今年7月11日、日経平均株価は史上最高値の4万2,224円をつけた。この値は、岸田内閣によるNISAなど政府の個人投資支援措置によることも多少は関係しているのかもしれないが、基本的には世界の投資家に向けて日本企業の評価が少しずつ高まった成果だと私は確信していた。もちろん、この値上がりの要因の一つとして、日銀の金融緩和政策によるマイナス金利を利用した投機的な円キャリー取引が後押しした結果も含まれているだろうということは私も承知している。しかし、この史上最高値まで至る日々の更新過程は着実で手堅いプロセスだった。
しかし、7月31日の日銀の利上げ発表を受けて、8月2日金曜日には突然2,216円値下がりして3万5,909円にまで暴落した。こんなこともあるのだ!と思っていたら、週明けの8月5日、月曜日にはさらに4,451円安の3万1,458円まで暴落した。その翌日、3,217円高と久しぶりの大幅高で戻したが、それでも3万4,675円と、暫く4万円には届かない感じである。その後の上げ下げは、いつも通りで何だか妙なところで落ち着いた感じになった。私自身は、12年前に退職してから株の取引は一才していないので、今回の暴落も個人的な損得とは関係ないが、NISAを機に株式投資を始めた若い人たちには、とんだ冷や水となったに違いない。
2012年以降、複数の企業の社外取締役に就任し、非公開情報を得られる立場になったことも、株の取引をやめた理由の一つである。その年に、私が社外取締役になった時、NHKから午後9時のニュース番組で「社外取締役特集」に出演することを申し込まれて、それに応じたことがあった。その年から、多くの日本企業が社外取締役の導入を始め、それ以降、日本企業の経営方針が大きく変わっていく。従来の日本企業は、業績不振に関わる不都合なことは出来るだけ公表を控えてきた傾向があった。しかし、一定数以上の社外取締役の存在は、従来から利益を損なってきた事業から、むしろ積極的に撤退し、株主を納得させられる事業に集中するという経営方針に変えていった。この結果、多くの日本企業が不採算事業からの撤退し、より優良事業に集中することで業績を伸ばしていくことになる。
多くの経営者にとって、株価は、世の中から評価された、いわば自身の成績であると考えている。こうして、10年以上もの間、毎年少しずつ改善をし、史上最高レベルまで持ち上げていった大切な株価を短期的な投機サイトの振る舞いで大きく乱高下させられるのは、見ているだけでも堪らないことだ。この株価の乱高下の要因として、今回の日銀の植田総裁の利上げ発表のせいにする方も居るが、それは大きな間違いである。元来、1ドル162円という歴史的な円安にまで円の減価を許した、これまでの日銀の異常とも思える金融緩和政策にある。つまり、マイナス金利、巨額の国債購入、大量の株式購入という愚策を長く継続し過ぎたせいであろう。短期的な投機サイトは、必ず常識外の不条理な所業を突いてくる。
ただ、ここで私たちがよく解らないのは、日本企業の株価が上昇してきた理由のどこまでが経営者の努力の結果であり、一方、短期的な投機サイトの円安キャリー取引による実力以上の値上がりの結果なのかが、もう暫くしないと判明しないことだろうか。そして、私が気にしているのは、日本の株式市場の動向はアメリカの株式市場の動向と全く無縁ではないことだ。今、直近のアメリカの株式市場を見てみると、必ずしも長期上昇していく途上にいるとは思えない。アメリカの株式市場はマグニフィセント・セブンと呼ばれる、Apple, Amazon, Alphabet, Microsoft, Meta, NVIDEA, TESRAなど一部のデジタル企業だけが上昇して、他の企業は殆ど上昇していないと言われている。
さらに「投資の神様」と呼ばれるウォーレン・バフェット氏は、既に所有していたApple株の大半を売却して、今は次の投資に向けて現金のまま保有していると言われている。おそらく、もう少し、アメリカの株式市場が落ち着いてから再評価して投資を始めようとしているのかも知れない。今年、93歳になったバフェット氏は、「今は慌てる時ではない。もう少し長期的な視点で投資を見直す時期だ」と言っている。マグニフィセント・セブンが幾ら利益を得ても、その恩恵を受ける従業員は数が限られているので、アメリカ経済の主流である消費者経済への貢献も限定的である。やはり、アメリカ経済が発展するためにはトランプ氏が言うように多くの中間層を雇用する製造業を、さらに発展させるしかない。
