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480  「生成AI」は人手不足を救えるのか

2024年4月4日 木曜日

日本は、少子高齢化による生産年齢人口の減少で、リクルートワークス研究所の予測では、2040年には1,1 00万人の人手不足に陥ると言われている。少子化 による人口減少の動向は、アフリカのサハラ以南の地域を除いて世界中が陥っている「赤ちゃん不足」という深刻な病である。これまで欧米諸国は労働力不足の大部分を移民受け入れで補ってきた。しかし、今や、英国のブレグジットを引き起こした移民増加を懸念する動きはドイツやアメリカなど先進国全体で蔓延している。

日本は、現在、400万人近い外国人を受け入れているが、今後この人数を1,100万人にまで大幅に増やすのは極めて難しい。その理由の一つは、近年、日本が移民を目指すアジアの国々が揃って出生率が減っていることにある。そして、第二の理由は、こうしたアジア諸国の賃金が日本以上の上昇率となり、日本との賃金格差が減ってきていることにある。さらに、第三の理由は、使用する言葉の問題だ。今や、途上国の人々は誰でも英語を話すようになってきているが、受け入れ元の日本では相変わらず英語は難解な外国語であり続けている。

さらに、2040年まで待たなくても、今や、人手不足はどの企業にとっても極めて深刻な問題となっている。経営者にとって、現在、一番深刻な問題は離職問題だろう。今から25年前にアメリカで経営者になった私は、日本の経営者から「アメリカでは簡単に解雇できることがメリットだね」と言われて驚いた。当時、バブル崩壊後の日本は終身雇用制度で抱えた余剰労働力をどう減らすかが大きな経営課題だった。しかし、こうした考えは、とんでもない誤解である。欧米の経営者は日夜「キーマンの離職問題」に悩んでいた。早い人で半年、長い人でも3年経てば多くの従業員はより良い雇用条件を求めて転職する社会だからだ。

従って、欧米の経営者は、優秀な社員に「いかに長く勤めてもらえるか」という「リテンション・プラン」をいつも真剣に考えている。毎年、社員に対して提示する新しい賃金改定は、その企業の業績とは関係なく、その地域で起きている賃金上昇率に沿って行われるべきだとされている。つまり、賃金改定が平均賃金上昇率より低ければ、瞬く間に社員は居なくなってしまう。もう一つ、皆に平等な賃上げは必ずしも好まれるものではない。頑張った社員には厚く、成果がよく見られない社員には薄くするという差が出る制度にしないと、優秀な社員は長く残らない。

しかし、今、コロナ禍を過ぎて、ようやく訪れた好景気と、恐ろしいまでの人手不足が、日本の労働市場を一気に流動化させた。今の若者とって、転職はごく一般的な思考方法となった。アメリカでは46%の社員が常に転職を考えていると言われているが、日本でも殆ど同じ状況になったのではなかろうか。しかも、これだけ人手不足が深刻になると中途採用する企業側も高い賃金を提示するので、心を動かされる社員も多くなっている。しかし、転職後の様子を見ると、一度転職を決断した社員は、その後短期間に次々と会社を移っていく。転職した社員と、それを受け入れた企業側とのお互いの期待が必ずしもうまくいかないことも少なくないからなのか。

そういうことも踏まえて、私は、社員が転職をする場合は、無理に押し留めようとせず、気持ちよく送り出して、「また、戻ってきたくなったら、いつでも、いらっしゃい」と声をかけてあげて欲しいと何度も言ってきた。その結果、最近では30%くらいの転職者が、また元の古巣に戻ってくるようになったという話も聞く。しかも、「前より逞しくなって戻ってきた」というのだから素晴らしい。転職しようとする動機は、必ずしも「今の職場が嫌だから」、「上司の扱いが酷いから」というわけではない。

そして、今の若者は必ずしも給与水準だけに焦点を当てているわけではない。多くの若者は「会社は、自身のスキルアップに対して、何をしてくれるか?」ということを「固定化された仕組み」として提供すべきだと考えている。今の若者は、勤続年数によって年功序列制度で給与水準が上がるという従来の仕組みに魅了を感じない。つまり、給与はスキルに準じて上がるべきで、そのために常にスキルを上げる制度や仕組みの中で働きたいと考えている。しかし、スキルを上げるために他人よりガムシャラに働くことはしないし、3−5年かけてスキルを身につける職人的下積み生活も求めてはいない。

