2025年4月 のアーカイブ

492 今、「輝いている熊本」で働くこととは

2025年4月1日 火曜日

先月末、講演の依頼で久しぶりに熊本へ行ってきた。私が、最初に熊本に行ったのは、大学へ合格して最初の一人旅だった。質実剛健な熊本城と水が豊かな水前寺公園がとても印象に残っている。その後、仕事で何度も訪れたが、最後に行ったのは震災前だった。熊本空港に着いて、まず知らされたのは震源地に近い空港にある一部のビルが地震で破壊し、つい最近立て替えられた事だった。益城町では、2016年4月14日から4月16日までに立て続けに、震度7を2回、震度6強を2回、震度6弱を3回も経験した恐怖はどれほどのものだっただろうか。そんな熊本が、最近元気になった最大の要因は何と言っても世界で最も注目されている半導体製造企業である台湾のTSMCが熊本県菊陽町で操業を開始し、第二工場の建設を始めた事だろう。

空港に降り立ってから熊本市内まで向かう途中で、TSMCが過半を出資し、ソニーやデンソーの資本も受け入れた合弁会社JASM(Japan Advanced Semiconductor Manufacturing Company)の巨大な建物を見た。既に、第一期の製造棟と事務棟は完成し、現在、第二期の製造棟が建設中である。周囲は田圃に囲まれた田園地帯に実に巨大な建物が忽然と現れた。半導体製造工場の特性か、敷地一杯に建物が建設されていて、いわゆる空き地がなく、一見すると工場には見えない。データセンターか何か?に見える構造物だ。仕入れる原料も微量で、超微細加工をして出来る製品は重量あたりの付加価値が高いからだろうか。いわゆる製造業で必須となる資材を運ぶ物流関連の大きな設備が要らないからだろう。

JASMが進出を発表して以来、熊本県菊陽町は大きな興奮に包まれている。現在、JASMが操業を開始し熊本市から菊陽町へ向かう道路は朝夕の通勤渋滞で大変な混みようだ。JASMとの取引を目指して関連企業が次々と菊陽町周辺に土地買収を検討している。まさに、これから菊陽町は半導体関連の大きな産業集積地になるだろう。台湾から親子連れで熊本に移住する家族のためにインターナショナル校の建設も数多く検討されている。このため周辺の土地価格は高騰し、時給もかなり高くなっている。こうした菊陽町の好景気を見込んで熊本市から移転したラーメン屋さんが高い時給で店員さんを募集しても全く集まらないので開業出来ず、また熊本市内へ戻ったという話もある。

世界の先端半導体製造の大半を手中に収めたTSMCは、現在、台湾以外の海外製造拠点としてアメリカ、日本、ドイツの3カ国に展開している。さて、このJASMはなぜ熊本を選んだのだろうか? 実は、この菊陽町のJASMが第一工場で生産する殆ど全ての製品は同じ菊陽町で製造されているSONYのイメージセンサーに使われる周辺ロジック半導体としての役割である。TSMCが日本で熊本県菊陽町を最初の進出先に選んだのはSONYとの関係が一番深いのだ。

実は、TSMCとSONYの関係は古い。1968年、TSMCの創業者であるモリス・チャン(張)氏は米国のテキサス・インストルメント(TI)社の副社長時代にSONYの創業者である盛田氏と日本で会った。二人が会った目的はTIとSONYのジョイントベンチャー(合弁企業)を日本で設立する話を進めるためだった。当時のTIは既に大分県の日出に工場を持っていた。盛田氏はチャン氏に「半導体事業で一番大事な目標は歩留まり率で、TIは日本の歩留率を知って驚くだろう」と言った。この話が、チャン氏がTIを退社し、台湾で半導体事業を創業するきっかけとなった。チャン氏は、自身が働いているアメリカでは高い歩留率を実現できないと考えたからだ。日本人と台湾人は気質が似ており、台湾人なら日本人が実現できている高い歩留率を実現できると考えた。

しかし、TSMC社は創業者であるチャン氏の思い出話だけに拘っていたわけではない。実は、半導体製造業は「大量の水と高純度の水があって成り立つ産業」であり、1工場あたり25万トンの水を必要とする。これは67万人が消費する水の量に匹敵する。そして台湾は年間2,510ミリの降水量を有する水には大変恵まれた国であった。台湾の雨量の80%は台風に大きく依存していると言われている。しかし、2015年には台風が一度も上陸しないことがあった。近年の気候変動で台風の進路が大きく変わったためだ。2021年にも台風の到来は少なく、新竹・桃園地区にあるTSMCの工場が依存している宝山代二、石門ダムの貯水量は満水の15%以下になった。つまり、台湾でこれ以上半導体事業を拡大するためには水資源が足りない。日本への進出も、熊本の豊富な水が魅力だったからだ。

