2019年2月 のアーカイブ

407   82年生まれ、キム・ジョン

2019年2月12日 火曜日

慰安婦問題から徴用工問題、レーザー照射問題など、最近の韓国の日本に対する意識は異常とも思われる段階にまで高揚し、我々日本人の理解を超えている。一方で、3,000万人を超えた日本への観光客の第一位は中国人であり、第二位は韓国人である。日本の若者が韓国文化を好むのと同様、韓国の若者の日本文化に対する憧れも相当なものである。過去の歴史問題を抱える日韓の融和は容易ではないと言われているが、私は、そんなことはないと信じている。私たちは、お互いの国が抱える深刻な課題をもっと良く理解することが必要である。

そうした意味で、今回読んだ「82年生まれ、キム・ジョン」は、現代の韓国が抱える悩みを理解する上で、私には大変参考になった。この本を書いたチョ・ナムジョ女史は、韓国におけるベストセラー作家で、この「82年生まれ、キム・ジョン」は100万部を超える異例の大ベストセラー小説となり、既に、映画化も決定している。一方で、この本は韓国の恥部を著した忌まわしい小説として、K-POPのアイドルが、この本を読んだというだけで炎上し、社会から敵視されるという社会問題まで起こしている。

OECD加盟の先進国の中でも際立った女性蔑視の国として名高い韓国。米国LPGAの上位を韓国人女性が独占するようになったのも、彼女たちが、女性には未来がない韓国から脱出するための手段としてゴルフを選んだからだと言われている。この著作は、そんな韓国の女性差別の歴史を母親から自分に至るまで強い怨念のもとで描いている。しかし、この本を読んで、我々、日本人が「韓国って、酷い国だな!」と思うのは、少し早計である。程度の差こそあれ、私たち日本社会にも未だに存在する女性蔑視の原点が、この韓国文化にあると思った方が良い。

日本が韓国に比べて女性蔑視の考え方が、少しだけマシなのは、明治維新で日本が韓国より少し早く欧米文化を取り入れ始めたからだと思われるので、韓国の女性蔑視も、時を経れば段々と改善するだろうと思われるかも知れないが、実情は、それほど容易ではない。この本の読者層である、20−30代の女性は「これは、まさに私の物語です」と力を込めるのに対して、男たちは、お互いに小声で話しをするほど背筋がひんやりする怖い本なのだ。

この本が暴いている問題は、韓国の過去の「女性蔑視」の問題だけではなく、現代韓国男性の「女性嫌悪」の問題を正面から突いている。これまでの韓国は、女性蔑視の観点から意図的に女子を堕胎し、男子を選別してきた。これは、近代中国も同じである。この結果、男女の数のバランスが極端に不均衡になった。その結果、かなりの数の男性が、韓国生まれの女性とは一生結婚できないのだ。しかも、女性の大学進学率が高まったことで、女性の男性選別の基準は従来に比べて極めて高くなった。一方、韓国の男性には、先進国では珍しい徴兵制があるため、兵役の間に挫折する男性も少なくない。その結果、若年層の男性に、新たな「女性嫌悪」の感情が高まっている。

この本の主人公も、結婚し出産したため退職に追い込まれて、仕方なく専業主婦となり、なんとか子供を抱いて公園デビューを果たすが、ここで見知らぬ若い男性から「いい身分だな」と非難されて大きなショックを受ける。本来なら、国民一人当たりのGDPでは、とっくに、日本に追いついて、今頃は、日本を追い抜いていたはずの韓国経済は、日本以上に深刻で大きな停滞を招いている。日本から奪い取った液晶や太陽光パネルは、もはや中国に乗っ取られ、論理半導体も台湾に奪われ、近いうちにメモリーも中国に奪われるだろう。日本が陥ったジレンマに韓国も足元を掬われている。

70−80%と言われる世界一の大学進学率を誇る韓国。しかし、今の韓国では、それほど大量の高学歴人材を必要とはしていない。その結果、韓国社会は人材が余剰となり、若者の失業率が高いために、韓国の大手企業は50代の中高年齢層に対して早期退職勧告をするのが一般的だ。ところが、高度成長期の時代が日本より遥かに短かった韓国では、未だに、充実した年金制度が確立されていない。充実した年金制度が出来上がる前に高齢化社会を迎えた韓国の高齢者は極めて惨めである。

