2020年9月 のアーカイブ

433 ポスト・コロナ時代に向けて (13)

2020年9月1日 火曜日

日頃、私は4つの病で定期検診を受けている。前立腺がん、甲状腺がん、睡眠時無呼吸症候群、高血圧の4つである。それぞれ、2ヶ月から、3ヶ月おきに検診を受けているので、ほぼ毎月、どこかで検診を受けている。特に、COVID-19禍が話題になりだした、本年3月以降は、今までに見られない状況が起きていた。とにかく、これまで賑わっていた病院の待合室に患者がいないのだ。どうしたのだろうか? 皆、院内感染を怖がって病院に来ないのだろう。多分、電話診療で処方箋だけもらっているのかも知れないと思ったが、今年4-6月の大手調剤薬局の四半期決算を見てみると大幅な減収となっており、多くの方々は電話診療さえ控えられていることがわかる。メディアは、盛んに「医療崩壊」の話題を出すが、むしろ「医業崩壊」が起きている。

日本は、世界の諸外国に比べたら感染者も死者も圧倒的に少ない。これは、日本の政策がうまくいっているというよりも日本国民が恐怖感で自主的に行動を抑制しているからに他ならない。この国民の恐怖感こそ政府に対する不信感の表れだとも言えるだろう。そして、この国民の極端な恐怖感が経済に反映されて大不況を招いている。政府が観光キャンペーンを行っても国民は全く冷めていて、さっぱり乗ってこない。逆に「賢明な国民vs愚かな政府」という構図こそが戦後の日本をここまで繁栄させてきたとも言える。

さて、世界一の超大国であるアメリカでは、なぜ、COVID-19の感染者数、死者数が世界一なのか全くの謎である。アメリカの人口は3.3億人で日本の3倍、国家予算は500兆円で日本の5倍、GDPは20兆ドルで日本の4倍と圧倒的な大国である。病院数こそ日本が世界一で9,000、アメリカが世界二位で5,000とやや少ないが、医師数でみると日本が31万人なのにアメリカが85万人と日本の病院数が、やや異常な数という感じもする。きっと小規模の病院が多いに違いない。もちろん医療分野の先端技術でアメリカは圧倒的な力を持っている。

それでは、アメリカの医療は、1975年から現在までの45年間で、どのように変化したのだろうか?まず、医療部門の就業者数でみると1975年の400万人が、現在では1,600万人と4倍に増えており、これはアメリカの全てのセクターで第一位である。そして、一人あたりの年間医療費では1975年が年間550ドルだったのに対して、現在では年間1万1000ドルにも達している。さらに、入院する際の1日の平均的な部屋代は1975年が100ドルだったのに対して、現在は4,600ドルもかかる。つまり1日入院すると治療代を除いて部屋代だけで約50万円かかるということである。

アメリカが、これだけの医療費をかけていながら、平均余命は1975年の71歳から現在は76歳までしか伸びていない。アメリカとほぼ同等の医療費をかけている他の国々の平均余命の伸びは、1975年の71歳から現在84歳まで伸びている。長寿の国である日本から見ると、アメリカ人は、どうして短命なのかと不思議に見えるかも知れない。しかし、センテナリアン(Centenarian)と言われる100歳以上の人口でみると、2019年の統計ではアメリカが世界一で10万人、日本が世界二位で7万人である。もちろん総人口が3倍違うので、一概に絶対数では比較できないが、問題は100歳以上方々の暮らし方である。日本では100歳以上の90%が寝たきりで、アメリカでは100歳以上の90%が働いているというから驚きだ。

もちろん金銭を受領していなくても何らかの仕事をしていれば立派に働いていると言えるのでアメリカ人は日本人より遙かに高齢まで元気だと言える。実際に、アメリカのゴルフ場で90歳を超えた同士で一緒にプレーされているのを何度も見かけている。彼らは、私たちに「自分たちはゆっくりプレーするので、どうぞお先に行ってください」と道を譲ってくれる。つまり、アメリカの富裕層や中間層は、皆、揃って長寿で元気なのだ。それは、お金さえあれば、アメリカでは世界一流の医療を受けられるからであろう。

