2026年8月 のアーカイブ

508  安全保障領域へ進化するAI

2026年8月1日 土曜日

この数ヶ月間、月に三回ほどのペースでAIに関する講演を行なっている。現在、私がお話しする主題は「私たちはAIが進展する時代に自身の存在価値をどこに見出すか?」ということに焦点を絞っている。何しろ、今や「AIの知識量は神の存在に近い」中で、人間がAIと知識量で争って勝てる可能性は殆どない。これまで、一生懸命勉強して合格した一流大学に進学し、そこで高等教育を受けて学んだ豊富な知識を活かして高額の報酬を得ていくという成功パターンを、今後も踏襲することは極めて難しいだろう。こうしたことは、私がわざわざ面と向かって言わなくても、既に、多くの人が容易に想像できる景色である。

現在、私は講演の中で、こういう誰もが容易にできる予想を述べることをあえて避けている。それよりも、まさに今、アメリカの企業動向や労働市場で起きているいくつかの深刻な事実を数字で淡々と述べている。例えば、アメリカでは大学を卒業して間もない22歳から27歳までの若者の失業率が7%にまで高まっており、全米労働者全体の平均失業率3.5%の2倍にも上っている。この奇妙な現象を説明できる企業側の動向としてはアメリカの株式市場を牽引する主要7銘柄として挙げられているマグニフィセント・セブンである、アップル、マイクロソフト、アルファベット、アマゾン、メタ、エヌビデア、テスラの7社の従業員数が、2023年から3年間全く増えていないことを見れば容易に想像できる。

これら7社は、現在進行中であるアメリカ経済の繁栄を担っているデジタルテクノロジー企業である。この7社は、時価総額でS&P500社全体の38%を占め、利益では31%を占める巨大企業群であるが、従業員数では7社全体でおよそ230万人に過ぎず、S&P500社全体の従業員数2,810万人から見るとわずか8%である。つまり、マグニフィセント・セブンは巨額の利益を上げているにも関わらずアメリカの労働市場への貢献は、極めてわずかしかない。さらに、そのマグニフィセント・セブンの従業員総数が、コロナが収束して以降も全く増えていないということが何を示すのか? これら7社は、極めて苛烈な技術開発競争を勝ち抜くために優秀なAIエンジニアを毎年大量に採用していることは皆が知っている。それにも関わらず、従業員総数が全く増えていないということは、一般管理業務を担うホワイトカラーを信じられないほど多数解雇しているからに違いない。

従来、アメリカの若者を代表する「Z世代」も今や歳を重ねて、大学を目指す年代の若者は「α世代」と呼ばれている。この「α世代」は、こうした事情をよく知っていて、一般の大学を進学することよりも、手に職を得られる技術専門学校において、医療検査技術や塗装・溶接技術、電気配線技術などの専門技術を学ぶ方が良いと考えて応募数が激増している。その理由として、今をときめくNVIDEAのジェンスン・ファンCEOは、AIデータセンター建設ブームによって電気工などの熟練労働者の需要と賃金が上昇し、「新しいブルーカラー・ミリオネア」が生まれると予測している。明治維新の時に「学問のススメ」を書いた福沢諭吉翁は、学問をする際に一番大事なことは「役にたつ学問」を学べということを強調した。今後、AIが色々な分野で導入されていく中で、従来から高給で優遇されていた職業に大きな変化が現れることは、もはや誰でも理解している。そうだとすれば、現在、大学や大学院で学ばれている高等教育の科目にも、今後大きな変化が必要だろう。最近、「さすがだな!」と思ったのは、いくつかの大手金融機関が将来の幹部社員候補として高専卒業生の募集を始めたことだ。

さて、これまでの私のAIに関する講演では、「AIと雇用およびそれに関する教育科目と教育制度」について、お話をしてきたが、これから少し違う観点の話も追加してみようと思っている。それは、国家や国民の生活を守る安全保障に関するAIの役割である。その一つのきっかけは、今まさに大きな変化を遂げようとしている「ウクライナ戦争」かも知れない。2022年2月24日に始まったロシアの全面侵攻が始まって丸4年の歳月が経つ。これまで圧倒的にロシアの優勢が伝えられていた戦況が、最近大きく変化しつつある。これまでの戦争は核兵器を頂点として、ミサイル、戦車、戦闘機、航空母艦など保有する大型兵器の物量で優位が決まっていた。その論点から見れば、ウクライナが単独でロシアに勝つことは、あり得ないことだった。

しかし、今や、ウクライナは「AIドローン」を駆使して最前線のロシア軍を無人兵器で殲滅させるだけでなく、ロシア領土の奥深く2,000キロも離れた遠方地域までを含む広域の石油精製プラントを破壊し、ロシア全土にガソリンや軽油が全く足りないという恐慌状態を作り出している。また、同じく「AIドローン」で、ロシア最大の石油輸出拠点であるノヴォロシークス港から黒海経由で地中海に向かい世界各地へ石油を輸出するタンカーを次々と撃沈している。もはや、ウクライナの対ロシア戦争に向けての戦闘の中心は「AIドローン」になった。実は、ウクライナは、1991年12月に崩壊したソ連邦の一員の時からITや航空機、原発など最新技術を担うテクノロジー大国だった。あの忌まわしいチェルノブイリ原発事故も、無知なソ連当局から発信された、とんでもない実験命令によって引き起こされたものだ。

