日本中の企業や組織が、コロナ禍時代の大きく進展したデジタル化時代へ沿うために、社員をリスキリングする動きが進んでいる。これまで日本のリスキリングは世界で最も遅れていると言われてきたが、それを聞いても私は特に違和感がない。やはり、その原因として「年功序列」と「終身雇用」という日本特有の人事制度が大きく関係しているからだ。戦後、大きく成長した日本企業は、バブル崩壊後になぜか、その自信を失ってしまった。つまり、従来の方針や戦略を「変える」ことを嫌うようになった。その結果、会社の幹部となる社員は入社以来長年にわたり、その企業文化の中で純粋培養で育ってきた生え抜き社員ばかりになった。
そうした日本の企業文化の中では社員を別な仕事に従事させるための「リスキリング」という概念が、そもそも存在しなかった。社員も、特に新たなスキルを勉強しようとする意欲もなく、ただただ無事に仕事を続けて年齢を重ねれば職位が上がり給料も上がる人事システムに慣れきってしまっていた。こうした企業文化が長年継続すれば会社が大きく成長することは期待できないはずだ。一方で、海外の企業では、新たなスキルやキャリアを習得しないと昇進することができない。やる気のある従業員は、こうしたリスキリングの機会が得られないと思ったら辞職して新たな会社で自分が望むキャリアを習得するのが常である。
そうは言っても「リスキリング」という施策は経営側にとっても従業員側にとっても極めて難しい。最初の1点目は「どういうスキルの教育を行うのか?」ということである。従業員側としては「自分が目指すキャリアに必要なスキルを学びたい」ということだろうが、経営側は「これから進むべき会社の戦略に適合したキャリアを学んで欲しい」と思うだろう。さて、経営者は、自身の会社が、今後、どういう方向に転換していくべきかをきちんと整理して決めているのだろうか?と思ってしまう。将来、会社が転換していくべき方向が経営側にも従業員側も理解していれば、リスキリングの施策と方法論は極めて有効に決めていくことができるだろうに。
自分自身の経験を振り返ってみると、富士通という会社は、私の在職40年間でも全く違う会社になるほど毎日変化の連続だった。むしろ、従業員にも「この会社は変わらないと滅びる」という脅迫概念があった。私も入社してから5年間は目的を実現するために論理回路設計技術を学び、部下にも教えてきた。しかし、その後、同じ目的を高速のマイクロプロセッサを使ってソフトウエアで実現する手法に転換した。チーム全員で必要なスキルを勉強して、皆で新しいやり方で開発を進めて目的を実現した。こうして、チーム全員がハードウエア技術者からソフトウエア技術者への大転換をやり遂げられたことは、単なる勉強だけでなく、学んだスキルを自分たちのやり方で実践できる環境が与えられていたことが非常に大きいと思う。
「リスキリング」の推進がうまくいっていない企業では、まず、会社がどう変わりたいと考えているのかを決めていかないといけない。その上で、仕事のやり方を変えるためには、どういったスキルが必要なのか?を精査しないといけない。その上で、経営者と従業員が一体となって、何をどう学んでいくか?を議論できれば、それだけでも大きな進歩があったと思うべきだろう。それを毎日続けていけば、その会社は近日中に必ず業態や仕事のやり方を大きく変えられる。例えば、デジタル化で仕事の効率をあげたいと思ったとして、最初にやるべきリスキリングは何か?について考えてみる。
私は「まずプログラミングを学んで下さい」と申し上げたい。私たちのチームがソフトウエア技術者になるために最初に学んだことはプログラムの「モジュール構造」だった。プログラムは必ず3つのモジュールに分解される。最初のモジュールが「データ入力」である。デジタル処理は「入力データ」がないとまるっきり動かない。次のモジュールが「処理」である。この「処理」とは計算する部分もあれば比較・マッチングする部分もあるかもしれない。そして最後のモジュールが「データ出力」である。全てのプログラムは、必ず、この3つのモジュールで出来ている。