アメリカの平均余命を押し下げているのは、まともな医療を受けられない貧困層が若くして寿命を終えているからである。もっと正確な表現を使えば、医療以前の問題、つまり病気以外の原因で10代、20代で多くの若者が亡くなっている。自殺、交通事故、殺人、薬害、アルコール中毒が、その主たる原因だ。白人、黒人を問わず、ラストベルト地帯や都会のスラムで、アメリカの平均余命を押し下げている人々が、今回のCOVID-19の犠牲者である。彼らには、アメリカの最先端医療は全く届かない。COVID-19禍で、世界最大の感染者数、死者数を出したアメリカは、その多くの要因を貧困、格差、差別という社会問題に内在している。

さて、アメリカはともかく日本の医療体制は、COVID-19のようなパンデミックに対して、どのような課題があるのだろうか? まず、一番大きな問題はPCR検査が、なかなか増えなかったことである。このことが国民の不信感と恐怖感の根源になった。つまり、COVID-19に感染しても、簡単には検査してもらえない。保険所でなかなか受け付けてもらえない間に、時間が経過して重症化して死んでしまうのではないかという不安と恐怖である。経済活動は人々の恐怖心によって大きく冷え込んでしまう。

確かに、保健所の仕事は大変である。皆さん、過労死寸前まで頑張っておられるが、精神力だけでは長期にわたって持続することはできない。そこで、保健所の数の推移をみてみると、1994年には日本に保健所は847カ所もあった。それが、今年、2020年には約半分の469カ所に半減されている。また、病床も日本全国で1990年には153万床あったものが、2015年には133万床と20万床も減っており、その後5年間経って、2020年には、さらに減少しているものと思われる。日本は、今から100年前の1918-1919年にかけて大流行したスペイン風邪というパンデミックを経験したが、その後、幸いにもSARSやMARSの流行は逃れることが出来た。

しかし、この100年間を平和に過ごしたことが、パンデミックに対する感性を鈍化させた。日本は世界で有数の災害大国であり、地震や津波、風水害などに対して巨費を投じた防災措置が取られている。強靱な国を目指したレジリアントな社会を目指して、毎年、巨額の土木工事予算を計上していたが、パンデミック対策という大災害に対する備えは、果たして十分だったのか、今後に大きな反省の余地を残している。

432   ポスト・コロナ時代に向けて(12)

2020年9月1日 火曜日

オンライン教育はCOVID-19禍で児童や生徒の感染防止策として大きな注目をされてきた。大学生や高校生でも慣れるまでは大きな抵抗がありそうだが、中学生や小学生となれば、そう簡単に馴染むとは思われない。オンライン教育の聴講生としての資質はともかくとして、先ずは、児童や生徒が自分専用のパソコンやタブレットを持っているか?という問題がある。その次に、受講する家庭にはWiFiなどのネットワーク環境が揃っているか?さらには、学習できる自分の部屋(あるいはスペース)を持っているか?など様々な問題があげられる。

一方、教える側の問題として、教師は機器の操作方法及び運用方法も含めて、オンライン教育での教え方に精通しているのか?という課題がある。もちろん、教材はどうするのか?なども含めると学校側の課題は山積みである。COVID-19禍の問題が起きる前から、既に、周到な準備を進めていないとオンライン教育など到底できるものではない。こうした課題に対して、アメリカでは、どういう手法で望んでいるか見てみたい。

アメリカの国家予算は約500兆円で、日本のほぼ5倍である。年々増加する一方で膨大な規模にまで膨れ上がったアメリカ国家予算の中で、唯一縮小してきたのが教育予算である。アメリカの実業界や政界を支えてきた、アメリカの名門大学やハイスクールは私立なので、教育予算の減少とは全く無縁である。一方で、教育予算の削減を最も影響を受けたのが公立の小中学校だった。とにかく教師の数は、どんどん減らされるし、給与も減っていくので教員の質も低下する。こうした窮状を救ったのがカーン・アカデミーだった。

カーン・アカデミーを創立したハルマン・カーンはインド系アメリカ人としてアメリカに生まれMITで数学とコンピュータサイエンスの学位を修得、ハーバード大学でMBAを取得している。ハルマンは大学を卒業後、金融トレーダーとして活躍していたが、ある時、同じくアメリカで生まれた従妹のナディアが勉強で苦しんでいるのを知った。ナディアは小さい時から医師をめざしている優秀な子供だったが小学校中学年になって急に数学ができなくなった。ハルマンはナディアのことが、とても心配になったが、なにしろナディアは数百キロも離れたところに住んでおり、遠隔教育で何とか救える手立てを考えた。

