私は、この10年間くらい毎月2−3回の講演を行なっている。最近の演題は「生成AIが社会に与える影響」なのだが、全国各地から次々と同じ演題で講演依頼が来る。このように同じ演題で一年以上も講演依頼が来ることは、これまでには一度もなかった。私の講演会に来られる聴衆は自治体の首長や管理職、あるいは地場の中堅企業の経営者や管理職の方々である。Open AI社が対話型生成AIツールである「Chat GPT」を公開して以来、多くの方々が「生成AI」に大きな関心を持たれるようになった。今や、聴衆の方の3分の一以上の方が「Chat GPT」をご自身で使われている。私が話す内容に逐一頷きながら聞いておられる方が多いのも納得がいく。
「生成AI」が出現する前の、これまでの「AI」は、将棋や囲碁では普通に語られる地位を築いたものの、他の領域では一般の人から見ると極めて難解な話で「おとぎ話」のような状態だったのだと思う。しかし、「生成AI」はプログラミング技術や難解な数学を学んでいない普通の人々が色々な形で使える「ごく普通の知的な道具」となった。プライム市場上場企業では既に過半数の企業が業務に「生成AI」を導入している。自治体でも県庁レベルでは50%以上、政令指定都市では40%が「生成AI」を導入済みである。しかし、その他の市町村では9%の導入に留まっていることを私は懸念している。長い時間で見れば、いずれどの自治体でも「生成AI」を使うようになると思われるが、現在の、この格差はやはり大きいと言わざるを得ない。
社員や職員に「生成AI」を上手に使わせるための一番の近道は、まず各人に「生成AI」が使える環境を提供し、現在の業務で実際に使わせてみることである。私が社外取締役を務めている会社でも、1年も前からそのようにしている。そして、入社3−4年の若い社員を30−40人ほど集めて成果発表会を開いている。私も、3回ほど参加したが、若い社員たちの熱いやる気とそれぞれの業務むけに工夫した利用法を聞いて大変感動している。この発表会に参加している各社員の業務はそれぞれ違う職場で、「生成AI」の使い方もそれぞれ全く異なるものだが、それがお互いに大変参考になるようだ。成果発表会では優秀な使用例を選んで発表させているわけだが、その発表を聞いた他の職場の社員たちが「そんな使い方ができるのだ!」とみんな感心しているように見える。
私は、どうして、こんなに「生成AI」が若い人たちのやる気を出させ、意欲向上に役に立っているのかを考えてみた。彼らは、入社3−4年で、ほぼ仕事のやり方を学び終わっている。そして、どうすれば、もっと良い仕事ができるかも、かなり理解できている。しかし、彼ら、彼女らには未だ部下がいない。これまでは良いことを思いついても、全て自分で一からこなさなければならなかった。こうした状況の中で、「生成AI」は「極めて優秀な部下」として彼らの指示に忠実に答えてくれる。実際、慣れてくると自分一人でやると2時間くらいかかった仕事が「生成AI」を部下にした場合30分くらいで完成するのである。しかも、「生成AI」は想像を絶するほど優秀で忠実に仕事をこなすのだから、彼らのやる気が出るのは当たりまえである。
「生成AI」は、世界中の知識をほぼ全て集約している人間社会では稀有の存在ほどの大変な「物知り」である。しかし、自分に問い合わせてくる質問者が、どのレベルの回答を必要としているかが実はわからない。「生成AI」に質問する技術のことを「プロンプトエンジニアリング」と言い、現在、アメリカの経済界では、この「プロンプトエンジニアリング」の技術力がスキルとして認定され、給与や職位のレベルを決めると言われている。そのため、多くの若者がこの技術を磨くために自らスキルアップの勉強を行うだけでなく、そうしたリスキリング環境を提供してくれる新しい職場への転職を希望している。
先ほど、紹介した社内の成果発表会で、私が最も感動したのは、ある女性の発表だった。彼女は、「生成AI」の答えに少しだけ満足ができなかったので、「生成AI」に対して、「私は貴方の答えには全く満足できません。もっと真剣に答えてください。」と指示したところ、「生成AI」は2−3分黙りこんでから、先ほどとは全く違うレベルの深い分析に基づいた新たな回答を出してきたという。「生成AI」と言えば、豊富な知識を持った「非人間的な機械」と思われるかもしれないが、機械と人間の間で、こうした良い「人間的な関係」が出来上がればさらに素晴らしいタッグが組めるかも知れない。