ソ連邦の崩壊と共に、ウクライナに居た航空産業のエンジニアのうち、アメリカのボーイング社に逃れた技術者は数千人にも及ぶと言われている。日本の著名な巨大企業が1兆円で買収したシリコンバレーに本社を持つ新興システム開発企業は、インド人が起業した会社であるが、実務を行うエンジニアの多くがウクライナ人で、主要な開発拠点はウクライナにある。ロシアのウクライナ侵攻のあと、キーウやリビウにいた7,200人もの駐ウクライナのエンジニアの一部はポーランドへ移住したが、今でもウクライナでリモートワークによって仕事をしている。つまり、ウクライナは、テクノロジー国家としてロシアには劣らない数の優秀なエンジニア集団を抱えているテクノロジー大国なのだ。こうしたエンジニア集団が、救国のために命をかけて開発を託した「AIドローン」が世界一のものになったとしても全く不思議ではない。

このウクライナが実際の戦争で威力を示した「AIドローン」の威力は、今後の戦争に対する考え方、あるいは防衛設備に対する思想を大きく変えるだろう。国を守る戦争は、命知らずな勇敢な兵士によってだけでなされるものではなくなる。また、一部の巨大企業だけが製造できる巨額の最先端兵器よりも、リモートから遠隔制御のサポートも交えた半自動も許容する安価な「AIドローン」の方が、大きな成果を挙げられることを多くの人々が理解してきた。また、これらの兵器は有人ではないため、操縦者も命懸けとはならず冷静な判断ができる。むしろ怖いのは、今後の戦争がゲームの延長線上で行われる気軽さで多くの命が奪われる可能性があることかも知れない。それでも、アメリカやロシアの他国への安易な侵攻を恐れたヨーロッパやアジアの多くの国々が、今後、防衛予算を増額し、「AIドローン」のような安価なAI兵器を次々と大量に増産していくことだろう。

もう一つの懸念は、AIがITシステムのセキュリティー確保に大きく関与してきたことである。かつて、アメリカは「イランを降参させるのに爆弾は要らない。サイバー攻撃だけでイラン全土の電力を無効にすることができる」と豪語してきた。しかし、今回のアメリカのイラン攻撃は大量のミサイルによる爆撃が主体なのは、致命的なサイバー攻撃が未だ無理だったからなのか? しかし、アンソロピック社が開発したセキュリティーAIエージェントである「クロード・ミュトス」の登場は、そうした高度な攻撃を可能とする。今後、金融ネットワークや電力システム、鉄道や航空機の自動操縦システムへのサイバー攻撃は、「AIドローン」以上に致命的な役割を果たすことになるだろう。もちろん、このAIエージェントは単に脆弱性を見つけるだけでなく、攻撃も防御もアシストする。そして、この「AIエージェント」の能力は、もはや、どんなに優れたエンジニアも叶わない。AIは、今後、労働市場に大きな影響を持つだけでなく、私たちの毎日の暮らしの安全性にまで深く関わってくる。

{追記}

さて、今回は、これでおしまいにしようと筆を休めていたら、7月17日から上海で開催されている世界AI大会で習近平総書記が開会の挨拶を行なった後に衝撃的な発表があった。この刺激的な発表で、昨年1月中国のDeep Seek AI社が発表した低価格の最先端生成AIモデル「Deep Seek」の登場で大きなショックを受けた米国株式市場は、またもや、AI関連株の暴落を引き起こした。この新製品は、中国のMoonshot AI社が開発したAIエージェント「Kimi-K3」である。このAIエージェントはプログラム作成能力で現在世界最高性能を誇るアンソロピック社製の「Claude Fable5」の能力を超えている。このAI世界大会で習近平総書記が述べたことは、「中国は、アジア、アフリカ、南米の各国のAI力を強化するべく協力を惜しまない」という力強い宣言だった。

今や、AI開発に対して巨額の投資を行っているのは米中2カ国が際立っている。しかも、アメリカにおける優秀なAI開発人材の40%が中国生まれの中国人だ。現在、アメリカはAI半導体において開発、製造、輸入のいずれでも中国に対して厳しい規制を行っている。それにも関わらず、中国のAI開発の進歩はアメリカに大きく劣っていることはない。かつて、アメリカでIT分野における開発要員の殆どがインド人だった。この結果、IBMも、マイクロソフトもアルファベット(グーグル)もアマゾンも、著名なIT企業のCEOは殆どがインド人となった。しかし、今や、AI業界のリーダシップは、インド人の代わりに中国人が大きな役割を果たしている。

しかも、アメリカだけでなく、中国本土においてもアメリカに対抗できる優秀なAI人材が次々と育っているように見える。さらに、中国は、AIを応用したドローン業界ではダントツの世界一であり、二足歩行の人型ロボットでも圧倒的な強さを誇っている。これから、さらに進化したAI時代を迎える21世紀は、中国が圧倒的な力で世界を支配する時代になるのだろうか? しかし、アメリカでは、例えば一般人のレベルでは、こうした中国の脅威をどこまで知っているのだろうか?