ハルマンがパソコンを使ってオンラインでナディアを教えていくと、彼女は数学そのものがわからないのではなくて、ポンド、オンス、インチ、ヤード、フィートといった度量衡の単位が理解できていないことがわかった。勉強というのはちょっとしたことで躓くと一生嫌いになってしまうのだという事実をハルマンは思い知った。こうした壁を乗り越えたナディアは無事一流医科大学に合格を果たして立派な医師になった。そこで、ハルマンはナディアのようにちょっとしたことで困っている子供たちを救おうと、数学の個別指導に使ったYouTubeの動画を無料で一般公開したのだ。それが、全米で大評判となり、ハルマンは勤めていた投資ファンドを辞めてフルタイムで教育動画を作り続け、遂にオンライン教育学校「カーン・アカデミー」を創立した。

ハルマンは後に、医師だった妻が「家計は何とかなるから、あなたは好きなことをやりなさい」と背中を押してくれたと語っている。こうして2018年までにカーン・アカデミーのYouTube動画は全世界で16億回以上も視聴され、これをDVDに収録したオフライン版も貧しいアジアやアフリカの農村で貴重な教材として使われている。こんな話は誰でも感動するわけだが、当然、ビル・ゲーツ財団とYouTube事業を保有するGoogleは巨額の資金をカーン・アカデミーに提供している。

そうした資金を用いてカーンは、これまでの自習動画にコーチ機能を追加し、ビデオとモニターを通じて教師の指導を受ける機能を追加した。カーンは、従来教室で行われて来た対面教育が、カーン・アカデミーで開発された技術を使うことで、個別指導に時間を割り当てられる学習者優先の授業形式にシフトできると考えている。ナディアが苦しんだように、ちょっとした学習の躓きに対して、個別指導を中心にする事で壁を乗り越えさせ指導効果を高めることができるのではないか考えている。

そもそも、現在の学校教育(義務教育)の起源は1807年にプロイセンで行われた教育改革にあった。それは、逃亡しない従順な徴集兵候補を育てることが目的で、あらかじめ決められたカリキュラムを時間割で管理し、個々人の習熟度を度外視して学年単位で教授する教育方法である。このため、才能に恵まれた子供は退屈し、簡単にはついて行けない子供たちはハルマンの従妹ナディアのように一度落ちこぼれたら永久に救済されない過酷なシステムとなっている。

今回、COVID-19禍で感染防止のために、仕方なく導入されつつあるオンライン教育ではあるが、これを、むしろ前向きに捉えて積極的に導入することは出来ないだろうか。どうして、日本には画期的なイノベーションが生まれないのかと悩むなら、現在の画一的な教育制度を改めるべきである。アメリカは1993年ホームスクーリング法を制定し、子供たちから学校へ通う義務を解放した。これにより、富裕層の子弟は優秀な家庭教師による英才教育を受けられし、何らかの事情により学校に通えない子供たちはカーン・アカデミーのお世話になって勉強をする。従って、アメリカには「不登校」という問題は存在しない。

ホームスクーリング法は自宅学習してきた生徒の大学受験を認めており、共通テスト(SAT)で高得点を取れば年齢に関係なく飛び級で大学入学できる。日本のような高校卒業と同等の大学受験資格を認める「大検」など存在しない。イジメに悩む子供や、他の生徒となじめない子供は学校など行かなくても良い。それでは、子供に社会生活を教える場がないではないか?と心配される向きもあるだろう。それこそ、余計な心配である。アメリカの親は、社会生活はボーイスカウト・ガールスカウトといった集団活動やアイスホッケーなどの団体スポーツで学べば良いと考えている。「勉強まで集団で学ぶ必要は無いでしょ」と言うわけだ。

今や、アメリカの公立小中学校でカーン・アカデミーの教材を使っていない学校は殆どない。減り続ける教育予算と人材不足に悩む学校側からしてみれば、カーン・アカデミーの存在はまさに福音である。それにしても、世界の超大国であるアメリカの初等中等教育に、貧しいアジアやアフリカの農村に暮らす子供たちを救うツールが役にたつというのは何とも皮肉なことではないだろうか? 最後に、ハルマンが述べるオンライン学習の秘訣について語りたい。

ハルマンはYouTubeを使って教材を作成していたため、動画の実演時間は10分間に限定されていた。ハルマンは、当初、それが不満だったが、長くやっている間に子供たちが学習に集中できるのは10分間が限度だと気がついた。10分で理解できないことは、何時間かけて説明しても理解されないのだ。だから、教材で教える内容は10分で理解できる範囲に留めている。