今回の私の熊本講演を企画して頂いた時事通信社熊本支局長の長谷川さんが見せてくれた阿蘇山の立体地図を見て私は大きな感慨を受けた。阿蘇カルデラは日本で2番目の大きさを誇る広大な火口原を持っていて、ここには年間3,000ミリ以上の豊富な降雨がある。このカルデラの周囲は標高が高い外輪山で囲まれているのだが、熊本市内に向けた方向に1箇所だけ開いている部分がある。こうした様子は立体模型だからこそ非常によく理解できる。紙に印刷された地図では直ぐにはわからなかっただろう。この外輪山が開いた場所から火口原に蓄えられた豊富な水が吐き出されるのだ。この水が流れているのが白川である。この白川は熊本市内まで流れて有明湾に注いでいる。

熊本空港は、この白川沿いにあり、そしてJASMが建てられた菊陽町は、その熊本空港に隣接していると言って良いほど近くにある。さすがに、半導体工場が、ここにあれば水の問題で苦しむことはない。何しろ熊本市の水道水は100%地下水で、政令市では全国唯一である。逆に、熊本市民の中には、熊本の水道水は浄水していないので、もし半導体工場で水質汚染が出たら大変なことになると心配している節もある。その点は、TSMCも十分留意するだろうから心配はないと私は思う。何しろ、TSMCは水を非常に大事にする会社であり、台湾でも97%のリサイクル率を誇る水処理を行っている。他のどの産業人よりも、綺麗な水の重要さを良く理解しているからだ。

私が勤めていた時代の富士通は国策としてのスパコンに2度も挑戦した。最初は、世界一に輝いた「京」である。この「京」の半導体は富士通の自社製だった。その当時は、最先端の半導体技術を用いて世界一の性能を出した。しかし、その10年後に開発した「富嶽」では、富士通は既に最先端の半導体事業からは手を引いていた。「富嶽」の開発は、回路設計は富士通で行ったが半導体チップの製造は、世界で最先端の微細半導体製造技術を有するTSMCに依頼した。TSMCは富士通からの要請に対して、二つ返事で引き受けてくれた。大変、ありがたいことに、まさにTSMCのおかげで「富嶽」は世界一の性能が取れたのだ。現在、AI半導体の分野で活躍しているエヌビディア(NVDA)も台湾のTSMCと韓国SKメモリに製造を頼っている。世界ビジネスは、多様な国々の相互協力によって成り立っている。

TSMCの創業者であるモリス・チャン氏が、なぜ米国のTI社を退社し、故郷の台湾で創業を決意したのか? SONYの盛田さんから、「日本の半導体の歩留率を見てご覧なさい」と言われて、彼は創業を決意した。半導体の開発においては、回路技術による設計も重要だが、最後は微細半導体を作り上げる製造技術が最も重要だと理解したからだ。この微細半導体工場が一番嫌うのはゴミだという。そして、ゴミを一番沢山排出するのが人間だというのである。従って、最先端の半導体製造工場では「人間」が居てはいけないのだ。殆ど、無人状態で操業しないと高い歩留率は得られない。しかし、一台数百億円もする微細な設備を確実に稼働させるためには、24時間途切れなく人間が微妙な調整を続けなくてはならない。

今、熊本で話題になっているのは、「台湾から家族を連れてやってきたTSMCの従業員は途方もなく高い給与をもらっているが、働く時間も長いモーレツな労働条件に耐えている」という事だ。そう言えば、私たちが、1970年代から1990年代まで、モーレツ社員と言われて働いた時代の日本が色々な分野で次々と世界を制していったことを思い出す。ゆったり楽に働いて稼げる時代や国。そんな幻想は存在しないのだから、それを追い求めても何も得られない。ゆったりと楽に、しかし貧しく質素な生活を送るか、それとも違う生活を求めるか、それぞれに、色々な選択があるのだろう。今後、熊本で生活をすると、それぞれが、お互いに違う世界が見られるだろう。