2019年9月 のアーカイブ

414    香港の行方

2019年9月24日 火曜日

香港のデモが一向に収まる気配を見せていない。1997年、鄧小平政権により一国二制度という巧妙な施策により中国の独立行政区として発展してきた香港。当時の香港の人々は「今すぐ巨大な中国をいきなり民主化することは無理だとしても、50年もたてば中国が『普通の国』になって、めでたく一緒になれる」と夢を描いていたのだろう。その中国が、今、米国ペンス副大統領の演説で述べられたような『異様な国家』に変貌を遂げつつある。

逃亡犯条例は今回のデモの単なるきっかけに過ぎない。香港の富裕層や多くの知識人は、既に、香港を脱出してカナダやオーストラリアへの移住を完了している。また、香港最大の財閥である長江実業の創立者で、大富豪の李嘉誠氏は既に資産の大半を香港から欧州へ移転を完了した。この流れは、今回のデモでさらに加速し、ギリシャや東欧のように香港でも中間層は殆ど居なくなるかもしれない。だからこそ取り残された学生や一般庶民の怒りは収まらない。

今回の香港騒動では、中国はアメリカの金融制裁を恐れて、軍事介入しないだろうと言われている。その代わりに、中国政府は政権支持派の多数の民衆を香港に移住させている。それは極めて巧妙な政策である。自由を求める富裕層、知識層、中間層が居なくなった香港に大量の現政権支持の中国人が置き換われば、香港の世論は自然に逆転する。その結果、香港は以前とは全く違う街になる。

中国政府も「大きく発展した深圳があるから香港は要らない」と考えているわけではない。香港が持つグローバル金融の集積地であるという役割を上海や深圳が担えないことは良く知っているからだ。そもそも金融業は国家権力の支配を極端に嫌う。金融都市である香港にとって鄧小平が編み出した一国二制度という矛盾し、曖昧な制度設計は実に巧妙な役割を果たしていた。中国であって、中国でない。その両方のメリットを使い分けていたのだ。習近平は、その潔癖症から一国二制度という曖昧な矛盾の存在を許せなかったのかも知れない。

今回の香港騒動を受けて、欧州最大の銀行であるHSBCは、この度の英国のBrexitによって本社をロンドンから香港に移転すると言われてきたが、それもキャンセルになるに違いない。ロンドン、ニューヨーク、フランクフルトと並んで世界の金融センターを担っていた香港の代わりをどこが担うのか? まさか、シンガポールとは思えない。上海と同様、シンガポールは国家権力からフリーハンドを持ち得ないからだ。一方、東京にとっては千載一遇のチャンスかも知れないが、東京は、その後背地に中国のような巨大な市場を持つわけではない。

そして香港は、世界の金融センターというだけではなく、学術都市でもあった。アジア大学ランキング2019のベスト10には香港科技大学が3位、香港大学が4位、香港中文大学が7位にランクイン。ちなみに日本では東京大学が8位に入っているだけである。私は数年前に香港中文大学の大学院で講演を行なった。聴講する学生にはアジアや欧米各国の出身者、そして多くの日本からの留学生が居るのに驚いた。特に日本人留学生は、ゆうちょ銀行やメガバンクから企業派遣で留学してきた人たちである。各金融機関とも、この世界の金融センターで学ぶことに大きな意義を見出しているのだろう。

その香港が、深圳に近い、単なる中国の1都市に没落してしまうのは、あまりに勿体無い。それは、世界の金融業にとっても、さらに中国にとっても痛い話である。中国人民元の国際化は、今も全く進展していないし、今回の香港騒動でさらに国際化は遅れることだろう。その結果、相変わらず続くドル一強の世界の中で、中国は、いつまでもアメリカの金融支配から逃れられなくなる。そして、習近平政権にとって、今回の香港騒動による一番の痛手は「一国二制度」という巧妙なスキームを台湾に対して提案できなくなったということかも知れない。