もう一つ、ハルマンは動画の中ではホワイトボードで自らの手で書きながら説明するのだが、顔出しは絶対にしない。子供たちは、顔が見えたらハルマンの顔に注意が集中し、ホワイトボードから意識が離れてしまうからだという。これも面白い気づきである。もしかしたら、日本のオンライン教材の中には、教師が顔を出しっぱなしというものもあるかも知れない。これでは、多分、子供たちの頭の中に先生から教えられたことは何一つ残ってはいないだろう。

431   ポスト・コロナ時代に向けて(11)

2020年9月1日 火曜日

米中関係の悪化はCOVID-19禍が始まる前から、既に深刻化しつつあった。これはトランプ大統領が得意とする交渉術の一部であり、いずれどこかで手打ちがあるのではないかという憶測もあった。しかし、中国武漢発のCOVID-19禍で、アメリカが世界最大の感染者数、死者数を出す未曾有の悲劇に見舞われてから、アメリカ市民の中国に対する姿勢は大きく変化することになる。今や、トランプ大統領が属する共和党だけでなく民主党までもが中国に対して強硬な姿勢を示している。もはや、米中対立問題は今回の大統領選挙では全く争点にはならないはずだ。

今回のCOVID-19禍で、ニューヨークで最も多く解雇された人種は東アジア人(中国人、日本人、韓国人)であるという。我々、日本人からしたら理不尽だと思うかも知れないが、アメリカ人にとっては、日本人も韓国人も中国人も外観からみれば大して違いも無く、全く区別がつかない。それほどまでに、今や中国はアメリカ人の敵意の的になっている。一方で、習近平政権は南シナ海や香港問題など、アメリカを一層刺激する対決姿勢を次々と打ち出してくる。これは、もはや今後、両国が妥協できる範囲を大幅に逸脱していると言わざるを得ない。

さらに、世界は中国がCOVID-19禍に必要な医療用防護具(PPE)や人工呼吸器で圧倒的なシェアを持っていることに気がついた。パンデミックという安全保障上の問題に的確に対処するには、中国への依存度を高めることは大きなリスクであると、世界は、ようやく認識したのである。今後、世界の交易は、中国を中心とするグループとアメリカを中心とするグループに大別されていくものと思われる。さて、こうした中で、日本はどちらのグループに属するかは大変深刻な問題である。日米関係は今後とも重要な関係であると同時に、日本にとっての中国は未来永劫にわたって切っても切れない至近距離の隣国であり続けるからだ。

このような状況の中で、ドイツの立ち居振る舞いに注目してみたい。ドイツは、こうした米中対決を見越していたかのように、COVID-19禍が起きる前から、そのどちらにも隷属しない独自の戦略を編みだしていた。それがドイツ製造業の国家戦略、Industrie 4.0である。このIndustrieはドイツ語であり、英語のIndustryではない。つまり、ドイツは別に新たな製造業システムの世界標準を目指していたわけではなく、Industrie 4.0は、ドイツが中国、アメリカと並んで世界3大製造業大国となることを目指した国家戦略なのだ。

こういう話をすると、多くの方は、「えー。アメリカが製造業大国なの?日本こそ、製造業大国ではないのか?」と思われるかも知れない。確かに中国は世界一の製造業大国である。しかし、それは単純生産高ベースの話で、付加価値生産高ベースでは、未だにアメリカが世界一の製造業大国となる。そして、少し前の2016年のデータになるが、世界の財輸出シェアランキングでは、中国が1位で13.8%、アメリカが第二位で9.4%、そしてドイツが第三位で8.7%と二位のアメリカを猛追している。一方、第四位の日本はドイツの半分の4.2%しかない。従って、ドイツが本気で製造業を強化したら、アメリカを抜いて中国に肉薄するというのは決して夢物語ではない。

しかし、ドイツも日本と同じく少子高齢化の波を避けることは難しく、これまでトルコや東欧からの移民の力を借りて製造業の強化を行ってきた。しかし、昨今、移民に対する反発はドイツでも例外ではなく、さらなる移民の受け入れが難しくなっている。そこで、ドイツの製造業は東欧に活路を見いだそうとしている。つまり、Industorie 4.0のIoT技術を用いて、東欧に進出したドイツ企業の工場がドイツ国内にある工場と自律的に連動し、あたかも一つの工場であるかのように製造する仕組みの構築である。