こうした若者の意を汲めなければ、社員は集まらないし、どんどん辞めていく。かつて、売り上げはどんどん増えているのに、売上金の回収がうまくいかずに黒字倒産する企業があったが、今や、社員が満足する給与や働き方が与えられずに社員がどんどん辞めていき、結果的に人手不足で倒産する企業が増えていくだろう。ということは、今後の基本的な経営方針は、より少ない人手でキチンとした仕事ができる仕組みを考えていかなければならない。しかし、そんな制度はあるのだろうか?それが、どうもありそうなのだ。

答えは、「生成AIの活用」である。これまでのAIは、画像を認識したり、音声を認識したりする「認識AI」だった。この「認識AI」をうまく使うには、デジタル技術や、ものづくり技術が必要で、誰でもすぐに目的のシステムが構築できるわけではなかったが、ChatGPTに代表される「生成AI」なら誰にでも使えそうである。何しろ、「生成AI」は知りたいことを聞けば何でも答えてくれるからだ。私は、常々、講演資料のストーリー作成や、その英訳に「生成AI」を使っている。「生成AI」を使っていると、新訳聖書、ヨハネによる福音の中にある「始めに言葉ありき、言葉は神と共にあり。言葉は神であった。」ということを思い浮かべる。つまり、これは「ただのAIソフトじゃあないな」と感じるのだ。

つい最近、若手の社員に自由に「生成AI」を使わせて、どんな成果が出たのかという発表会に出席させて頂いた。30人ほどがリアル会議に出席し発表を行い、50人ほどがオンラインで聴講する会議だったが非常に熱い議論が行われた。ここで私が一番驚いたのが、彼らは決してAIの専門家でもないし、殆どが理系エンジニアではない。広報、マーケッティング、広告、教育、資料翻訳など事務管理部門を含むあらゆる部門で「生成AI」に挑戦し、素晴らしい成果をあげている。もちろん、ソフト開発部門では「生成AI」を使ってプログラムの自動生成にも挑戦して大きな成果をあげている。

これらの殆どの報告で共通しているのは、「生成AI」は決して人間ができない素晴らしいことをやってのけているわけではない。殆どのケースが、「生成AI」を利用しなければ1時間掛かっていた仕事が10分で出来たという効率化である。つまり、利用者が「生成AI」に指示することによって、簡単には思いつかないアイデアを次々と打ち出してくれるというのである。人間は「生成AI」が大量に打ち出してくれたアイデアの中から優れた成果物を選択すれば良い。もちろん、アイデア出しをさせる場合に、「生成AI」が、どんな性格の持ち主になって欲しいのかという指示も綿密に行なっている。

こうした若い人たちが成果発表時に多少興奮気味に話しているのも私には良く理解できる。私も、「生成AI」を使っていて、そのように感じるからだ。「生成AI」という、この会話の相手は一体何者なのだろう。時に叱れば、キチンと正確にやり直すし、褒めれば喜んで次々と仕事をこなしていく。こんなに、よくできる部下は滅多に見つからないだろう。こうして「生成AI」を使いこなして成果を上げる社員は、もう部下なし管理職として昇格させても良いはずだ。

一方で、こうした「生成AI」のような新しい動向には、全く興味を持たず、従来の仕事のやり方をも変えようとはしない中間管理職は、今後、どのように処遇したら良いのだろうか。「人が足りない」という未曾有の危機を乗り越えるためには、高い給与を支払う価値のある少数の人々で仕事をこなしていくしかない。そのための人事制度や評価基準をどう変えていくのだろうか?

既に、英国では公立の初等中等教育制度において、英語、数学、理科の三科目を必須科目として他の科目は好きな科目を選べば良いというSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)中心の教育方針に変えている。もはや「生成AI」を使いこなすために必要な教育とは、大学で理系を学んだ生徒を増やせば良いという単純な話ではないのかも知れない。