しかし、アメリカの製造業は、むしろ、どんどん衰退しているようにも見える。私が、一番気になる企業はボーイングだ。今や世界中の航空会社は、次々と問題を起こしているアメリカのボーイングではなくて欧州のエアバスから購入しようと考えているのではないか。そして、ボーイングは航空機事業だけでなく、宇宙システムでも大きな懸念を持たれている。ボーイングが宇宙ステーションに送った宇宙飛行士がもはや地球に帰還できないのだ。今後、ボーイングはマスク氏が起業した「スペース・X」にもはや勝てないかも知れない。航空機や宇宙システムは、アメリカが他国の追随を許さず、絶対的王者を誇ってきた企業である。
かつて半導体製造企業として絶対的王者だったインテルも、今や巨額の赤字を出す企業となった。これまでAMDはインテルの王国だった86プロセッサでインテルを追いかけていたが、インテルの絶対的優位を持つ製造能力を凌駕することは出来なかった。そのAMDが、自ら半導体製造することを諦めて台湾のTSMCに製造委託するようになってから、インテルよりも高い能力を持った高性能プロセッサを販売できるようになった。そして、今を時めくAIプロセッサを独占的に販売するNVIDEAも韓国のSKが開発した高速メモリと台湾のTSMCによって製造されるAIプロセッサを組み合わせて、この分野では圧倒的な優位を誇り世界一の時価総額を有する企業にまでなったが、このNVIDEAですら純粋なアメリカ製造業とは言えない。
一方で、現在、日経平均を牽引する主要な日本企業は極めてニッチな分野で大きな世界シェアを有する戦略をとっている。これは戦後、大量生産分野で日本に価格、品質で遅れを取ったドイツが日本を凌駕するために取った対抗戦略である。しかし、世界の主要な製造業でダントツの一位となった日本が、その後、大量生産、高品質が要求される各分野で韓国や中国に抜かれて困窮する事態になった後、日本の製造業が選択した戦略はドイツが先鞭をつけたグローバル・ニッチ戦略だった。今や、半導体の製造や検査、組み立て装置という極めてニッチな分野で日本企業は圧倒的な強さを誇っている。
現在、東証株式市場で活躍している企業は、それぞれ大きな変革を行なっている。現在、一番利益が出ている商品は、決して昔から長く製造し続けているものではない。そして、多くの企業が、一般の人が、その会社名からは想像できない特殊な分野の製品の開発に注力している。今や、多くの日本の優良企業は、経営者も社員も、事業内容を大きく「変化する」ことを必須の目標として掲げている。このため、誰もが知っている一流企業の新社長が、もはや生え抜きから上り詰めた社員のゴールではなくなっている。大きく会社を変えるには、会社という枠組みを超えて多くの経験をされた方々の参画が必要だからだ。その結果、既に、外国人社長の就任も珍しくなくなった。
先月、40年ぶりに日経平均が4万円を超えたというのは、10年以上にも及ぶ、マイナス金利、円安といった日銀による異次元の金融緩和政策がもたらしたものでは決してない。だから、この異次元の金融緩和政策が次の段階に変化しても、日本企業の株価をさらに高い地位に上げることは、この10年間、各企業が地道に行なってきた企業文化の改革を続けることでさらに確かなものにできるはずだ。私がアメリカに着任した1998年は、1ドル144円という、とんでもない円安で、母親から借りたお金も車を買うだけで全てなくなってしまった。それにつけても、昨今の円安は160円をいうトンデモない円安だった。これほどの円安でなければ事業が成り立たないという企業は、どんどん潰れて市場から退場すれば良い。
物価も賃金も安く見せる過度な円安は、日本国民を奴隷化するための施作である。海外からの観光客は増えて日本全体にインバウンド景気を巻き起こすかも知れないが、日本の介護分野への就職を目指しているアジア各国からの人材は、円安による給与の低下で、もはや日本へ来ることを断念しつつある。日本企業の底力は、こうした過度の円安でなければ成り立たないほど弱いものではないはずだ。私は、今後の日本の株式市場の動向が実態ベースでの議論にいち早く立脚するように願ってやまない。