多くの先進国が、国の基幹事業を製造業からサービス業へ舵を切る中で、ドイツはこれまでにも増して製造業に拘っている。その証拠に、ドイツの財輸出はGDPの40%にも達している。日本の財輸出はGDPの、たかだか10%にしか過ぎない。さらに、ドイツの輸出高の70%は中小企業の貢献である。つまり、ドイツの国富は中小企業が支えていると言って決して過言ではない。ドイツの多くの中小企業が「隠れたチャンピオン企業」と称されるように、ニッチな分野で圧倒的な競争力を持つ。中国の工場を訪問すると、そこで目にする製造機器は殆ど私たちが名前を知らないドイツ企業の製品である。ニッチ分野とは言えグローバルにおいて大きなシェアを持てば立派な大事業となる。

そして、ドイツの製造業における国策であるIndustrie 4.0は、ドイツ国内にある工場と東欧に存在する工場を、あたかも一つの工場であるかのように自律的に連動させる仕組みを持っているわけだが、この機能は異なる中小企業を一つの企業であるかのごとく自律的に、かつ有機的に連動させることも出来る。そして、このIndustrie 4.0を企画したドイツ製造業連合の幹事がSAP, Siemens , VW , Boschの4社である。ご存じのようにSAPはERPで世界一のシェアを持つソフトウエア企業であり、Siemensは世界有数の製造設備メーカーで、VWは世界最大の自動車企業である。そして、BoschはVWだけでなく、BMWやメルセデスにまで幅広く世界中の自動車メーカーに対して横断的に部品を供給している世界最大の自動車部品メーカーである。

つまり、industrie 4.0はBoschに代表されるように横断的な産業連携に極めて有効である。異なる企業の製造工場を有機的に連携させる仕組みを構築することに意義がある。さて、振り返って日本の自動車製造業を見てみるとトヨタを代表例として、最終組立を担う自動車メーカーの傘下に、一次下請、二次下請けと階層的な下請け構造を構成している縦型のピラミッドを構成している。こうした産業構造は、自動車業界だけでなく日本の製造業の典型例となっている。下請けを担う中小企業は、発注企業からの注文をキチンとこなしていれば大きく儲かることも無いかわりに潰れることもなかった。しかし、今回のCOVID-19禍のように、突然、世界の需要が大きく激減したときにはひとたまりもない。もちろん、こうした縦型の産業構造には、Industrie 4.0が狙いを定めている自律的な工場運営という次世代製造システムは全く無力である。

ところが、COVID-19禍による急激な発注停止の嵐に襲われた中小企業は、生き残るために縦型社会の枠を超えて新たな挑戦を始めている。それが「製造シェアリング」である。自動車部品製造業界が、これまで全く縁のなかった医療器具業界に対して一時的な製造受託を始めたのだ。医療防護具(PPE)の製造や人工呼吸器の製造など、必要な部品や製造治具、あるいは最終組み立てまで含めて受託し始めている。これは単に工場の稼働率を上げるという目的だけでなく。従業員の士気向上にもおおいに貢献しているはずだ。こうした動きを経て、日本の製造業もドイツのように業種を超えた横断的な水平連携が出来るようになるとIndustrie 4.0のような次世代製造システムの導入も可能となってくるだろう。

今回のCOVID-19禍による経済の落ち込みはリーマンショック時の下落率を大きく超えた。さらに、リーマンショックの時の落ち込みは殆どが製造業であり、サービス業は無傷だった。それゆえ、復活も早かったのかも知れない。しかし、今回のCOVID-19禍では製造業の下落は、それほど大きくはない。つまり、下落の大半は、移動や娯楽、飲食や買い物といった、いわゆるサービス業が占めている。日本社会は、近年、農林水産業を含む第一次産業から製造業を中心とした第二次産業へ移行し、さらに多くの労働者が製造業から第三次産業であるサービス業へと転職した。

今や、この日本の国を支えているのはサービス産業である。COVID-19禍は、このサービス産業に決定的なダメージを与えている。この21世紀の人工知能が幅をきかすといわれている時代に、ドイツはIndustrie 4.0で、再び製造業の復活を真剣に考えており、こうした動きを、そのまま中国は「中国製造2025」として「Industrie 4.0」の中国版を国家戦略に据えた。トランプ政権が対中貿易バッシングを始めたきっかけが、この「中国製造2025」だとも言われている。日本もCOVID-19禍が作り出す、新たな分断された世界の中で生き残るには、食を支える第一次産業、もの作りで国富を生みだす第二次産業を、もっと大事にしていかないとダメだとCOVID-19禍を契機に見直すべきだろう。