今秋は、日本全国各地でクマに襲われた人が非常に増えている。「もっとクマを狩猟するべき」だとか、クマが住む森に餌となる「どんぐり」を実らせる「ブナやコナラをもっと植林すべき」だとか、色々な意見が出ているが、当のクマにとっては、今夏の熱帯化で山の森に餌がないという切実な問題だ。今夏の暑さは、いわゆる「気候変動」というよりも国連事務総長が言う「熱帯化」の方がよほど実態と整合しているように思われる。クマのメスは毎年1~2頭の子供を産むが、冬眠を前に餌が足りないと妊娠抑制が働き排卵しないのだという。クマにとって餌がないと言うのは、単にお腹が空いたと言うより種の存続に関する重要問題である。
さて、私たちが心配するべきことはクマの餌の問題だけなのだろうか? 当然、今夏の猛暑はヒトの食にも大きな問題が出るはずである。日本一美味しいお米が収穫できる新潟で今年は雨不足で一等米が殆ど収穫できないと言う。そして、今秋のトマトは収穫が例年の6割減で価格が2倍以上だという。気候変動が及ぼす、私たち人間の「食」に関する問題は、お米やトマトだけに限らず、あらゆる領域に影響を広げている。近年、三陸沖で秋刀魚が獲れないで困っている中で、これまでは西日本の暖かい海でしか獲れなかったブリが三陸沖や北海道で大漁だと言うのも海水温の上昇が影響している。
同じく海水温の上昇と台風の影響でサバの海上養殖を断念した日本水産は大手水族館の水循環システムで実績のある日立造船と共同で鳥取の境港にマサバの陸上養殖設備を作り上げた。私は、日立造船の研究者達とシリコンバレーを訪問した際に、アメリカでは魚の陸上養殖に熱い視線が注がれていることを初めて知った。海で行われている魚の養殖は水産業の色彩が強いのに対して、陸上養殖はカメラや各種測定機器を備えてデジタルで制御するシステムという点で、むしろ製造業に近い。もう、アメリカでは陸上で魚を養殖する時代に大きく傾きつつある。日本では少し事情が異なるが、世界全体では、魚は海の漁で獲る漁業に頼るより養殖魚の生産量の方が遥かに多いのだ。
さらに今年2023年7月20日、インドは米の全面輸出禁止を表明した。その理由は旱魃で米が凶作だったため、自国民を守るために輸出禁止としたためである。インドは世界の米輸出の40%を占める米輸出大国で昨年2022年は2220万トンもアフリカを中心に輸出していた。ウクライナ産の小麦と共に、インドの米禁輸はアフリカの人々に大きな影響を及ぼすだろう。低緯度のインドや南アジアでは、今後気候変動による飢餓の危機が忍び寄っている。今後は、ロシアやカナダなど高緯度地域が世界の食糧を担う主要な穀倉地帯になっていく。日本ですら、九州の米生産が減少し、北海道が日本の主力米生産地となってきた。そして、山形のサクランボ農家は、今や将来に向けて北海道に次世代の拠点を築きつつある。
そう考えると、私たち日本人は各地で住宅地に現れるクマ達が、人間に何を示唆しているかよく考えないとダメかも知れない。彼らは、今夏に世界を襲った熱帯化気候は、たまたま起きた気候変動ではなく、今後も継続し、むしろ過激になろうとしているのに「あなた方(人間)は私たちクマのせいだけにして良いのですか?」と警告しているのだ。食料自給率が38%しかない日本は、世界の穀倉地帯が深刻な不作に陥ろうとしている時に、何をしなければならないのかを真剣に考えるべきだろう。既に台風が来なくなり、深刻な水資源に苦しむ台湾が近くで豊かな水が得られる九州に代替工場を建設していることは明らかに気候変動に対するリスク回避策として懸命な政策である。半導体産業はシリコンだけでなく電気と水を大量に消費する。
コロナ禍が起きる前の2019年秋に私は毎年訪問していたシリコンバレーを訪れた。その目的は、サンフランシスコで開催される「Disrupt SF 2019」という冠を持ち、全世界から400社以上のスタートアップが集まるコンファレンスに参加するためだった。日本からもJETROの推薦で数社が参加していた会議である。シリコンバレーで「Disrupt」とは単に「破壊」という意味ではなく、「既存の概念をひっくり返して新たなビジネスを起こす」という意味を持っている。このフォーラムで私は、現在ChatGPTで有名となったOpen AIのアルトマンCEOの講演を初めて聞いた。多くの聴衆が「あなたの会社は、今後どうやって資金を稼ぐのか?」という質問をアルトマンに浴びせていたが、アルトマンは「先週、マイクロソフトから10億ドルを貰ったので、それを使い尽くすまで頑張る」と回答した。Open AIは、この頃から既にChatGPTの開発を始めていたが、当時は誰も知る由もなかった。
このフォーラムで私が一番関心を持ったのは、AIやIoTで飢餓を救う技術としての「Food Tech」だった。この「Food Tech」の基本的な考え方とは、地球温暖化を防ぐ「脱炭素」技術も確かに重要ではあるが、この地球を救うには、もはや「脱炭素施策」だけでは手遅れだというのである。だから、この「Food Tech」は既に温暖化した世界で、どのようにして食糧の確保に対して役に立つ先端技術を確立するかという目的だ。農業にAIを使って役に立つ「Agri Tech」とか、魚の養殖を支援する「Aqua Tech」とか、「人造肉の合成」技術など多くの分野での展示や講演が多く行われていた。彼らは、「Food Tech」は、人類にとって最も重要な技術開発だというのである。今、日本でクマが警告している、「人類社会における飢餓」を既にアメリカでは4年前のコロナ禍前に共通意識が形成されていた。
エネルギーベースでの食糧自給率38%の日本が、今後やるべきことは余りにも多い。石油や天然ガスなどのエネルギーの自給率も大きな課題だが、食べるものは全てに優先する。世界で見ると、オーストラリアの食料自給率が173%、カナダ168%、アメリカ124%、フランス111%、ドイツ84%、英国65%、イタリア63%とG7の中でもこれまで日本が食糧自給率で一番低い。これまで日本が頼りにしてきたブラジルでも、最近は、極端に雨が降らないままアマゾン川が干上がっている。このように大きく変化したアマゾン川流域はむしろ広域火災で危険な状況にある。世界が水不足で苦しんでいる中で、国土の80%を山岳地帯が占めて、周囲を海に囲まれた日本は世界でも最高レベルの降雨に恵まれて各地に豊かな水供給源を持っている。
その日本で、東京を離れて地方に行くと耕作放棄地がどんどん増えている。これまでの個人で営むやり方では農業が儲かるビジネスにはならないからだと言われてきた。しかし、世界は大きく変わっている。これまで日本のお米は世界的に高価で競争力がないと言われてきた。しかし、今、アメリカのマーケットではアメリカ産のお米に比べて日本産のお米は決して高くない。むしろ安い方だ。これは、日本産のお米が安くなったためではない。雨が降らないアメリカでの米生産コストが余りに高騰したためだ。
世界の穀倉地帯と言われているアメリカ中西部の農業用水はワイオミング州、オクラホマ州、テキサス州にまたがるオガララ帯水層から供給されてきた。日本国土の1.5倍となる総面積45万平方キロメートルというこの巨大な帯水層は何百万年もかけて雨水を蓄えてきた。しかし、アメリカの巨大な規模の農業は、この帯水層の水をあと20年で使い果たす。クマ達は「日本人よ!あなた方はいつまでも『日本の食糧調達は大丈夫だ』と思っているのか!」と警告しているのだと思った方が良い。