。私が、韓国でデジタル教科書の見学に、あるモデル小学校へ行ったことがあった。その小学校で見学した歴史の授業では、高句麗は朝鮮民族の国だから、中国の東北地方の半分は、朝鮮民族の領土だという授業内容だった。よく聞いてみると、一方、中国では、高句麗の殆どは中国領なのだから、高句麗の残りである北朝鮮も中国の領土だと言う教育をしているので、対抗上、韓国としても高句麗問題を明確にしておかないと不味いのだという。領土問題と言うのは、双方の国から見たら、こうして不条理で冷静な論理を超えた議論がなされているので永久に解決策がない。

私は、一昨年までダボス会議に4年間参加し、昨年から、富士通の山本社長と交代した。その最後のダボス会議で感じた一番大きな変化は、世界全体のグローバリズムがアンチグロ―バリズムへと後退を見せていることであった。現在、ヨーロッパで起きている経済危機は、アメリカで起きたリーマンショックを含む金融危機とは全く性質を異にする。ECBが、いくら南欧各国の政府や銀行に資金を融通しても、何ら解決はしない。南欧各国には経常収支が赤字である限り、結局、財政収支を改善できる道はない。究極の解決策は、南欧各国がドイツに学び、生産性に見合った賃金にまで下げない限り、この問題は終息しない。つまり、南欧の人々は、賃金と社会保障のレベルを引き下げて、毎日の暮らしをアジアの人々と同じ生活水準まで引下げないと何事も解決しないということである。

当然、ヨーロッパの人々は、今更、そんなことは耐えられないから、保護主義への道を探る。つまり、賃金の低いアジアとの交易をやめてヨーロッパで閉じた経済圏を作って、もう一度、地産地消の経済に戻ろうという保護主義、アンチ・グローバリズムの台頭である。そうなるとGDPの50%近くを輸出に頼っているドイツは全く賛同できない。そこでドイツは、ユーロを捨てて、またマルクに戻るかも知れない。もっとも、ドイツでは、今でもタンスにしまってあったマルクが紙幣として正規に通用していて、最近はマルクで支払う人が増えていると言う。そうドイツは、いつでもマルクに戻れるのだ。第二次世界大戦前と同様、ヨーロッパでドイツは、またもや孤高である。

最後に、ブレマー氏がしている、いやな話は、このGゼロ時代の無法世界の秩序を取り戻すにはどうしたらよいか?ということである。戦後、ブレトン・ウッズ体制のもとでは、少なくとも非共産主義陣営として統一されたルールがあった。一体となって世界の経済運営が可能だったのは、そのルールがあったからだ。そして、アメリカと欧州をリーダーとした、そのルールが合意されたのは、ルールが出来る前の空白時代である第二次世界大戦でアメリカ以外の世界の全てが破壊されたからこそ出来たのだという。そんなことを言われても、我々は、もう二度とあんな戦争はコリゴリである。これから、世界は、皆で、もっと知恵を出さないと大変なことになる。日本も世界も「Every Nation for itself」では済まされないのだ。

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