今の韓国で、日本に対して大きな声をあげて非難している人々の殆どが、こうした困窮を極めた50歳以上の高齢者だと言われている。それは、20-30代で日本に憧れる若者達とは好対照である。同じ、構図は日本にもある。K-POPに憧れ、韓国を頻繁に訪れ韓国料理を楽しむ、20-30代の日本の若者。逆に、嫌韓主義を貫き、街頭やネットでヘイトスピーチをしているのは、殆ど50代以上の人々ではないかと言われている。こうした現象を冷静に見ていると、現在、困った状態にある日韓関係の将来は、そう悲観したものにはならないようにも見える。

そして、この本が発売されると同時に韓国で起きた朴槿恵前大統領の訴追運動に、政治活動に目覚めた多くの女性が街頭デモに積極的に参加した。一方で、この運動に参加した多くの女性達が違和感を覚えたのも事実である。それは、朴槿恵前大統領を批判する言説や態度の中に「女性嫌悪」の言葉が数多くあったからだ。文在寅政権が誕生した直後から起きた韓国の#MeToo運動は本場米国のハリウッドを凌ぐものとなった。その波及効果は、韓国の権力中枢である検察から始まり、芸能界、大学、映画、文学などあらゆる分野に拡がった。

こうした韓国の大きな潮流を見ていると、今、日本のメディアで注目されている「反日」という運動以上の大きな流れが、「女性蔑視」や「女性嫌悪」という韓国の永い歴史を支配してきた大きな課題に対して起きようとしている。我々は、韓国という国を、もっと冷静に見守る必要があるだろう。そして、将来、「女性差別」という問題に関して、日本が、逆に韓国から素直に学ぶべきことが出てくるかも知れないと思った方が良い。

406   光り輝く女性たちの物語(20)

2019年2月2日 土曜日

今回登場する、森川あやこさんは、私の長年のFacebook友達で、いつかお会いしたいと思っていた1人である。Facebookには、いつも溌剌とした笑顔で投稿されている、あやこさんに、私が心底憧れていたのは、年間200回以上の講演をこなす「カリスマ講師」だからだ。私も登録している講演エージェントで12000人いる講師の中で8年連続人気講師ベスト10入り、2017年は、6位だった。これこそ、あやこさんが、あらゆることに好奇心を持ち続けて努力をしてきた人生が一気に開花した結果だとも言える。しかし、決して簡単に、その頂点まで駆け上がった訳ではない並並ならぬ苦労の物語があやこさんにはあった。

1969年兵庫県で生まれた、あやこさんは、高校2年生の時に、スケバン刑事映画化記念オーディションで78,000人の応募者の中から見事グランプリを獲得し、突然芸能界に入った。しかし、あやこさんは、芸能界とは何とも水が合わず引退。その後、一般人として大手企業に就職した。当時はバブル絶頂期で、休日は競馬、平日も退社後は同僚とゴルフの打ちっ放しで、その後で飲み会という、まさにオヤジギャルの生活だったが、会社の同僚には、一切、芸能界に身を置いたことは隠していた。

25歳の時に、取引先のエレベーターで出会った会社員の夫と結婚。さすがに、夫に対しては、芸能界に居たことを結婚式1ヶ月前にカミングアウト。結婚したら寿退職という当時の風潮で、当たり前に退職。直ぐに妊娠・出産し、ごく普通の専業主婦になった。しかし、じっとしては居られないあやこさんの性格は、妊娠中でも出来る事を見出した。それが懸賞マニアである。独自のノウハウを見出し、旅行、現金、テレビ、米、肉など、頻繁に当選する「懸賞の達人」としてテレビ大阪や雑誌で特集されるまでになった。もちろん、こうして有名になっても、かつて芸能界に居たことは誰にも言わなかった。

しかし、こうして懸賞で獲得した食品をせっせと食べているうちに、めきめき太り、かつて女優だった面影は完全に消え去った。そこで、あやこさんは、今度は徹底的なダイエットに挑む。その成果を賞金5,000円欲しさに、当時の愛読書「おはよう奥さん」に応募したら見事当選し、ダイエット特集で自宅取材までされた。それでも、あやこさんは、公園デビューしてママ友との付き合い、スーパではサイコロ振りで卵の安売りに挑戦し、電気メーターは毎日チェックして記録をつけて節電の極意を生み出すなど、節約しながらの子育ても専業主婦として楽しんでいた。