例えば、「顔認証で入り口ゲートを開ける」という処理を考えてみよう。まず「データ入力」とはゲートを入ろうとする人の顔の画像データをカメラで入力することから始まる。その顔の画像データを予め登録してある人の顔画像と同じかどうか判断する「処理」にデータを移す。これが出来るためには、このゲートに入ることを許される人々の顔画像を予め撮影して登録しておかなければならない。この同定処理で同じ顔の人の画像が見つかった場合に「OK」というデータを出力し、ゲートを開ける指示を出す。こういう仕組みが頭の中に想定できれば、現在の業務を、どのようにデジタル化できるかという議論ができるようになる。そのためにも、簡単な例で良いからプログラミングの経験をすることは大変意義深い。
英国の教育省は公立小中学校での必須科目を英語、数学、科学の三科目に指定しており、そのほかの学問は自分の好きな科目を自由に選べるようにしている。その上で、小学校1年生からプログラミングの授業を受けさせている。中学生ではかつて日本にあった職業家庭科という授業で3次元CADを教えて自宅の設計をさせている。英国では米国以上に貧富の差が大きく公立の小中学校に通う子どもたちの半分以上が移民の子だ。この子達は、高等教育を受ける機会に恵まれていないが、初等中等教育でデジタル技術をしっかり学んでおけば、何らかの仕事に就くことができ食いっぱぐれがないという。
そういう意味で、長らく日本の生涯学習として定義されてきた「リカレント教育」は「リスキリング」とは全く別物である。沢山の本を読み、深い教養を身につけることは個人としては有意義かもしれないが、会社の実務には殆ど役に立たない。これから多くの日本人の従業員がデジタル時代に必要とされる「リスキリング」とはSTEM(科学・技術・エンジニアリング・数学)教育である。「私は数学や物理は苦手で」という方も、ここで悲観する必要は全くない。プログラミングというのは言語処理である。ただ、思考プロセスが理数的だというだけのことだ。英国のように幼少時代からSTEM志向の教育を受けることは意義深いが、年齢を経てからでは全くダメだということにはならない。まずは、やってみることが大事なことだ。
業務を「デジタル化」することで、効率が上がるということは今や誰でも知っていることだが、どの業務を、どのようにデジタル化するかということが極めて難しい。しかし、そんなに悩まなくても良い時代になってきた。それが「生成AI」の登場だ。何しろ、どんな業務でも、どんな仕事でも「生成AI」は有効に使える。従来、1時間から2時間かかっていた仕事が、「生成AI」を使えば、ほんの10分、20分でできてしまう。たまに、全くの間違った答えを出力することもあるが、そのようなことは滅多に生じない。専門家以上の知識を持ち、質問に答えてくる内容は殆どが正確無比である。今後、どの企業も、この「生成AI」を使わないという戦略は全くあり得ない。
もちろん、「生成AI」は、文章だけでなく画像やプログラムまで出力することができる。こうした「生成AI」をうまく使うためには、我々が作成する質問(プロンプト)が大変重要だと言われている。最近、アメリカでは、優秀なプロンプトエンジニアは年収数千万円で仕事を得ることができるのだという。さて、どうしたら、私たちは、優れたプロンプトを発することが出来るようになるのだろうか? 私の経験から言えば、数多く「生成AI」と会話し、実地で試していくしかない。それほど、心配しなくても「生成AI」は今後どんどん優秀になっていくので、ひょっとすると「プロンプトエンジニア」という職業もなくなるかも知れない。大事なことは、今の仕事のやり方をどう変えたいと思っているのか?今のやり方に、どういう疑問があるのか?という現状の業務に関する懐疑心である。
こうして考えていくと、リスキリングのやり方に悩むより、まず、今、どういうツールが世の中にあって、それをどう使いこなしていくのか? どう使いこなしたいと考えているのかを自問自答することから始めたら良いかも知れない。そして、実際に挑戦してみることだ。もはや、世の中に仕事に必要な道具は全て揃っている。