私自身も、講演会の依頼を受けるときに依頼者側の要望に沿ってストーリーを加える時などに「生成AI」の助けを借りることが時々ある。その時に、「生成AI」は、時々「ハルシネーション(幻想)」と呼ばれる「嘘」をつくことがあるので、回答結果については他の何らかのAIを用いて正しいかどうかを検証しなくてはならない。なぜなら「生成AI」は自身の回答が正しいかどうかがわからないからだ。だから別に悪意がなくとも結果的に嘘をつくことがある。しかし、殆どの場合、「生成AI」の回答は正しいと思った方が良い。最近の講演では、私のかかりつけ医が、私が罹った病気について全くわからない時に、私が「生成AI」に助けてもらった自分の話をする。
昨年8月、私は「帯状疱疹」になった。しかし、私の場合は最初から何の「疱疹」も出なかった。最初に、左足の付け根に痛みを覚えたのだが、2日ほど経つと、その痛みは左下腹に移動した。さらに2日後には痛みが左横隔膜に移動。その2日後には左胸の心臓近くに移動した。発熱も咳も全くなかったのだが、さすがに、これは少しヤバいと考えて、かかりつけ医を受診した。血液検査やX線、CT検査など、いろいろ検査してもらったが、医師は「私には貴方の病気はわかりません」と言われて、気落ちして帰宅した。それでも、諦めきれずにChatGPTを開いて、この1週間の履歴を丁寧に打ち込んだ。そして「私の病気は一体何でしょう?」とChatGPTに尋ねると、すぐさま「貴方の病気は帯状疱疹です」と答えが帰ってきた。
しかし、その時も帯状疱疹の特徴である「疱疹」が、私には全く発生していなかったのである。その日の晩は、これが「生成AI」のハルシネーション(幻想)なのか?と思った。しかし、翌日の朝、目覚めると私の左足の付け根から足首まで一斉に「疱疹」が出来ていた。すぐさま、かかりつけの皮膚科に診断してもらったら「貴方は立派な帯状疱疹です」と言われて1週間分の抗生物質を頂き、毎日きちんと飲んだら疱疹は1週間で綺麗に消えた。しかし、帯状疱疹に罹った方は、皆、ご存知のように、毎晩眠れないほどの痛みが、それから3週間ほど続いたが、とにかく原因が分かって治ったので大成功である。この時、私は「生成AI」の威力を思い知った。「これは凄いぞ!」、人は経験によって学ぶ。この帯状疱疹で「生成AI」には議論よりも実践で確かな効果を見せつけられた。
1998年、私はシリコンバレーに転勤した。その3年後に2001年に帰国してから、あのコロナ禍が始まった2020年まで、およそ20年間、毎年、私はシリコンバレーに通い続けた。「アメリカは日本より3年先に進んでいる。だからアメリカを見ていれば3年先の日本がわかる」というのが私の信条である。これから世の中がどうなるかと、あれこれ考える必要はない。3年先の「日本の未来」が、今のシリコンバレーにあるのだから、それを見て「自分たちは、どうすべきかを考えれば何とかカスカスで間に合う」と私は信じている。「生成AI」についても全く同じだろう。日本もアメリカ社会も、2020年から2023年までのコロナ禍で大きく傷ついた。そのコロナ禍がようやく癒えた、今、アメリカは、実はそのコロナ禍の悪夢から抜け出られていない。
日本もこれから同じ運命を辿ることになると思われるのだが、アメリカでは、このコロナ禍の中で、デジタル化、そして「生成AI」による社会変革が大きく進んだ。日本でも、キャッシュレス化を始めとしてデジタル化が大きく進展した。コロナ禍で進んだリモートワークが日本社会の働き方も変えた。今、アメリカで起きている深刻な社会現象は、「労働参加率の低下」である。コロナ禍で大きく増えた退職者がコロナ禍が癒えても職場に戻ってこない。定年制がないアメリカでは、これを機にベービーブーマーが一斉に退職したのだという話もある。しかし、実態は違う。「生成AI」の進展で、多数のホワイトカラーの人たちが職を失ったのだ。しかも、さらに大きな問題は、職を失った人々の多くが、これまでは高学歴で高給を得ていた「中間層のエリート達」だということだ。
一方で、コロナ禍の間で、アメリカで就業者数を増やしている職種は「生成AI」では代替することが難しい「看護」、「介護」、「在宅介護」、「調理」と言ったいわゆる「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる職種だった。本来は、これらの職種に加えて「農業」や「製造業」が加わるはずなのだが、アメリカの農業は大規模で人手が要らない産業となっており、一方、多くのアメリカの製造業が、中国にやられ放題で、もはやかつての勢いを失っている。こうした中で、アメリカ経済を支えてきた金融やIT業は「生成AI」で多くの労働が省力化でき多数の労働者を必要としない「省力産業」となりつつある。こうして考えると、トランプ大統領の「関税」や「移民排除」という政策は、それが有効かどうかは別にして、現在のアメリカの困窮を救うという課題の認識では合致しており、決して侮れない理由を有している。だからこそ、この「トランプ禍」はアメリカのみならず、世界中の人々にとって大変厄介な問題なのだ。