1998年、娘さんが幼稚園に入園し、昼間の数時間だけ空きができたため、パートタイムを探し、週3日、1日3.5時間のコールセンター・オペレータの職を見つけた。あやこさんにとって久しぶりの社会復帰は、自分という存在価値を見出すことができただけで感動ものだった。嬉しすぎて喜んで仕事をして頑張ると成績表に反映されるので、さらに頑張るという好循環が続き、とうとう2,000人のオペレーターの中で、毎月、応対品質、顧客解約阻止率でベストスコアを出し続けた。

その後、娘さんが小学生になり、空いた時間も増え、コールセンターの仕事も慣れた頃、あやこさんは、吹田市に念願のマイホームを購入した。その、吹田市の市報で見つけたケーブルTVの市民レポーターにも応募。自分で考えた企画を持ち込んで懸命に仕事をした。その頃である、マンホールの蓋には不思議な魅力がある事を見出したのは。何事も、好奇心を持って観察すると面白いことは山ほどあるというとあやこさんは言う。

この頃だったか、もう一つ愛読していた雑誌Veryの読者モデルに選ばれた。この時、何回か雑誌に出させて頂いた時に着ていた洋服や持っていたバッグをスタッフさんに鼻で笑われた。それは、パートのオペレーターの収入だったら、バッグも含めてノンブランド、激安コーデも致し方ない。人は、見た目や印象で差別ではなく区別されるのだと改めて認識した。しかし、見た目の重要性を深く認識するも、自身の路線で見た目の充実感を実現しようと決めたと、あやこさんは言う。そして、あやこさんは、後に、その独自の流儀で美魔女コンテストにおいて、見事にリベンジを果たした。詳しくは、後ほど解説する。

さて、コールセンターのオペレーターとして成績優秀な表彰を受け続けてきたあやこさんに、夢にまで見ていた後輩へのインストラクターにならないかとの声がかかる。もちろん、引き受けるつもりだったが、一応家族の了解をと一日回答を待ってもらったのが裏目に出た。翌日「ぜひ、やらせて下さい」と回答したが、返事が遅いと、その栄光の役職は既に後輩に決まってしまっていた。あやこさんは、あまりのショックで一気にやる気をなくし退職を決意。失ったインストラクターへの夢を叶えるべく、企業研修講師への再就職契約を決めた。

しかし、ここからは仕事と家庭の両立で本当に悩む。しかも、パソコン能力ゼロ状態からワード、エクセル、パワーポイントと3種の神器の特訓には毎日涙で耐える。新大阪から会社がある品川までの新幹線移動は、過酷な生活を強いられた。最終便で大阪に戻り、翌日の娘さんの弁当を作って、始発の新幹線で品川に向かうと言う寝むらずの毎日が続いた。

なぜ、女性が働くと言うのは、こんなに大変なのか? 地元吹田市の男女共同参画推進委員にも応募し、市報の男女共同参画マスコットまで自ら作ったりした。この時に、女性が働くために必要なデータをまとめて記事にしたりしたことが、今の仕事にも繋がっている。また、この時代に、SNSに出会い、出張時に、今の「飲もう会」を開始し、日本全国に大事な友人が沢山できるようになった。こうして研修講師に慣れた頃、あやこさんの担当研修が少なくなった段階で、個人事業としての研修講師ビジネスを開始した。ここで、初めて、芸能界での経験が自分の人生の貴重な財産の一つだと改めて認識し感謝することになる。

そして、娘さんは、ついに中学生になった。スマホが登場して、世の中は劇的に変わった。あやこさんは、研修講師とSNSを活用しながら全国でセミナー講師として活躍を始めた。さらに縁あって大学の非常勤講師をしていたことで「笑っていいとも!」に出演オファーがあった。その日のゲストは、あのキムタク。キムタクと共演して、生キムタクに自分の仕草を真似されたことが全国ネットで放映。この様子を悪げはなかったのだろうが同僚講師が気軽に研修会社の部長に報告。部長は事前に了解を得ていないと激怒。以降、セミナー、イベント、マスコミ出演などの副業規定が厳格に変わってしまった。

もう、あやこさんは決断するしかない。研修会社を退職し独立。それは「スマイル幸師、森川あやこ」の誕生の瞬間でもあった。まさに、キムタクは「スマイルあやこ」のHeroであった。この10年間も、以下のように、実に貴重な時代だったとあやこさんは振り返る。安部総理が総裁選出馬の直前に関西の学生イベントで司会をさせて頂き、マイクをつないだ経験も今となっては大変貴重だった。

2013年:最初の著作「愛されるリーダーになるための簡単コミュニケーション術」を出版。出張で出会った鉄道写真を撮りため、Facebook鉄子の部屋を作り、自分たちの鉄道を走らせたい夢を叶える鉄道貸し切りイベントを仲間と開始。また、ランニング未経験ながらエントリーして初当選した結果、大阪マラソンを完走。その後、大阪2014、神戸2014、金沢2015、富山2016と4年連続フルマラソン5回を完走。その鍛錬として、自ら、ランニングクラブ「スマイルラン部:通称 ゆるラン」の運営を開始した。

2014年:初めて海外講演に挑戦。2015年には、専業主婦時代からの主張である、お金をかけない美容法の実践として、美魔女コンテストにエントリー。美は、お金と時間が必要だけど、お金ばかりじゃないと言うことを世に伝えたいという主旨で応募したが、なんとインターネット投票で1位のWEB賞を受賞。しかし、美魔女の活動は、イベントやSNS、ブログにはうるさい規制があり、これまで積み重ねてきた仕事や活動への支障をきたすため、結果的には、受賞を受けたのみで、すぐに美魔女であることを自ら降りた。でも、あの雑誌の読者モデル時代に受けた屈辱へのリベンジにはなったと思うとあやこさんは振り返る。

2016年には、2冊目の著書「選ばれる技術」を出版。2017年、2018年は講師活動だけでなく、Instagramの広告モデル依頼が多数あった。現在、Instagramのフォロワー数は12,000を超えプロ講演・研修講師としては、おそらくナンバーワンになったと思うとあやこさんは言う。「笑顔、元気、働く喜び、日々の暮らしを明るくハッピーに!包む」活動を講演、研修、セミナー講師を続けながら、娘さんは、中学、高校、短大、成人、就職へと進み、働きながら子育ても無事完了した。あやこさんは、今、さらに次のステージへの飛躍を考えている。

そして、今、あやこさんを目の前にして驚くのは、その美しさだけではない。美魔女コンテストでも投票1位に輝いた、その若さこそが実に脅威である。24歳の娘さんと姉妹だと言っても、誰も不思議には思わない。どうして、あやこさんは、こんなに若くしていられるのだろう? いつも好奇心に溢れ、単に憧れるだけでなく、実際に挑戦してみてしまうチャレンジ精神なのか? そう、フルマラソンが出来るほどの健康的な肉体も、若さの維持には大いに貢献しているだろう。

あやこさんには敵わないが、私も、講演を副業として暮らしている身であるが、聴衆は、本で読んだ話や、他人から聞いた話をしても全く感動してくれない。自分自身が直接見た話や、経験した話でないと胸襟を開いて聴いてはくれない。その意味で、あやこさんは、本当に何にでも興味を持って、しかも、それを自分で実践してやってみるのである。だからこそ、人気カリスマ講師としての地位を保ち続けているのであろう。

バブルが弾けてから20年間、給与は下がり続け、少子高齢化は歯止めが効かず、将来が見えなくなった日本。こうした、一見、絶望的な時代風潮の中で、自らの人生経験をベースに、もう一度元気を取り戻そうと訴える、あやこさんの講演は人々の心に感動を与える。私も、学ぶところが非常に多い。この度、直接お会いして、改めて感動したのは、あやこさんの、こうしたステップアップこそが、その並外れた好奇心と、弛まぬ努力の積み重ねであることがわかった。英語を習得するためにシンガポールへの短期語学留学をはじめ、現在は、ホームページに動画コンテンツを掲載すべく動画編集処理も勉強中である。まさに、森川あやこさんこそ、日本を代表する「光り輝く女性」の一人である。